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夢遥か~物理学など理解できないが、宇宙がどんなものなのかくらいは知っておきたい  作者: 鈴木樹蘭


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光速の檻の中

空間と時間には限界点などなく、宇宙の大きさを定義できるとしたら光速しかない。

 馬の耳に念仏。

 このことわざは、仏の教えを理解する能力のないものに、いくら念仏を唱えても無駄だという意味である。

 しかし、宇宙レベルの観点から言わせてもらえば、それは違う。

 その無駄は無駄ではない。


 風が吹けば桶屋が儲かる。

 一見、無駄であり、何も生み出しそうもないものが、時には大きな変化や影響を及ぼすこともある。その発生確率が1/1000億でも、全く問題はない。

 そういった可能性を否定してしまったら、真なるイノベーションは生じない。


 だから、馬に念仏を唱えることは、完全なる無駄ではない。


 前置きはこのくらいにして本題に入ろう。

 光は何もない空間でも、情報を伝達することが可能だ。

 ぼくらは、この光の力を借りなければ、観測者にもなれない。


 光は、遠く離れた星と星の間を繋げることができる唯一のものでもある。

 もっと、突っ込んで言えば、離れた存在を確定せしめるもの。

 光のない闇の世界であっても、少し離れた存在を感じることができるかもしれないが、確定することはできない。

 暗黒世界を照らしてくれる光ほどにありがたいものはない。


挿絵(By みてみん)


 光速普遍の定理が成り立つ世界が宇宙と考えれば、宇宙を成立させているものは光と考えることもできる。

 即ち、光速とは宇宙を形成する基本的定数でもあり、宇宙の星々を繋げる役割を担うものでもある。


 加速は速度を生み出し、質量は重力を生み出す。この速度と重力により形成された宇宙を表現するために人間が想定した次元が空間と時間である。


 しかし、前にも記したように、空間と時間というものは確定値ではなく、状態により変化してしまうものなのだ。要するに、結果として存在するもので、本質ではないということだ。


 マクロ的な視点で見れば、この世界を形成しているのは、速度と重力である。速度と重力により、その点での時間と距離(空間)は決定され、その比率は光速により定義できる。


 無数の因果、即ち、無数の物質の無数の動きの結果として現れた世界が宇宙であり、時空間は光速により限界点が定まっている。


 ここまで付き合ってくれた方であれば、宇宙空間の体積的な大きさを論じることの無意味さは理解できていると思う。


 ぼくらのいる宇宙の大きさを語るとすれば、それは光速、そのものなのだ。

 例え、地球の時間経過と空間の広さを基準としたところで、そこから加速すれば、距離は縮小し、時間経過は遅くなる。

 また、もし速度(移動)により見かけ上の空間が広がるのであれば、空間は幾らでも広がる。

 そして、重力と速度がバランスする世界が存在する限り、時間は終わらない。


 宇宙ができてから、135億年だとか、260億年だとか言ったところで、それは、今の地球という観測点から見た数値でしかなく、観測点の条件で幾らでも変わってしまうようなあやふやなものなのだ。


 例を挙げて説明すると、

 宇宙ができたばかりの頃、135億光年先の恒星から、地球外生命体を乗せた宇宙船が飛び立ち、光速の99.99%の速度で地球に向かったとしよう。

 この宇宙船は、地球時間では135.01億年後に地球に到着する。

 しかし、宇宙船内の地球外生命体の時間では、1.9093億年で到着することになる。


 135.01億年と1.9093億年の差、それは何を意味するのであろう。


 地球外生命体の認識では、宇宙ができてから、1.9093億年であり、地球と、かの恒星間の距離は1.9091億光年ということになる。

 しかし、地球にいるぼくらにとっては、宇宙ができてから、135.01億年であり、かの恒星との距離は135億光年という認識である。


 宇宙ができてから、1.9093億年と135.01億年。そこには、絶大な差が生まれ、しかもどちらの認識も正しいのだ。

 距離や時間が確定値ではないというのは、そういうことである。


 結論から言えば、どんなに距離を稼いでも、どんなに時間を費やしても、宇宙空間からは出られないはずである。時間と空間などあくまでも結果としての存在であり本質ではない。

 だから、幾らでも延長も短縮できるのだ。

 そこに限界点などあるわけがない。


 だいたい、空間自体の大きさが広がっているのか、ぼくら自身を含めて、物差しが縮んでいるのかは、区別がつかない。(たぶん、宇宙にとっては、どちらも同じこと。)


 だから、空間や時間に関しては、拡張限界はないと言っても問題ないだろう。


 もし、空間の限界点を無理やり定めるなら、光が到達し得たところまでが空間である。でも、その距離や長さは確定できないし、光が存在する限り、幾らでも広がるのだ。


 イメージ的には、もし、ぼくらが宇宙の果てに手を伸ばすことができたなら、その瞬間に、更にその先に宇宙は広がっていき、いくら手を伸ばしても壁には届かない。


 届くとしたら、光速に達した時だけである。

 空間や時間の壁はないが、速度の壁はある。

 時間と空間によって定義される宇宙の中では、光速を越えることはできない。

 裏を返せば、光速を越えれば、時間と空間の関係が破綻してしまい、この宇宙での物理法則自体が破綻する。

 そうなれば、この宇宙という存在自体が成り立たなくなる。


 考えようによっては、宇宙の外側に出られるということなのかもしれないが、現実的に生命体が出られるはずもなく、そこは現宇宙のような物質や時間を維持できる世界でもないということだ。


 であるなら、宇宙の大きさというか、限界点は光速ということになるはずだ。

 空間でも時間でもなく、ぼくらは速度(光速)の中に囚われているということである。


 ただし、この光速という速度自体が、永遠に不変であるとは断定できない。真空中での30万km/秒が、他の星雲でも成り立つとも限らないはずだ。


 それでも、永遠に、ぼくらは光速の檻の中で暮らすことになるのは間違えないだろう。

 檻と言うと聞こえが良くないが、その枠の中が宇宙というものだ。


 地上で生まれしぼくらの概念。

 それは、時間と空間という独立した軸が存在し、ぼくらは時間の経過と共に空間を移動する。


 しかし、宇宙を見つめれば、空間と時間は独立してはいない。

 それが、宇宙の原理なのだ。


 空間に果てなどはない。

 時間にも果てなどはない。

 ただ、時間と空間の広さの比率(光速)は決まっており、それ以上にはならない。

 もし、ぼくらが遠い時間まで旅することができるなら、その分、空間も広がっていく。

 どこまでも、どこまでも、それは尽きることなく広がる。


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