75.礼と謝罪
そろそろ終わりまっせ
「大樹海との友好は今後も変わらない事を確認し、悪魔の奸計に陥れられ、不幸な行き違いから発生した戦闘による賠償などの交渉は半月後から開始される」
袖の長い皇族として相応しい盛装に身を包み、周囲の人々よりも数段高い場所でカルステッドが式典の開催と、これからの予定を告げる。
不信感と猜疑心に満ちた多くの視線に震えそうになる度に会場の何処かに居る優希の姿を探し、彼女から貰った勇気を思い出して自らを奮い立たせていた。
彼は続けて傍に控えていたルゥールーを手で示し、彼女がエルフの姫君である事、わざわざ両国の友好の為にこの地まで出向いてくれた事を語りながら場を譲る。
「この場限りの代表者として挨拶させて頂きます――」
壇上を見上げるシルヴィは、普段のお姉ちゃんらしく振る舞う姿からは想像も付かないお姫様らしいルゥールーの所作に、言葉遣いをただじっと見詰めていた。
「あの時以来ですな」
壇上の挨拶が終わり、各々が自分が話したい相手へと声を掛けても良い自由時間となった瞬間シルヴィ達へとそう声を掛けて来たのはシェイエルン辺境伯である。
一応立食や飲み物も用意されているけれど、これからどうしようか? と顔を見合わせていたシルヴィと優希は誰かに話し掛けられるとは思っていなかったのか驚きのあまり咄嗟に言葉が出てこない。
そんな二人の様子を察してなのか、「貴方方に話し掛けたいと思っている人間は想像以上に多いですよ」と小声で助言をした。
「改めて――皇王陛下より南の国境地帯を預かっております、シェイエルン辺境伯のグラードと申します」
その貴族としての正式な挨拶に優希は「そういえばこの国の礼儀作法とか完璧に習ってない!」と青ざめ、慌てて日本式のお辞儀で誠意だけでもと挨拶を返す。
そんな優希とは違い、シルヴィは自らの母親から教わった「正式な挨拶」としてシェイエルン辺境伯の両肩に手を置き、そして続けて頬を撫でた。
まだ未成年の幼い少女に頬を撫でられ、シェイエルン辺境伯は一瞬だけ目を瞬くも何かを察したように微笑んだ。
「よく学ばれていた様ですな」
「うん? ……うん、多分そう」
シルヴィがこれまでの出来事を通して、自分の母親から教わった物に助けられていた事は事実だ。
そして教わった事をきちんと覚えて実践できたのだから、自分がよく学んだという事も事実だろうと彼女はシェイエルン辺境伯の言葉を首肯した。
「あの時はお二人のお力と知恵のお陰で助かりました。どうか、お礼をさせてください」
その言葉と共に頭を下げるシェイエルン辺境伯の姿に、周囲からざわめきが起こる。
「え、えぇ?!」
「確かに受け取った」
慌てる優希と、堂々と礼を受け取るシルヴィというチグハグな二人に辺境伯は苦笑しつつ頭を上げた。
「いやなに、お礼がしたかっただけなので私はこれで……これ以上お二方を独り占めする訳には参りますまい」
「え、あっ、はい」
「独り占め?」
用事が済んだら無駄話をせずにその場を離れた辺境伯と入れ替わるように、何処か緊張した面持ちのカルステッドがルゥールーを伴ってシルヴィ達の下へと歩み寄って来た。
「その、何か……不自由はないだろうか?」
「あ、はい! 大丈夫です!」
「問題ない」
シルヴィ達――というより、優希の方をチラチラと見ながらカルステッドは言葉を紡ぐ。
「んっ、ゴホン! ……先ずはシルヴィ殿に礼を。瀕死の重体だった私を癒してくださり、そして天使――あの悪魔の影響を完全に取り除いてくれて感謝する。そして短い間ではあったが、多大な迷惑を掛けたと思う。……すまなかった」
先ほどのシェイエルン辺境伯の時よりも深々と、直角に腰を曲げて、頭頂部を晒すほど頭を下げた。
「あっ、いや、えっと……」
根が小市民である優希の精神力はもう既に限界だった。シェイエルン辺境伯からのお礼だけでも畏れ多いという感情が強かったのに、今度は皇族からの謝罪である。
これが自分だけに向けられた物であれば即座に頭を上げるように言うであろうし、簡単に赦しの言葉だって与えられた。
