誕生
《将維!》
十六夜の念が、将維に振って来たのは、龍の宮へと飛び立とうとして準備をしていた、まさにその時であった。
何事かと将維は慌てて念を返した。
《何事ぞ?十六夜!》
十六夜の声は、切迫していた。
《来てくれ!早く!早く!》
将維はただ事ではないと、必死に十六夜の部屋へと走った。もう、日が落ちて暗くなろうとしている。しかし、何が起こったか分からないので、龍の宮を優先するわけにも行かなかった。
将維が部屋へ飛び込むと、奥の部屋から、碧黎、蒼、十六夜の気が、一斉に放たれているのが分かった。将維は仕切りの布を勢いよく避けて、中へ飛び込んだ。
そこでは、維月を中心に、三人が回りを囲むようにして気を補充しようと放っていた。その中心で、もはや死んでいるのではないかという顔色の、維月が目を閉じて横たわっていた。
「…何事ぞ?!維月はどうした…子は?!」
「今、生まれたばっかりでぇ。」と、十六夜は陽蘭を見た。そこに、赤子が抱かれている。「だが、こいつの気が強すぎて、維月の気を食っちまって…このままじゃ消滅しちまう!補充してるが、まるでざるだ!いくら放っても、皆抜けてっちまうんだよ!いくら不死って言っても、エネルギーが尽きたら死ぬ!消滅だ!」
碧黎が、歯を食いしばって言った。
「…少し早かったのよ。」必死の形相だ。「なので赤子が必死に己を保とうと母から気を食らった。本来なら、こんなことにはならぬはずであったのに!」
将維は自分も慌てて手を翳した。気を補充せねば!
だが、十六夜は首を振った。
「違う、黄泉の道を開いてくれ!」十六夜は叫んだ。「維月はそこを歩いてるはずだ。早くこっちへ連れて帰ってくれ!今は親父とオレと蒼の気があるから何とか持ってるが、本当ならとっくに消滅してるんでぇ!」
維月の姿が揺らめく。エネルギー体が消えれば、もう終わりだ。将維は、頷いた。
「…ここへ開く!」将維は手を上げた。「我が連れ戻る!」
龍王にしか開けない道。王を退いた今、将維には開けないはずだった。ただ、将維は集中した。維月の命が掛かっている。何が何でも、黄泉へ!
軋むような音がしたかと思うと、宙に引き裂いたような亀裂が開いた。将維はそれを見て叫んだ。
「行って参る!気を絶やすな!」
将維がそこへ飛び込むと、蒼は小さくつぶやいた。
「…簡単に言ってくれるよ…こんなざる状態の母さんに。」
月から地から、二つの気が延々と注がれ続けているにも関わらず、維月はびくともしない。
外はもう、真っ暗だった。
維心は、居間で座っていた。
夕刻のはずなのに、将維はまだ来ない。時間に正確な将維らしくない…維心は少し心配になった。なぜに将維はここへ来ると言い、居間で待てと言ったのか。月の宮で、何かあったのか。そもそも、将維があのように命ずるような文体で書いて来ること自体が珍しかった。わざとやっているような…誰かに見せようと思っているかのようだ。
維心が月を見上げようとした時、居間の入り口に気配がした。
「…将維か?」
維心が言ってそちらを向くと、そこに居たのは、昼間見た皇女の一人だった。美しく着飾り、こちらに頭を下げている。
帰ったはずではなかったか。
維心がそう思っていると、相手は顔を上げた。
「本日、王からこちらへ来るようにとの仰せと伺い、参りましてございまする。」
維心はびっくりした。そのようなこと、言った覚えはない。
「我は呼んでおらぬ。行き違いがあったのであろう。戻るがよい。」
維心は言って、視線を逸らした。相手は、困ったような焦るような表情でさらに近寄って来た。
「そのような…確かに臣下のかたから、今宵こちらへと王がおっしゃっておられると…。」
維心は首を振った。
「今宵は、月の宮から父上が戻って来られる由。我はここで待てと仰せつかっておる。なので、そのようなことを言うはずはない。」
その皇女は、動かなかった。断固としてとどまらねばと言った風情だ、
「我は、戻ることは出来ませぬ。他ならぬ王のお召しであるからと、ここへ残るようにと言われたので…。」
維心は眉を寄せた。
「…誰にそのようなことを。」
廷は、外でそれを伺っていた。いつ出て行ったらいいのか、間を計っていたのだ。しかし、王は一向に立ち上がるそぶりもない。それどころか、早く追い出したがっているようだ。あのように美しい皇女であるのに。そして、話しが自分のほうへと向かいそうになったのを見て、廷は慌てて、なんとかこじつければ良かろうと居間へ何食わぬ顔で入って行った。
「あ…これは…王。」廷は、見てはならないものを見たような顔をした。「お邪魔を致しましてございます。気に入られたかたはいらしたかと聞きに参ったのですが…これは…」
