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維心と将維が亀裂から戻ったかと思うと、維月の体が急にはっきりと実体化し、十六夜、碧黎、陽蘭からの気がどっと流れ込んで体を一気に満たし、その体から溢れた。碧黎はホッとしたように力を抜いた。
「…おお、戻った。」と、陽蘭と十六夜を見た。「もう、補充せずとも良いぞ。体に気が留まって、満たされた。消滅の危険はない。」
十六夜と陽蘭は、安堵して翳していた手を降ろした。戻った…何時間ぶりだろうか。
碧黎は将維と維心を見た。
「ようやってくれたの。我が娘の命、取り戻してくれたこと、感謝致す。」
維心が、複雑そうな顔をした。
「無理矢理に戻したゆえ。納得はしておらなんだの…我が、他に妃を迎えるなどと誤解しておって…。」
将維が維心を見上げた。
「我もそれで先の二人の妃は決められ申したので、あれのやり方は知っておったのです。父上、女が忍んで参りませなんだか?」
維心は頷いた。
「主が何が何でも居間で待てと言って来た理由があの時分かった。そうよ、居間であっても、我をはめようとしよったわ。」
将維は眉を寄せた。
「廷でありましょう。」
維心は驚いたように将維を見た。
「…確かに廷ぞ。主もか?」
将維は苦笑しながら頷いた。
「はい。何もしておらぬのに、部屋へ来させて我が話しておる場へ踏み込んで、妃だと申すのです。相手の皇女の立場を考えると、断る訳にも行かず…ただ、悔しいので一度も通いませなんだ。三人目になって、やっと順当な手続きを踏んで、我に聞いてから進めたゆえに、我も仕方ないかと受けた訳でありまするから。」
維心はフンと横を向いた。
「何が相手の立場ぞ。将維、それが甘いのよ。我なら最初の一人の時に斬っておった。今日とて斬ろうと思うたが、兆加と慎怜が必死に留める上、維月の危機を感じておったゆえそれどころでなくての。牢へ繋げと命じてここへ来た。皇女のほうは、今頃は逃げ帰ったのではないか。我は本気であったからの。」
傍で慎怜が、黙って膝を付いて下を向いている。十六夜が、その何か知っていそうなそぶりに、話を振った。
「慎怜…何か知ってるのか?」
慎怜は、ハッとしたように顔を上げた。
「いえ、あの…前世の王のことでありまするので。」
「それも維心だよ。同じだ。」十六夜は笑った。「なんだ?」
慎怜は困ったように維心を見た。維心は、特に気にするようでもなく言った。
「良い。我は別に恥ずかしいことはしておらぬしの。申せ。」
回りの視線を受けて、慎怜は仕方なく話し始めた。
「…確かに王は、まだ維月様を娶られる前でありましたが、同じような手で妃を迎えさせようとした臣下を斬り、皇女をも斬り捨てたことがあり申した。その頃の重臣の者でありましたが…我はその片づけを致しましたので、存じておりまする。あの当時の王は、逆らう者は皆斬って捨てられましたので。」
十六夜は呆れたように維心を見た。
「思い付きで斬るなよ。回りが迷惑するじゃねぇか。」
維心は不機嫌に十六夜を見た。
「うるさいわ。主に我の苦労など分からぬ。して、子は娘か、息子か?」
十六夜はそうだったと、蒼が抱く子をやっと見た。いきなりにあんなことになって、とてもゆっくり気を回すことも出来なかったからだ。
「どっちだ?」
蒼は答えた。
「女だよ。」と、十六夜に布にくるまれたその子を渡した。「めちゃかわいいぞ。」
十六夜は、その子を腕に抱いてびっくりした。自分が女になったかのような顔立ちだったからだ。そして髪は、維月より少し明るい色の濃い茶色だった。
「目の色がわからねぇなあ。」
蒼が答えた。
「さっき起きててオレをじっと見てたから知ってるけど、赤い様な茶色だったよ。きっと陰の月寄りなんだよ、色合いは。」
「十六夜…?」
維月の声に、十六夜は慌てて振り返った。
「維月!目が覚めたか。とりあえず、他は何でもいいからこいつを抱いてやんな。それからだ。」
維月は碧黎に助けられて身を起こすと、その娘を胸に抱いた。
「まあ…」十六夜にそっくりな顔の子に、維月は涙を浮かべた。「なんてかわいらしいの…。」
陽蘭が頷いて維月に寄り添った。
「そうでしょう?私達の孫よ。こんなに愛らしい子を見るのは、あなた達以来だわ。ねえ、碧黎?」
碧黎は、大真面目に頷いた。
「ほんにそうよな。これから忙しくなるのう…部屋はどこを与えるか、蒼?我らの対が良いの。」
蒼は苦笑した。
「とにかく、十六夜が父親ですから。十六夜に決めさせましょう。」
十六夜は少し考えて、言った。
「オレ達の対に部屋を与える。」碧黎ががっかりしたような顔をした。「蒼、乳母を頼む。維月はずっとここには居られないし、おふくろに見てもらうことにはなるだろうけど、ここで育てるからな。」
維心が維月の腕の子を見て、言った。
「名は?決めておるのか。」
「維織だ。」十六夜は言った。「オレも維月も「い」から始まるし、考えてこうなった。別にお前の名前と混ぜた訳じゃねぇぞ。お前達の字が同じだからややこしいだけなんでぇ。」
維心は眉を寄せた。
「何も言っておらぬではないか。我の子ではないのだから、我の名がどうのとは思わぬ。」と、維織を見た。「前世の我の娘は皆、維月に似ておったのに。十六夜に似ておるとはの。」
十六夜はフンと鼻を鳴らした。