けれどカルステッドはシルヴィと優希とルゥールーの三人に謝罪しているのだ。二人の意向も窺わなければ、自分だけで返事しても良い事柄ではなかった。
「……私は大樹海への十分な賠償と、今後暫く交易で優位に立てればそれで良いよ」
ルゥールーの言葉を要約するならば「謝罪するなら誠意を見せろ」である。
形だけの謝罪に何の意味もないし、本当に申し訳ないと思っているのであればそれ相応の便宜を図れと言っているのた。
「……わかった、努力しよう」
頭を下げたまま、しかしハッキリとカルステッドはそれに応じた。
最後に責任を取る皇族が必要であるため、ギルベルトが旅から戻るまで自分の立場は保証されるが、それ以降はどうなるか分からないお飾りのトップである自覚があった。
だからこそ、必要以上に他国へ、大樹海への配慮を見せる事は周囲に侍る家臣が許さない。けれども最大限の努力はすると口にした。
「――貴方の全てを赦しましょう」
三人の中で一番被害を受けていたのはルゥールーである。そのためシルヴィは「お姉ちゃんが赦すなら」と、頭を下げるカルステッドの両肩に手を置き、そして左手を自らの胸に、右手を彼の頭に乗せて厳かにそう告げた。
罪の告解を行い、懺悔した者に対して聖職者がそれを見届け、神に対して「私は赦しを与えても良いと思いますよ」という口添えをする意味もある動作。
簡単に主の視線を引き寄せるシルヴィにされては心強いなと、カルステッドは床に向けて複雑な表情を浮かべた。
「ユウキ」
「え?」
「後はユウキちゃんだけだよ」
「あっ、そっか! え、えっと、私も赦しますので顔を上げて下さい!」
シルヴィとルゥールーの二人から促され、そこで漸く赦すか赦さないのか意思表明をしていないのは自分だけだと気付いた優希が、慌てたようにカルステッドへと言葉を掛ける。
それでもすぐには頭を上げず、たっぷり数秒ほど下げ続けた後にやっとカルステッドは顔を上げた。
「その、こんな私を赦してくれてありがとう……」
「いえいえ! そんなそんな!」
心臓に悪いと苦しそうに胸を抑える優希を心配しながらも、カルステッドは何処か言葉を探す様に視線を彷徨わせる。
「あっ、と……その、なんだ……」
「?」
彷徨わせていた視線を伏せて、そして首を傾げる優希をじっと見詰めながら恐る恐る口を開く。
「ユウキ、は……その、義弟と旅に出るのか? 危険だし、もしもこの国に残るというのであれば支援するが……この国の恩人の滞在に否を唱える者は居ないと思う」
「えっ、と……?」
唐突な申し出に優希は困惑するしかない。
いったいどんな意図があるのかと考えてみて、もしかして普通に心配されているのかも知れないという答えに至る。
シルヴィ達の旅の最終目標は魔王の討伐、ないし無力化である。そんな危険な旅に戦う力の無い自分が同行しても大丈夫なのかという事なのだろう。
優希自身も自分の力不足は痛感するところであり、自己評価が低いせいもあってかこのままシルヴィ達に付いて行って足手まといにならないか不安になる時もある。
「もしも自信が無いのであれば、この国に滞在するのも一つの手ではないだろうか……貴女の事は僕が全力で――「だめ」」
優希の不安を感じ取ったカルステッドが全てを言い終えるよりも前に、シルヴィが彼の前に立ちはだかる。
「だめ、ユウキは私が守る」
横から優希を抱き締めての二度の拒絶。
「そ、そうか……シルヴィ殿が守るのであれば、要らぬ心配だったな……」
酷くショックを受けたカルステッドの様子に、ルゥールーは何となく全てを察した――弱ったところに付け込むなんてユウキちゃんも悪女だなと。
「私も残らない」
「? それは知っているが、何故シルヴィ殿が残らないと?」
「ん? 以前に求婚? とかして来たから?」
「…………あ、あ〜!」
一瞬だけ「何いってんだコイツ」という顔をしたカルステッドが、少し経って何かに思い当たったような声を出す。
ルゥールーは「えマジ? シルヴィちゃんにも粉掛けてん?」と少しばかり驚きの表情で一歩下がり、成り行きを見守る体勢に入った。
