【余話】クマさんの想い
「7. 王、城を壊す」のクマさん視点のお話です。
僕の名前は〈クマさん〉。
今ではくたびれた姿になってしまったけれど、お腹の大きなもふもふのぬいぐるみである。お腹がくたびれて少しタプタプしている点については、賛否両論あるとは思うが、僕の相棒と同じお腹だからむしろ誇りだと思っている。これは長い間、彼と共に歩んできた勲章だ。
あとは自分で言うのもなんだけど、つぶらな瞳がトレードマーク。
高級チョコレートのような茶色の毛並みは、これまでたくさん相棒が撫でてくれたから艶々で触り心地がいい。
あの日、僕の相棒は突然、住み慣れた王城を追い出された。
「王」と呼ばれる顔がやたらいい青年がいきなり寝室に現れ、僕の大事な相棒から外務大臣という仕事を奪った。
相棒が三歳のときからいつも一緒に寝ているが、あんなに驚いた寝起きは初めてだった。
相棒は右手にカツラ、左腕に僕を抱えて怒りのあまり震えていた。
「そのカーペットもオークションに出すので、申し訳ないけれど、どいてください。クマさんとカツラは不要です」
そう言い放った王はベッド下のカーペットを掴み、ぐいぐい引っ張って相棒と共に僕を転がした。僕だって、オークションに出たら人気なはずなのに「不要」とは、王はみる目がない。ま、僕の心は相棒から絶対に離れないから、不当な評価でも甘んじて受け入れよう。
あの日から僕の相棒は、少しずつおかしくなっていった。
「あの若造め、必ず王座から引きずりおろしてやる」とか、「自分は悪くない。おいしいものを食べて何が悪いんだ」とか、あらゆる恨み言を部屋の壁に向かって言っているんだ。いつものように僕に話してくれたらいいのに、焦点の合わない目でぶつぶつ毎日何かを言っている。
僕の相棒は確かに少し美味しいものが好きで、よく王城で会食をしていた。
確かに少し美術品が好きで、国費で国内外から価値があるのか分からない怪しい絵画や彫刻を買い集めていた。
そう、他の人より少しやり過ぎただけなんだ。おいしい食べ物をたくさん食べて、美しいと思われる絵を観ながら高級ワインをたらふく飲んだ相棒は、年々体が大きくなっていった。健康面では心配だったが、相棒はいつも笑って楽しそうに過ごしていた。
*
気がついたら僕の体に相棒の憎悪が徐々に蓄積され、かわいい〈クマさん〉から得体のしれない何ものかに僕はなっていた。
自分の意志でベットから動けるようになり、魔法がかかった体のように飛ぶこともできる。もふもふの腕もぶんぶん振り回せる。
僕は思った。
「僕の大事な相棒を悲しませた王を、君の代わりに懲らしめてあげる」
自我を失った相棒の空っぽな目を見ながら、自我を得た僕〈クマさん〉はくたびれた足に力を入れて仁王立ちになる。
「待っててね。僕は君のために、大事な相棒のために、しばらく旅に出るよ」
相棒の目はうつろだが、僕の腕を掴む手に力が入った気がした。しかし、するりと相棒の手は僕の腕から滑り、だらんとベッドに落ちた。
「君が元気になってくれるなら、僕はなんでもするよ。君だけの〈クマさん〉だから」
クマさんは黒いガラス玉のようなつぶらな瞳を潤ませて、相棒の目をしばらく見つめる。失敗したら、もう会えないかもしれない。今生の別れになるかもしれない。
「寂しいかもしれないけれど、少しの間、お別れだね」
クマさんは出ないはずの涙を拭う仕草をする。この場所から本当は離れたくはないが、一世一代の戦いのため愛しい人の元を去る。
「僕の身体は離れるけれど、心は、想いは、いつも君のそばにいるから。安心しておやすみ」
〈クマさん〉の丸い手が、相棒の頭を撫でる。肩に毛布をかけ、蝋がほとんど残っていない蝋燭を消す。
カーテンの開いた薄いレースのかかる窓に向かって、初めて歩いた子どものようにゆっくりと歩く。
真っ暗になった殺風景な寝室を、月あかりがほんのりと照らす。夜空には星が煌めく。今日は天の川が見える。冬の細い天の川は、淡く薄い光を放つ。
「相棒の心の灯が消えてしまう前に、復讐を果たして灯を取り戻さないと。これが僕が生まれてきた使命」
〈クマさん〉は音を立てないように窓を開け、バルコニーに出る。
かつて栄華を極めた旧外務大臣の屋敷は、いまでは人気がなくひっそりとしている。
彼の寝室のバルコニーから広大な庭園を見渡す。手入れがされなくなった植物は枯れている。
失脚後、使用人は去り、庭師もいなくなった。雇えるほどの財力ももうない。国庫を私欲で空にしたことが明るみになり、賠償金に多くの私財を充てた。この屋敷も差押えられている。
彼の妻は子どもたちを連れて実家に帰ってしまった。もうこの屋敷には、旧外務大臣と〈クマさん〉しかいない。
冬空はとても冷たくて刺すような寒さ。それでも相棒のために行かなかければならない。
〈クマさん〉は旧外務大臣の寝室のバルコニーから、夜空に向かって飛び立った。




