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太陽を追う連鎖

灰色の雲から、粉雪が舞い落ちていた。

かつて温暖だったはずの赤道直下のこの地域にさえ、今や分厚い氷河が迫りつつある。太陽のエネルギー低下――抗うことのできない「恒星の寿命」による急激な寒冷化が、地球上のすべての生命を緩やかに殺し始めていた。


「また氷点下更新か。……どうせ何をやっても、この星はもう終わりだ」


国際宇宙開発機関の主任エンジニアであるアースは、吐き捨てるように呟き、防寒コートの襟を立てた。

彼の目の前には、採掘限界を迎えた広大な地下炭鉱が広がっている。いや、彼の視線の先にあるのは「石炭」ではない。三億年前の石炭紀の地層から掘り出された、絶対にそこにあるはずのない超古代のオーパーツ。

漆黒の装甲に覆われた、全長数百メートルに及ぶ巨大な『箱舟』の残骸だった。


アースの手には、残骸の中心部から発見されたというソフトボール大の黒い球体――『星系儀』が握られている。

現代の最新鋭のスーパーコンピュータを何ヶ月回しても、この球体と巨大な箱舟は一切の沈黙を保ったままだった。他星への移住計画はとうの昔に頓挫している。人類はただ、この凍てつく地球で、静かに滅びの時を待つしかないのだと、アースはとうに諦めていた。


「アース主任! 頼むから、一度でいいから私の話を聞いて!」


吹きすさぶ風の中、足場を駆け下りてきたのは、文化人類学者のイシュタルだった。

彼女は絶望に沈む研究チームの中で唯一、異常なほどの熱量を持っていた。手には古びたフィールドノートと、音声データの入ったタブレットを抱えている。


「何度言えばわかるんだ、イシュタル。これは物理学と宇宙工学の領域だ。君の集めている『おとぎ話』が入り込む余地はない」

「いいえ、繋がっているのよ! この星系儀の表面にある微細な幾何学模様を見て!」


イシュタルはタブレットを開き、世界中の地図と、無数の先住民族の写真をホログラムで投影した。

「アマゾン、ポリネシア、アフリカの奥地……お互いに全く交流のなかったはずの先住民族たちの間に、共通して伝わる『神聖なタトゥーの模様』があるの。それが、この星系儀の模様と完全に一致しているわ」


アースは顔をしかめた。ただの偶然だ、と一蹴しようとした彼の耳に、イシュタルが再生した一つの『音声』が飛び込んできた。


『……ンー……ンンー……』


それは、言葉を持たないシンプルなハミングだった。

世界中の先住民族のシャーマンたちが、数万年にわたって口伝で受け継いできたという『大地の祈り』の歌。

その低く力強いリズムを聞いた瞬間、アースの胸の奥で、理屈ではない強烈な悪寒と、熱い感情が同時に沸き上がった。


「この歌の音階……。まさか、システムが要求している暗号周波数と……」

「そうよ! 彼らは『文字』を持たない代わりに、この複雑なパスワードを『歌』として、遺伝子レベルで子孫に刷り込んできたのよ!」


アースは震える手で星系儀を掲げ、イシュタルのタブレットのスピーカーを近づけた。


『――ンー……ンンー……』


三億年という途方もない時間を超え、ただ生き延びるためだけに獣へと退化した人類の祖先が、本能の底に刻み込んだ悲壮なる祈り。

その歌声が響き渡った瞬間。


『音声パスワードの照合完了。……システム、再起動(リブート)』


アースの掌の中で、三億年間沈黙していた星系儀が、眩い光を放った。

同時に、地底を揺るがすような重低音と共に、巨大な箱舟の漆黒の装甲に青白いエネルギーの脈動が走る。炭鉱全体を包み込むように、巨大なホログラムの空間が展開された。


そこに映し出されたのは、アースたちが全く知らない風景だった。

青黒く染まった不気味な夕空。いびつな形をした二つの月。猛烈な砂嵐が吹き荒れる、赤い砂漠。


『現在地:太陽系第四惑星(火星)』

『大気温度低下。居住可能領域(ハビタブルゾーン)の変動を確認。第三惑星(地球)への移住シーケンスに移行します』


無機質なシステム音声と共に映し出されたのは、冷徹な瞳をした一人の女性(テラ)と、涙を流しながらこの星系儀を受け取る一人の若者(ガイア)の姿だった。


「……火星、だと? じゃあ、俺たちは……」

アースは唖然としてホログラムを見上げた。隣でイシュタルも言葉を失っている。


彼らは地球で進化したのではなかった。

太陽が力を失い、かつて緑豊かだった火星が凍てつく死の星へと変わった時。第一の箱舟に乗って地球へと逃げ延びた『火星人』の末裔こそが、自分たちだったのだ。

強すぎる重力と猛毒の酸素に適応するため、自らの高度な知能を捨て去り、獣に退化してまで命を繋いできた先人たちの狂気的な自己犠牲。その血の滲むような果てに、今の自分たちがいる。


『太陽のエネルギー低下を検知。現在の第三惑星(地球)は、居住可能領域(ハビタブルゾーン)から外れつつあります』


システムの無慈悲なアナウンスが、真実を知り立ち尽くすアースに現実を突きつける。

火星を凍らせた太陽の衰退は、三億年の時を経て、今度はこの地球を凍らせようとしている。歴史は、全く同じ残酷さで繰り返されているのだ。


ホログラムの星系儀がクルクルと回転し、新たな『赤い軌道』を指し示した。


『生存のための次期移住目標座標を算出。――太陽系第二惑星、金星』


アースは、隣に立つイシュタルの顔を見た。彼女の目からは大粒の涙が溢れ落ちている。

(金星……。彼女の名前のルーツとなった星か)

地球を捨て、さらに太陽に近い内側の軌道へ。

それは希望への旅立ちではない。エントロピーの増大という宇宙の絶対ルールの前では、人類の足掻きなど、滅びの円環を一つ内側へと逃げ延びるだけの、終わりの連鎖に過ぎない。


金星に逃げたとして、次に来るのは水星だ。

そして最後には、太陽そのものが消滅し、逃げ場のない絶対的な暗闇が訪れる。


「……なんて残酷で、滑稽な命のリレーだ」


アースは自嘲気味に笑った。

かつて宇宙の真理に絶望していたはずの彼の瞳には、しかし、奇妙なほど穏やかで力強い光が宿っていた。

三億年。理性を捨て、獣に堕ちてまで自分たちに命のバトンを繋いだ「親」たちがいる。その果てしない執念を見せつけられて、ここで諦めることなど、到底できはしなかった。


「行くしかないだろう。地獄の底まで、逃げ続けてやるさ」


アースは星系儀を握り直し、三億年ぶりに目覚めた箱舟のメインハッチへと歩き出した。

粉雪が舞う灰色の空を見上げる。分厚い雲の向こうには、かつてテラが見つめ、ガイアが祈りを捧げた太陽が、今は力弱く、ただ静かに沈んでいこうとしている。


それは美しくも儚い、落陽のテラ(地球)の最期の景色だった。

アースは、世界中の人間が本能の底で覚えているあのメロディを小さく口ずさみながら、次なる星への一歩を踏み出した。

最後まで『落陽のテラへ』にお付き合いいただき、本当にありがとうございました!


本作のアイデアは、「もしかして人類の起源って、地球じゃなくて火星だったんじゃないか?」という、ちょっとしたSF的な妄想からスタートしました。


はじめての投稿で拙い部分もあったかと思いますが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!

よかったら感想など聞かせてもらえると励みになります。それでは!

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