第53話 栄光
ロードバックはよろめきながら立ち上がった。各所に火災が発生していたが、まだコントロール機能は十分維持しているようだった。頭部に鈍痛を感じて額に手をやると、べっとりと血が付着した。霞む視界はウォーケンを探して彷徨った。すると薄れゆく爆煙の中から、司令官席に整然と鎮座する人影が浮かび上がった。
「ウォーケン、無事だったか?」
ロードバックは喜び勇んで駆け寄った。そして愕然として立ち止まった。ウォーケンの胸に一本のパイプが突き刺さっていた。それは心臓を貫いて背凭れまで達していた。パイプの先端から赤い血が滴り落ちている。その双眼は赤い炎を映して未だ闘気を宿しているように見えた。
「ウォーケン、ウォーケン!」
ヴォルフが、トムソンが、ダフマンが、スレイヤーが駆け寄ってきた。生き残った幕僚たちが彼の周りを取り囲んだ。誰の目にも彼の即死は明らかだった。艦橋は夜の墓場のように静まり返った。信頼する司令官を失って、誰もが墓石のように固まっていた。
「なんで先に死んだ? おまえがいてこその竜戦隊だぞ!」
ロードバックの悲嘆は全将兵の気持ちを代弁していた。だがウォーケンは沈黙したまま……。その見開かれた双眼は前方のマーキュリー要塞を睨んで離さなかった。彼は死して尚も兵士を鼓舞し続けた。
怯むな、前進せよ。
その間にも至近弾がペルセウスを激震させる。ヴォルフが悲痛な面持ちでロードバックの肩に手をかけた。
そうだ、悲しみに暮れている場合じゃない。彼の意思は残された者が貫徹するのだ。
「クソッ、突撃だ! あいつの死を無駄にするな!」
ロードバックの絶叫が再び乗組員の生気を蘇らせた。
そうだ、俺たちゃ要塞に辿り着くまでくたばっちゃならねえんだ!
スレイヤーが航海長席からマイクに向かって叫んだ。
「機関室、エンジン全開! 全開だ!」
ダフマンも気が狂わんばかりに叫んだ。
「各砲手、手を緩めるな! 全弾ぶち込め!」
ペルセウスは再び艦隊の最前列に踊り出た。旗艦被弾の報で鈍った艦隊の進撃速度に再び弾みがついた。まだ四分の三余りの艦艇が健在だ。これなら勝てる!
「要塞まであと五千キロ!」
クソッたれがぁ! 司令官の仇は必ず! スレイヤーの噛み締めた唇から血が滲んだ。
「要塞まであと三千キロ!」
ウォーケン、なぜ死んだ。 ダフマンの頬を涙が伝った。
「要塞まであと一千キロ!」
ウォーケン、おまえは最高の友だった! 地獄に行ったら、また一緒に酒を酌み交わそうぜ! ロードバックの心臓が破裂しそうに高鳴る。
「要塞表面に取り付きました!」
艦橋から要塞を視認したと誰もが思った瞬間、艦橋の窓が白熱色に染まった。要塞主砲六発が同時にペルセウスを直撃した。うち一発は艦橋側面を撃ち抜き内部で爆発した。司令部は一瞬にして崩壊した。ロードバックやヴォルフは肉片すら残さず宇宙から消滅した。
ペルセウスは闘牛場で全身に槍を刺されてのたうち回る巨牛と化した。各所から火の手が上がり動力は完全に停止した。最早誰の目にもペルセウスの沈没は確実となった。
「総員、退艦せよ」
トムソンは最後の気力を振り絞って艦長の務めを果たすと、その場に崩れ落ちて息絶えた。
救命艇が生存者を乗せて次々にペルセウスから脱出してゆく。誰もが挙手の礼を以て自分の艦に別れを告げていた。名将と共にあった一年余りを、彼らは生涯誇りとするだろう。
グレイは数少ない生存者の一人となった。彼は炎と煙の渦巻く中で、床に倒れたダフマンを発見した。
「おい、しっかりしろ!」
抱き起したのも束の間、彼はすぐにその身体を横たえた。ダフマンの魂は既に天に召されていた。その死に顔には満足げな笑みすら浮かべていた。グレイは挙礼をしようとして、ふとその手を下ろした。
俺が死んだら、こうしてくれと言ってたな。
彼は意味もわからぬままに胸前で十字を切った。ダフマンの遺言は実行された。
他に生存者はいねえのか。
炎が皮膚を焼き煙が息を詰まらせる。彼は次いで操縦桿に凭れて倒れ伏したスレイヤーを発見した。
「おい、大丈夫か!」
グレイが肩を揺さぶると、スレイヤーが不意に目を見開いた。
「そう簡単にゃくたばらねえよ」
グレイの掌に血がべったりとこびり付いた。スレイヤーの腹部に鉄片が突き刺さっていた。
「がんばれ、いま助けてやるぞ!」
グレイが肩を貸して助け起こそうとしたが、スレイヤーは力ない目でそれを拒んだ。
「くたばらねえと言いてえところだが、どうやら俺のツキもここまでのようだ」
彼は終ぞ見せたことのない穏やかな笑顔で微笑みかけた。
「俺はどの道助からねえ。ここへ置いてゆけ」
「おまえを見捨てて行けるかよ!」
グレイは目に涙を浮かべて叫んだ。
「早く行け! こんな所で死にてえか!」
「頼む、俺を一人にしないでくれ!」
グレイがスレイヤーを力の限り抱きしめた。
彼を失いたくない。そんな感情を抱いたのは祖父と死別したとき以来だった。
抱き締められたスレイヤーの口元に笑みが浮かんだ。
「頼む、俺たちの分まで生きてくれ」
スレイヤーの瞳は既に死の色に染まっていた。それは戦場で生きる者だけが理解できる死の兆候だった。
グレイは挙礼をすると涙を振り切るように駆け出した。スレイヤーがその背中を見送って呟いた。
「へッ、これでいいんだよな? おやっさん、ダフマン、クロウ……」
彼は炎の中でガックリと首を垂れた。
十分後、ペルセウスは大爆発を起こして爆沈した。グレイは脱出した救助艇の中で滂沱の涙を流し続けた。
自分はなぜ仲間と共に死ねなかったのか? 生き延びたことが悔しくて仕方なかった。だが死んでいった仲間の想いを踏みにじるわけにはいかない。たとえ自分は最後のグローク人となろうとも死ぬことは許されないのだ。後年、彼はこの気持ちを奴隷解放運動にぶつけていくことになる。運動方針に行き詰まると、四人の仲間が自分を励ましてくれたと自伝に著している。その四人の仲間が誰なのか、知る者は少なかった。
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キャサリンは館のテラスから夜空を眺めていた。
今頃、兄さんはあの辺りで戦っているのね。
「あら!」
一瞬、星が瞬いて見えた。不吉な想いが胸を過った。
「キャサリン、どうかしたかね?」
奥の間で父の声がした。多忙であるにも拘わらず、今夜は珍しく在宅していた。
「いえ、なんでもありません」
まさか、兄さんが戦死するなんて。
彼女は頭を垂れて星に祈った。
どうか、兄さんが無事でありますように……。
大広間に飾ってある柱時計が十二時を告げた。その時刻は奇しくもペルセウスの爆沈した時刻と一致したという。
(完)
ロバート・G・ショー大佐へ。