「あ、あれは違って……その、ギルの真似をしたというか……僕の義弟はだいたいあんな感じの言動で女性を味方に引き入れていたから、それを取り入れれば僕も味方が増えるかも知れないと……」
「えぇ……?」
「あっ、そういう事か」
意味が分からないと困惑するシルヴィとは違い、優希は最後まで解けなかった問題の答えが分かったような顔をした。
彼女からしたらカルステッドからのシルヴィへの言動は完全に口説いている様にしか見えなかったが、その後の漏れ聞く話や関わった際の言動からどうも「第三皇子は聖女の如き娘を勧誘しようとして失敗したらしい」というニュアンスで、そういった認識で皆が行動していた。
これは優希からしたら意味が分からない。だって勧誘も何も、直接自らの派閥に所属して欲しいとか、そういった事は一切会話に無かったからだ。
口説いて失敗したのが捻れて伝わったのかな、とは思っていたが、まさかアレが本人も口説きではなく勧誘だと思って行っていたとは知らなかった。だから最初に「お前達が勘違いしただけだ!」と怒っていたのは本音だったという事になる。
「そ、それに僕は子どもに求婚するような趣味は持ち合わせてはいない! だから勘違いしないで欲しい! ……その、勘違いさせる言動をしてしまった事は謝罪するが」
優希へとチラチラと視線を送りながら、何かを恐れるように弁明するカルステッドを見ながら優希は「彼も彼なりに、義弟の真似をしてみたり頑張ってたんだなぁ」と遠い目になった。
つまり、あの支離滅裂な傍若無人な振る舞いも全て普段のギルベルトを参考にしていて、今目の前に居る彼が本当の素なのだと今更ながらに気付いたのだ。
中身が伴わず、上っ面だけの模倣になってしまったばかりに失敗したのだろうと。
「だから、その……ユウキ!」
「え、あっ、はい! なんでしょう!」
考え込んでいた優希は、焦ったカルステッドの声に驚き我に返った。
「わ、私は……僕は断じて未成年に手を出そうとする愚か者ではない!」
シルヴィは思った――「そういえば私まだ未成年だった」と……いきなりこの歳で旅に出されたけど、まだ親の庇護が必要な年齢だったなと。
「女性と手を繋いだ事はまだ一度たりとて無いし、どうか貴女には勘違いしないで欲しい!」
「え、えっ! あ、はい! わ、分かりました?」
カルステッドの勢いに思わず首を縦に振ってしまった優希だったが、今までの誤解が解けたところだったので勘違いも何もない。
女性と手を繋いだ事もないと暴露されても、それで何を勘違いしないで欲しいのかも分からなかった。
「……いや、すまない、少し興奮し過ぎたようだ」
「あ、いえ……」
目を白黒させる優希の反応に冷静さを取り戻したのか、顔を赤くしたカルステッドが咳払いをして調子を整える。
「まぁ、その、なんだ……旅に出たとしても、僕はもう貴女達の味方であると覚えていて欲しい。旅の途中だろうと、もしも疲れてしまったのなら何時でも帰って来ても良いと義弟にも伝えてくれないか?」
「……分かりました、必ず伝えます」
「頼むよ。格好付けて出て行った手前、目的を遂げるまでは戻っては来ないとは思うけどね……」
少しばかり寂しそうに「別れの挨拶も無しか」と、城の外を見詰めるカルステッドに優希も思わず神妙な顔をする。
「あっ、と……じゃあ、私はこれで失礼するよ」
優希に向き直ったカルステッドは辞去する意を伝え、そして目を逸らし、また優希の目を見詰めた。
「やっぱり怖くなったり、無理だと思ったら遠慮せず頼って欲しい……それだけだ」
真っ直ぐにそれだけを伝え、カルステッドは今度こそ背を向けその場から立ち去った。
最後に見た彼の顔は、何処か憑き物が落ちたようだった。
「第一印象とは全然違う人だったね――シルヴィちゃん何してるの?」
別れの挨拶を終え、ふと後ろを振り返った優希はテーブルの下を覗き込んでいるシルヴィを視界に収め眉を寄せる。
「マイナスイオン探してる」
「ごめん、飽きちゃったみたい」
意味不明な事を答えるシルヴィのすぐ横で、困った顔をしたルゥールーが姉として妹の奇行を謝罪した。
飽きちゃったなら仕方ない()




