黄泉
維月は、そこがどこか知っていた。
既に何度も来ている黄泉への門へと向かう道。自分は死にかけている…いや、向こうではもはや死んでいるのかもしれない。子を生んですぐに、大量の気が抜き取られるのを感じた。このままではエネルギー体を維持出来ないと思った時に、十六夜の叫び声を聞いた後、意識が無くなった。そして、気が付くとここにいたのだ。
今回は一人か…。
維月は思いながら、恐怖はなかった。あちらがどんな所かは知っていたし、皆が待っているのも知っていたから。だが、十六夜と維心が、どれ程に悲しむのかと思うといたたまれなかった。でも、二人共に黄泉がどんな場所か知っているから…。また、寿命が全うされたら会える。維月はそう思いながら、門に向かって歩いた。維心様…妃を迎えるご準備をされていてよかった…。お一人にしてしまうところだったもの…。
維月は、向こうに見えて来た門に向かって、足を早めた。ああ懐かしい。
「…維月、待ってくれぬか。」
維月は、聞き慣れた声に振り返った。そこには、張維が立っていた。
「まあ、張維様…お久しぶりでございます。」
張維は頷いた。
「維月、維心が主の危機を気取って必死に向かっておるのだ。今しばらく待ってやってくれ。」
維月は悲しげに微笑んだ。
「張維様…大丈夫でございます。今生では維心様も、他に妃を迎える事になされた様子。生まれ変わったのですから、それで良いのですわ。私は己の運命に従いまする。」
維月は、歩みを進めた。張維は追うように言った。
「あちらが穏やかなのは知っておる。しかし、主には生きて欲しいのだ。まだ婚姻をしたばかりではないか。せっかく共に転生したものを…。」
維月は下を向いた。
「張維様…。私は生まれ変わっても何度も維心様を縛って、生きたくありませぬ。今度こそ、他の王と同じように、何人も妃を娶られ、お心安く過ごして頂きたいから。私では、無理なのですわ。十六夜も、愛しておるのですから。」
「維月!」
後ろからいきなり声が飛んで、維月はびっくりして顔を上げた。維心かと思ったその声は、将維だった。
「将維…!」
張維がホッとした顔をした。
「おお将維よ。大したものぞ。維心が居るのに、道を開いたとは。」
将維は頷いた。
「必死であったわ。維月をまた失うかと…我は…。」
将維は維月を抱き寄せた。
「さあ、帰ろうぞ。子を母無し子にするつもりか。維月…皆が待っている。我と共に参ろう。」
維月は、将維から身を退くと、言った。
「将維…ごめんなさい。私はもう戻らないわ。今生はこうして幕を閉じたのよ。あちらから見守っているから。」
将維は首を振った。
「まだ閉じておらぬ。十六夜と碧黎が、主を留めようと必死に気を補充しておる。このままでは主は消滅すると、必死なのだ。」
維月は顔を背けた。
「…私がまだ、ここにいるから。」維月は自分の門を見た。「あれをくぐれば、消えるわ。」
維月はそちらへ早足に歩いた。将維が追い掛けて維月の腕を掴んだ。
「維月、我はそれを止めに参ったのだ。我と共に戻ろうぞ。」と、抱き締めた。「愛しているのだ…主が居らぬ世など…。」
維月は将維に言った。
「お願い、将維。行かせて。いつかあちらで会えるから…待っているわ。」
将維は首を振った。
「もう二度と失いたくない。」将維は、抱き締める腕に力を込めた。「どうしてもと申すなら、共に。我も共に門をくぐる。」
維月は驚いて将維を見た。
「そんな!将維…。」
「共に行く。」将維はもう一度言った。「それで良い。」
張維も、それをただ見つめた。維月を留めることが出来ぬのかもしれぬ。
門はただ、そこで維月を待っていた。
十六夜は、一向に回復する様子のない維月に、涙が浮かんで来るのを感じた。
維月が逝ってしまう…あの穏やかな地に。たった一人で…。もしかして、もう戻るつもりはないのかも知れない。そんな十六夜に気付いた碧黎が、険しい顔で言った。
「…確かにの。」そして維月の顔をじっと見た。碧黎には、黄泉の道の中が見えているのだ。「維月を将維が説得しようとしているが、あちらへ逝こうとしておる。維月を留められぬと思った将維が、己も共に行くと言って…維月はそれでためらって、まだ留まっているが…。」
…と、宮がビリビリと震えた。結界を突き破って来るこの大きな気…維心か!