相手の皇女は、顔を赤くした。維心は廷を睨んだ。
「そうか。廷、連れ帰れ。我は父上を待っておるのだ。今宵、ここへ来るゆえ居間で待てと言われておる。なので、我が女をここへ呼ぶはずはない。誰かが策したのであるな。」
廷は一瞬顔色を変えたが、困ったように笑った。
「王、そのように我にお気を使わずとよろしいのでございます。御前失礼を…」
「許可せぬ。」維心は言って、懐から書状を出した。「偽りではないわ。これを見よ。父上の直筆であるぞ。主、これでも我が偽りを申しておるとか申すか。」
維心は、将維がこれを意図していたのではないかと、その時思った。父親の命に従わねばならないのは、いつの世も変わらぬ。王であるから、前王よりは立場は強いが、それでもこれぐらいのことなら従って然るべきなのだ。将維は、これを知っていて我を守ろうとしたのか。維心は咄嗟に思うと共に、この廷が、このようなことを策したのだと悟った。
廷は、確かにそれが将維の字であることを見て、小さく舌打ちをした。なぜに将維様は、このような日にこのようなことを。
「…しかし王、ちょうど良いではありませぬか。このように美しい皇女であられまする。こちらへ妃として迎えられ、王も…」
維心が手を上げて、ピタと止まった。何かを気取ったようにじっと宙を見ている。廷は何事かと維心を見る。
「王…?」
維心の顔は、見る見る険しくなって行く。ただ事ではない様子に、廷は維心に駆け寄った。
「王、一体どうなされたのですか?」
維心は突然に立ち上がった。
「慎怜!」
維心が叫んだので、廷はびっくりした。慎怜は軍神筆頭だ。何かあったのは間違いない。慎怜がすぐに来て、廷と皇女を見て眉をひそめたが、維心の前に膝を付いた。
「御前に、王。」
「将維が黄泉の道を開いた。」維心は言った。声が震えている。「あちらで誰か死にかけておる。あるいは、もはや…」
維心は言葉に詰まった。それ以上を続けることが出来ないようだ。
「…月の宮へ参る。供を。」
「は!」
慎怜が頭を下げると、廷は叫んだ。
「王!では、こちらの皇女は妃としてお部屋を与えておきまする!」
維心は廷の方を見ることもなく、叫んだ。
「兆加!すぐに来い!」
兆加が、息せき切って走って来て頭を下げた。
「お、王。おん、御前に。」
「廷を牢へ。我を謀った罪ぞ。我は月の宮へ行く!」
廷は目を見開いて足を踏み出した。
「そのような!王!こちらをここへお呼びしたのは…」
維心は振り向き様に刀を抜いた。
「…うるさい!我が妃が命の危機やもしれぬのに…それ以上申したら、この場でその女共々、斬る!」
維心からは本気の闘気が湧きあがって来る。宮の壁がビリビリと震えた。廷は驚いて尻餅をつき、皇女はよろよろと傍の侍女に倒れ掛かった…まさか…まさか本当に?!
兆加が慌てて飛び出した。
「王!どうかお許しを!こやつはまだ若く、事の重大さに気付いておりませぬ!牢へ繋ぎまするゆえ!」
慎怜も、必死に言った。
「王、今は一刻も早く月の宮へ参られねば!」
維心は歯軋りすると、刀を収めた。
「…参る!」
維心は窓から外へ飛び出すと、見る間に龍身を取ってものすごいスピードで飛んで行った。慎怜がそれを追って、同じく龍身を取って飛んで行く。それを見送った兆加は、ガクガクと震えている皇女を見た。
「失礼を致しました。我が王は他に妃を娶ることは有りませぬ。大変に失礼ながら、これは王のご意思ではなかったこと。我が王は、気に入らねば切り捨てる恐ろしいかた。どうかお命あるうちに、こちらを出られて宮へお帰りくださいませ。我らにはどうしようもございませぬ。」
皇女は頷いて、まだ震える中侍女達に支えられて、そこを後にした。それを見てから、兆加は廷を見た。
「…廷。申したはずぞ。王は主の思うようにはならぬ。将維様しか深く知らぬ主には分からぬやもしれぬの。だが、王は昔よりとても恐ろしいかた。維月様がこちらにおわすとき、我らはどれ程に助けられたか。王にとって、我らの命など軽いもの。それをとどめておってくれたのは、他ならぬ維月様でいらした。あのお方がいらして、王は滅多に臣下を斬ることは無うなったのだ。主が知る王は、維月様がいらしたからこその王。今も維月様の危機でなければ、我も共に斬られておったやもしれぬ…あれが王ぞ。主は、知らねばならぬ。」と、兆加は月を見上げた。「…維月様がお命をとりとめる事を祈るがよい。でなければ主は、もう命はないか、生涯牢の最下層へ籠められるやもしれぬ…。」
兆加は、控えている軍神に頷き掛けた。廷は、茫然として腰を抜かす中、引きずられるように引っ立てら
れて行った。




