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女医乃深雪の記録ー快楽の追及ー日常侵食編  作者: 女医乃深雪


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第79話 臨界の予兆


 静まり返った研究室に、生体反応計測装置が吐き出す無機質なデータの更新音だけが響く。

「……前回のデータと照合しています」

 深雪はモニターから目を離さずに言った。その声は平熱で、一切の感情を排している。

「まだプログラムは待機状態ですが、心拍の立ち上がりが早すぎる。実技による物理刺激を伴わない段階で、すでに前回の頂点へ向かうルートの三割を、脳内の自己発火だけで埋めています」

 篠原は、拘束ベルトの重みに耐えながら、薄く目を開いた。

 荒くなる呼吸を理性で抑えようとするが、肺が取り込む冷たい空気すら、パッチで過敏になった神経には異質な刺激として届く。

「……そん、なはず……。何かの、間違いよ……」

「間違いではありません。あなたの報酬系が、この装置との接続を『待望』していた結果です」

 深雪はそう断ずると、手元のダイヤルに指をかけた。

「さらに計測の正確性を期すため、パッチの信号圧を一段階引き上げます。神経パルスの微弱な減衰を補完するために」

 篠原が何かを言いかける前に、深雪の指先がわずか数ミリ、ダイヤルを回した。

「っ……、ん、んう……!」

 叫びにはならない。

 うなじのパッチから脊髄へと流し込まれる「情報の密度」が一段濃くなった瞬間、篠原の背筋が、不可視の糸で吊り上げられたように強張った。

 物理的な痛みでも、ましてや直接的な快楽でもない。ただ、脊髄を通り抜ける電気信号の「重圧」が、彼女の脳幹を一段高く、鋭く押し上げた。

 

 モニター上の心拍計(赤)が、目に見えて一段、その底値を更新する。

「ノイズが消え、信号が安定しました。……これで準備は完了です。多点センサー、第一段階のプログラムを起動します」

 深雪の指先が、操作パネル上の深部に配置された接点へ、微細な駆動命令を送信した。その瞬間、篠原の深部を占拠していた重厚な質量が、細胞の隙間を埋めるような密やかな振動を開始した。

 

「っ……! んん、っ……」

 叫びを押し殺した篠原の肉体が、拘束ベルトの中で硬直する。パッチの増幅設定を一段上げたことで、その微小な振動は、脊髄を駆け上がる強烈な神経パルスへと変換されていた。内腿の筋肉が不随意に波打ち、ステンレスの台を微かに叩くが、彼女はまだ、奥歯を噛み締めてその熱波を耐え忍んでいる。

 深雪は、篠原の苦悶の表情には目もくれず、モニターに表示される数値の推移だけを追っていた。

「……伝達効率、前回計測時より大幅な向上を確認。パッチによる同期圧が、脊髄レベルでの減衰をほぼゼロに抑え込んでいます。報酬系への到達電位も、予測曲線をなぞるように上昇。……委員長、バイタルはまだ許容範囲内です。このまま継続します」

 篠原の視界が、パッチから逆流する信号の熱で明滅する。

 理性の防壁は、まだ機能していた。だが、それはすでに「逃げ場」を失った、脆い土塁に過ぎない。側坐核から溢れ出そうとするドーパミンが、臨界点(スレッショルド)のわずか手前――80%の地点で、出口を求めて濁流のように渦を巻いている。

 深雪が「追い込む」必要などなかった。

 装置とパッチ、そして自分自身の肉体が作り出す生理学的な事実が、篠原美沙子という人間の「形」を、内側から静かに、確実に削り取っていた。

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