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エールデ・クロニクル2――剣姫、雪景に想う――  作者: 渡邊香梨
第6章 曇天の下 甦る悪意
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6-5 馬車の中(前)

 「……ねえ、皇家って〝白隼〟何羽飼ってるの? 酷使させてない、大丈夫?」


 ストライド侯爵領やエイダル侯爵領を経由しつつワイアード辺境伯領に入るまでは、約二週間の道程だった。


 馬車に関しては、狙って下さいと言わんばかりの紋章入りは避けてあるものの、横から簡易テーブルを出して、お茶を飲んだり仕事をしたり出来る長距離向けの、それなりの仕立てにはなっている。


 そして、事前にエイダルが移動中も仕事はさせると言っていたように、通信用の〝白隼〟が結構な頻度で皇帝の署名を求める書類を運んで来るのだ。


 もちろん、行方不明になっては困る機密書類を飛ばすような事はないにしろ、逆に今まで手をつけられていなかった、煩雑な処理をさせようとしている節があった。


「……何日かは屋根で休ませてから再出発させているし、大丈夫だとは思うけどね」


 エイダルの意図など、とうに察しているエーレも苦笑いだ。


「外政室やレアール侯の様子はどう? そろそろレアール侯が奥方と合流されて、公都に戻っている頃だろう?」


 今はお互い、向かい合わせで書類に目を通す格好になっており、キャロルはイオからの報告書に目を通していた。


「ああ、うん、まずは例の薬に関して仮の解毒剤が完成したって」


「へえ! 君が見込んだ通りに優秀なんだね、彼」


「一応ちゃんと効くか、これから実験に入るって手紙にはあるんだけど……どこでどう実験する気なのか、ちょっと不安が……いや、薬の効き目の話じゃなくてね? それは全然心配していないんだけど、いったい誰で人体実験をするつもりなのかと――」


 ジェラルド・サージェントあたりで実験をするのなら、好きにすれば良いとキャロルも思うが、まさかヒューバートを巻き込んだりはしないだろうか。


 キャロルの不安を掬い取ったのか、エーレも顔を痙攣(ひきつ)らせている。


「いや……国内では初見の毒薬扱いになるからね。治験者がジェラルド一人と言う訳にもいかないだろう。後の認可を考えて、典薬部からも何人か必要だろうし、後……護衛としても知っておきたいところはあるだろうから〝黒の森(シュヴァルツ)〟から何人か――と言ったところじゃないかな。さすがに国軍からは人は出さないと

は思うけど……」


 何気にエーレの中でも、ジェラルドが実験台にされるのは確定のようだ。


「いずれにしても、こちらはもう公都(ザーフィア)から随分離れてしまったし、結果を待つしか出来ないけどね」


「ああ、うん……そうだね。犠牲者の冥福を祈る、と」


「いやいや! あの媚薬では、人は死なないんだろう?」


「確かに死にはしないんだけど、酒精(おさけ)と合わさったら媚薬に化けて、それ以外の水分と合わさったら嘔吐剤に化けて、しかも相当に強力だから、色んな意味でしばらく飲んだ人間が使い物にならないと言う……開発者自体が指名手配犯扱いになってるほど厄介な薬で……あれはカーヴィアルの上流階級の間では、禁忌の薬扱いになってるから……」


 はは……と、キャロルの視線が泳いでいる。


 その挙動不審さに、エーレはピンときたようだった。


「……君も飲んだんだね」


「いやぁ……私は飲まされたんじゃなくて、その時アデリシア殿下が寝込んじゃってたから、私が当時の近衛隊長に提案して、クライバー陛下の許可を取って貰って、典医省の毒見役とか、東宮と央宮、両近衛隊からも何人か人を出して人体実験したと言うか……? クラッシィ家にあった分は全部押収したって言っても、他の家にまた盛られても困る訳だし、解毒剤が見つからないならせめて味を覚えるとか、効果を薄めるとか、策を打っておかないと、近衛の名折れと思ったと言うか……?」


「……それで?」


「ほら、私はお酒飲まないでしょう? だからお水で飲んでみたら、他の部下と症状が違って、胃の中のものをみーんな吐いちゃった挙句に、睡眠導入剤的な成分もあったからか、その後二時間昏倒。同じ様にお水で試した他の毒見役も、二時間起きなかったみたい。ワインで飲んだ何人かは、下世話な話だけど、花街に走って行ったって、後で聞いた。後にも先にも、花街に行ったお金が公費で落ちたのって、あの時だけじゃないのかな?」


 意図的に、アデリシアはどうしたのかをぼかすように、ただ「寝込んだ」とだけ答えたキャロルの不自然さに、この時のエーレは気が付かなかった。


 キャロル自身が、胃の中のものを全て吐いたと言ったり、部下が花街に走ったと言ったり、敢えてインパクトがある方を話の前面に持ってきたからだ。


「だから多分、今回のワイアード辺境伯領での食事に仮にそれが盛られたとしても、一発で分かると思うよ? その時は指をテーブルに置いて、タップさせるか何かで合図をするから、そうしたらとりあえず、水分を摂るのはやめてね? それである程度は凌げる筈だから」


「……君を毒見役にするかのようなそのやり方は、俺としてはすぐには許容出来ないけどね」


「いや、ほらでもっ、実際問題私が真っ先に気が付く可能性が高い訳だし! どんな味だったらそうなのかって言われても、私、説明出来る自信ないし!」


 祖母経営の食堂を再開する事には挫折して、祖父と同じ警備隊を目指したと、かつてエーレに告げたキャロルである。


 美味しい、まずい、甘い、辛い、酸っぱい――くらいしか、説明出来る自信がない。


「…………」


 複雑そうに黙り込むエーレに、キャロルが更にたたみかけた。


「もしその後二時間寝込んだら、後始末はエーレに丸投げになっちゃうから、そこは役割分担って言う事で割り切って良いと思うの! って言うか、辺境伯邸で盛られるとは限っていない訳だし!」


 ――とは言ったものの、手前の街で渡されたワイアード辺境伯領の最新情報に、昨夜エーレと共に目を通したキャロルは、間違いなく辺境伯邸で、何か仕掛けられるだろうと、実は確信していた。


 シェリル・ワイアード。

 辺境伯の実孫として周知されているようだが、どう考えてもこれは、シェリル・クラッシィと、同一人物の事だ。


 ……本当に、あの家は単細胞の集まりだ。


 シェリーとかエリィとかにさえ、変えるつもりもなかったらしい。


 弟と言われている人物に心当たりがないのは、恐らくこちらは、辺境伯の娘の相手とされている、マルメラーデのイエッタ公爵家三男の庶子とか、その辺りではないだろうか。


 もしかしたらこの男子は本当に辺境伯の血を引いている可能性もあるが、現時点では判断出来ない為、保留としておく事にした。


「……自分でも、何も起きないとか思っていないだろう?」


 エーレも誤魔化されてはくれないようなので、キャロルもさっさと話題を変えてしまう事にする。


「あっ、そうそう! 父の動向だっけ? えっと、そっちは無事、母と合流して公都〝迎賓館〟に入ったって。ストライド家とサージェント家の皆さんも、エイダル公爵が用意した部屋に、婚姻の儀までの一時的な仮使用って事で〝迎賓館〟に入ったみたい。今頃、三家当主共に宰相閣下にこき使われているんだろうな……」


「……内二人は、少なくとも一族の人間がしでかした不始末を償っている訳だから、まあ良いんじゃないかな」


 今以上の小言は無駄と悟ったエーレも、ため息と共に、話題をキャロルの方に合わせた。

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