↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】私の恋文を笑った婚約者より、兄が許せません  作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/5

後日談 封をするほうの手紙

 ミレイユの頼みを、私は二度聞き返した。


「結婚のお祝いを、あなたに言ってほしいの。食事の前に、皆の前で」


 私の食堂で、彼女は膝の上の包みを開いた。花嫁の手袋だった。真珠のボタンが一つ取れ、通してあった糸が短く飛び出している。式まで十日というのに、自分で付け直そうとして針を折ったそうだ。

 私は針箱を出した。ミレイユの縫い物は寄宿学校のころから見てきた。新郎のアルマン様が贈った手袋に、これ以上穴を増やさせるわけにはいかない。


「私より、話し上手な方がいるでしょう」

「いるわ。アルマンの叔父様なんて、お一人でスープが冷めるまでお話しになるもの。でも、あなたにお祝いしてほしいのよ」


 手袋に指を入れてもらい、ボタンの位置を合わせた。婚礼のあと、ミレイユは夫の領地へ移る。今までだって手紙は書いていた。けれども、会いたいと言えば翌週にはあの窓際の椅子へ座ってくれる暮らしは、もうすぐ終わる。


「それと、先にお知らせしておかなくては。オスカー様も出席なさるわ。アルマンの父とあなたのお父様は、古くからのお友達でしょう。お家の当主に招待状をお送りしたの」


 針先がボタンの穴を外れた。

 兄の手紙は、このところ月に一通くらいだった。母の遺した資金についての知らせや、私宛てに屋敷へ届いた品のこと。短い用件のあとには、いつも一行ほど余白があった。以前なら、そこへ帰っておいでと書いたはずの人だった。


「私にいいことを言わせて、兄に聞かせたいの?」

「いいえ。あなたが嫌なら、乾杯はアルマンの叔父様にお願いするわ。お料理は冷めるでしょうけれど」


 私は笑って、もう一度針を通した。


「出席はするわ。あなたの花嫁姿は誰に譲っても、私が見るの。乾杯のことは、少し考えさせて」


 ミレイユは頷いた。ボタンがきちんと留まるのを確かめ、手袋を片方だけはめたまま、お茶を飲んだ。


 彼女が帰った夜、私は白い便箋を三枚並べた。

 まず、このたびはご婚姻の運びとなりましたことを、心よりお祝い申し上げます、と書いた。申し分のない一行だった。寄宿学校の校長先生が読んでも丸をくださるだろう。

 けれども、その次へ移れなかった。私が話したいのは、ミレイユが二泊していったときのことだった。大きすぎる丸パンを伯母とルーシーも一緒に四人で食べ、それでも翌朝の分が残った。私がこの家で初めて他人の笑い声を聞きながら食卓を囲んだ日だ。


 あのとき嬉しかった。帰る前の晩は、明日にならなければいいと思った。今だって、遠くへ行かないでと言いたい。

 一枚目を裏返した。二枚目に、ミレイユ、と書いた。


 書き始めたら、紙が足りなくなった。

 新しい土地であなたが好きな人と朝食をとるのを嬉しく思うこと。その朝に私が一緒でないのが、少し寂しいこと。アルマン様が最初にうちへ来た日、あなたは私の椅子を当然のように引き、彼に自分の席を詰めてあげたこと。三人で座れると、私より先に知っていたこと。


 そのまま声に出してみた。あなたが遠くへ行くのが寂しい、というところで、口が止まった。

 兄がいてもいなくても、これは彼女ひとりに言いたいことだ。みんなが振り向いて私を慰めるような日に、彼女の婚礼を変えたくなかった。

 私は書き上げた手紙に封をした。表にはミレイユの名だけを書いた。


 次の日、彼女の実家を訪ねた。玄関から居間まで布箱が並んでいた。中身を書いた札が紐で結わえてあるのに、一つだけ大きく「あとで決める」と書かれた箱があった。いかにも彼女らしくて笑ってしまった。


「これは今、渡す分。お式で読む分は、これから考えるわ」

「引き受けてくれるの?」

「ええ。私が自分で読んでみたいの。声が出なかったら、杯を挙げるだけでもいい?」

「もちろん。立ってくれたら、私には分かるもの」


 私の目の前で、ミレイユが封を切った。長い手紙を読むうちに、頬が赤くなった。先ほどまで落ち着かない様子で箱を行き来していたのに、今は箱をどけた椅子に腰を下ろし、最後まで読んでくれた。


「私も寂しいわ」


 そう言うなり、彼女は手紙を顔の前へ持ち上げた。


「新婚の身で、先にお友達に会いたくなったらどうしようって。そんなこと、アルマンにも母にも言えなかったの」


 私の寂しさを、ミレイユの晴れの日に持ち込んではいけないと思っていた。紙ならその子にだけ届けられることを、私はいちばん苦しい目に遭ったときから知っていたはずだった。

 顔の前の紙が少し下がった。私は彼女の向かいへ座った。


「私の家の椅子は、もうあなたのものよ。アルマン様の分は、別に用意するから」

「では、あなたがうちに来るときは、ぜひあの椅子を持ってきて」

「馬車に椅子まで積ませるの?」

「そうね。ずいぶんおかしな頼みだわ。こちらで一脚買っておく」


 二人で笑って、日にちを決めた。初めて私が新居を訪ねるのは、麦の穂が青いうち。便りだけで済ませてしまうつもりは、お互いになかった。


 帰る前、ミレイユは私の手紙を「あとで決める」の箱へ入れかけて、やめた。何度か畳み直して、旅に持つ小さな鞄の内ポケットへしまった。


「ところで、皆に聞かせるほうにも、私の好きなお話を一つ入れてくださる?」

「何がいい?」

「あなたの家のパンの話。新しい家で困ったらあれを思い出すようにって、アルマンにも言ってほしいの」


 私は引き受けた。話す相手が決まり、話したいことが決まると、早くその日になればいいと思えた。

 手袋の真珠がしっかり留まっているのを撫でてから、ミレイユと別れた。

面白かったら評価、ブックマークいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。