「残念だったな。オレの子なんだからいいじゃねぇか。お前の息子はどうなんでぇ。皆お前にそっくりじゃねぇか。」
維心はため息を付いた。
「そうであるが…今生ではまだ子をなしておらぬゆえ。しかし、出産とはなんと恐ろしいものぞ。我は維月をこのように恐ろしい目に合わせることに、今生ではためらうの…前世でもそれで何度恐ろしく思ったことか。」
碧黎が頷いた。
「恐らく、十六夜と維月の間はこれで最後であるかもしれぬ。我らとて、そんなに子を成すことは出来ぬのだ。なぜなら、著しく気を消耗するゆえ…我らは本来、そのような生命ではない。何か目的があってこそ、こうやって生まれて参る。なので維織も、きっと何かの意思の元に生まれ出た。ここまで子が出来なかったものを、なぜに急にこんなことになったのか?それを考えれば、必然ぞ。主らのように、実態を持った命とはまた、違うのだ。主と維月では、主の血がほとんど濃くなるのは、そのせいよ。維月に負担が軽くなるゆえな。」
陽蘭が、碧黎を気遣わしげに見た。碧黎は陽蘭に頷き掛けた。
「大丈夫ぞ。維織には我らが付いておるゆえ。」
十六夜が、維織を維月から抱き取った。
「オレの娘だ。オレが守る。大丈夫だよ。」と、維月を見た。「お前も、少し休みな。それから、誤解は早く解け。維心と話すんだ。前世から、お前ってほんと早とちりするじゃねぇか。分かってるだろう?しっかり話しを聞くんだ。ここへ戻るのは、それからでも遅くはねぇよ。」
維月は下を向いて頷いた。蒼が言った。
「さあ、じゃあ落ち着いたし、皆部屋へ戻ろう。維織も部屋へ寝かさないと。いつまでも抱いてたら抱き癖ついて乳母が大変だ。」
皆が頷いて、部屋を出て行く中、維心と将維はそこへ残った。維心が、ためらいがちに維月に歩み寄った。
「維月…無理に戻したこと、怒っておるのか?」
維月は首を振った。
「いえ…戻ってからの会話は、皆聞いておりましたから。維心様が臣下に妃を娶る方向へ持って行かれて、維心様の意思でないのはわかっておりまする。」
維心は安堵して寝台の、維月の足元へ座った。
「洪の息子の、廷であるのだ。我もあれがまだ若くて、よく分かっておらぬのだと思うて甘やかしてしもうた。何しろ、洪の息子であるからな。さすがの我も、あまり突き放すことも出来なんだ。だが、此度は目に余る。戻って、斬り捨てようほどに。安堵せよ。」
維月は慌てて首を振った。
「そのような!斬り捨てることはございませぬ。今後そのようなことはせぬと言うて聞かせておけば…私が宮に戻れば、そのような企みは出来ぬのでありまするから。私が維心様のお傍にいつも居るので、忍ばせることは出来ぬでしょう。」
維心は維月の頭を撫でた。
「のう維月…我に前世誰も連れて参れなくなったのは、主が居ったこともあったが、その前から我が有無を言わさず全て斬り捨ててしまっていたからぞ。情など掛けてはならぬ。王は絶対であるのに、その王を策に嵌めて己の思い通りにしようとするなど…これが妃の事であったゆえに大きな出来事ではないように思うやもしれぬ。だが、これが軍を動かすような大事であればどうする?」
維月は目を見開いた。
「え…そんな大袈裟な…」
維心は静かに首を振った。
「大袈裟ではない。王はの、絶対でなければならぬ。臣下のいいように扱われる王ではならぬのだ。廷がこれで味をしめて、別のことを謀ろうとしたらなんとする?もしくは、それを見た他の者が、この王は思うようになると思うたら?…維月、王とはの、それではいけないのだ。特に我は世に大きな影響力を持つ龍王。何事も、己の意思で決めねばならぬ。現に、将維で思うようになったことに味をしめて、我に同じことで妃を娶らせようとしよったのだぞ?この先何百年と使う臣下が、そんな気持ちを持つ輩ではならぬ。龍王の臣下は、全て王に忠実でなければならぬ。ゆえ、他への見せしめのため、廷は死なねばならぬ。」
将維が、横で黙って聞いていた。そう、自分はそこが甘かった。洪は維心の頃から仕えてくれた重臣。その息子であったので、甘くなってしまったのも事実だった。なので、廷は恐らく一人暴走し、あんなことを起こしたのであろう。
「維心様…。」
維月は維心を見上げた。維心は維月を抱き寄せた。
「主は何も案ずることはない。心安く戻って参れ。我は何でも主の言うようにする。しかし、政務のことは、我に任せよ。」
維月は、黙って頷いた。自分には何も分からない…なので、何を言っていいのかも分からなかった。将維が言った。
「母上、一度龍の宮へ戻られた方が良い。しかも早急に。そしてまた、こちらへ、今度は父上と一緒に来られるのだ。さすれば、誰も何も言わぬし、これほどに不在にしても支障がございませぬ。」と、維心を見た。「父上、今すぐにでも連れ帰るべきでありまする。」
維心には、それが分かっていた。だが、やっと子を生んで生死の境から戻ったばかりの維月を…。そのような無理をさせられぬ。
しかし、維月は頷いた。
「わかったわ。少し待って、十六夜に話して来るから。」と維心を見上げた。「維心様、お待ちくださいませ。共にお連れください。」
維心は頷いた。思えば維月はエネルギー体、気さえ満ちれば体がだるいなどということはない。ただ、精神的につらいだけで…しかし維月は、そこは強かった。
維月はスッと寝台から立ち上がると、十六夜の居る部屋へと歩いて行った。