「維心が来た。」十六夜は言った。「オレの結界を破りやがった。さては将維が黄泉の道を開いたのを気取ったな。」
言い終わらない間に、維心が必死の形相で入って来た。
「維月は…!」と言い掛けて、維月を見た。顔は蒼白で、ますます体が透けるようになっている。「…やはりそうか!将維がこのようなことをするなど、維月でなければないであろうと…。」
十六夜が頷いた。
「早過ぎたんだってよ。」と、碧黎を見た。「親父が言うに、まだ産み月まで間があった。なのにこんなことになって、子が己の体を保つために維月の気を食らった。」
維心は身を固くした。我は前世でも今生でも、これと同じように母を殺した…。
碧黎が言った。
「子は、その後陽蘭がさらに気を与えて無事人型を取った。しかし維月に気が戻らぬのだ。我らの補充したものは全て留まることはなくこうして流れ出ておる。」と、補充し続けている先を見た。「それでもこれを止めたら、消滅してしまう。将維が戻るのを待っておるが、維月は今度は戻る気がないようで…将維が難儀しておるのだ。このままでは、共に逝ってしまうやもしれぬ。」
維心は、開いた黄泉の道へと亀裂を見た。
「我が…、」
十六夜は、少し黙って、視線を逸らした。
「…いや、維心。お前は止めた方がいい。」
維心は驚いて十六夜を見た。
「なぜだ?我ならば維月を戻せる。戻してみせるゆえ。」
十六夜は首を振った。
「維月がなぜこんなに早く産気付いたと思う?」維心が怪訝そうな顔をするので、十六夜は続けた。「お前、無理に妃を迎えさせられようとしてたろう?将維がそれをオレに話に来て、維月はそれを盗み聞きしたんでぇ。将維が慌ててお前を救おうと宮へ先触れを出して、阻止しようとしてたんだが、維月は…表面上穏やかにしていたが、ショックだったんだろうな。いきなり陣痛が来やがって。こいつは今でも、お前が今生で妃を別に迎えるつもりで居ると思ってるだろうよ。」
維心は愕然と維月を見た。では、維月がこんなことになっているのは、我のせいと申すか。
「ならば余計に我は行かねばならぬ。」維心は、将維が開けた裂け目を見た。「参る。気を絶やすでないぞ。」
維心は止める間もなく亀裂へ飛び込んだ。もはや疲れて口をきくことも出来なかった蒼だったが、ぽつりとつぶやいた。
「…親子で同じこと言って…。」
蒼がふらふらだったので、陽蘭が蒼に代わり、蒼は赤子の面倒を見ることになったのだった。
一方維月は、将維にしっかりと抱きしめられて、門に入れずに居た。
「あなたを一緒に連れて行く訳にはいかないわ。あなたにはあなたの運命があるでしょう。だから戻って、将維。」
将維は首を振った。
「いくら我がままだと言われても、我は主から離れるつもりはない。やっと王座を離れて、気楽に月の宮で、たまに主と共に過ごすことが出来るようになったというのに。主が世に居らぬなど…父上もどれほどに寂しく想われるか。」
維月は首を振った。
「将維、父上は今生は、他の王達と同じように過ごされるのがご希望なのよ。たくさん妃を娶って、きっとお寂しくはないだろうから…前世がお寂しかっただけよ。これからはお幸せになられるわ。」
「そのようなはずはない!」また突然に声が飛んだ。息が乱れている。「維月…我はそのようなことを望んでなど居らぬ!策した臣下は斬る!ゆえ、我と共に戻るのだ。見よ。ここに長く居るゆえに、将維の気が減って来ておる…。」
維月は、自分を抱き締める将維を見た。将維は、もはや立っているのがやっとなほどしか気が残っていない。
「ええ!?なぜ…?前はここまでは…」
「王ではないからだ。」維心が言った。「将維は主を助けようと無理にここをこじ開けて入って来た。気がもたぬ。」
維月はもがいた。
「将維!戻らなきゃ!私のことはもういいの、早く戻って!」
将維は腕に力を込めた。
「嫌だ。我は戻らぬ。」
本当に共に逝くつもりだ…。維月はそう悟った。
「維心様、将維を連れてお戻りください!」
維心は将維ごと維月を抱き締めた。
「連れ帰る。主も共にだ、維月。我を置いて逝くなど…約したではないか。我と永久に共に居ってくれると。維月、我には主だけなのだ。約した通り、我は何があろうと他に妃は娶らぬ。それが例え人助けであろうとも、我は妃を娶らぬ。主を愛している…戻ろうぞ。」
維心は、将維と維月をまとめて気で持ち上げると、離れた所でこちらを見る、父の張維に軽く会釈をして、さっと飛び立った。
「維心様…お待ちください!」
維月の声はしたが、そのまま掻き消え、そして維月の門は消滅した。




