62.裏切り
時間が足りない、私だけ一日四十八時間は欲しい……
「鎮圧はどの程度終わったんだ?」
「ルゥールー様とシルヴィ様のお力添えもあり、皇都周辺は落ち着いております」
「それ以外はダメって事じゃねぇか」
突如として皇国の各地で起こった反乱騒ぎではあったが、ルゥールーが急成長させた樹木を通してシルヴィの祝祷術を広範囲に拡散させる事で反乱軍を正気に戻す事が出来ていた。
そのお陰で皇都の周辺は一時的に街壁よりも高い大樹に囲まれるようになったが、一滴の血も流す事なく鎮圧できたのだからギルベルトに文句はない。
ただ一部の貴族達から「これでは皇都がエルフに占領された様ではないか」「栄えある皇都が魔王の力に囲まれた」という不安の声が上がり、段々とそれが勢いを増して城内の多数派になりつつある。
「力が及ばす、申し訳ございません」
「お前が謝らなくていい」
シルヴィの祝祷術によって正気に戻るのだから、反乱軍を背後で操っているのは天使とやらと見て間違いはない。
最初の反乱の報告を受けた時にシルヴィ本人からも、どんな能力を使っていたかを聞いている。
だが今までコソコソと隠れて派閥を大きくる事だけに邁進していたのに、急にここまで直接的な手段に出て来るとは何かが起きたとギルベルトは考えた。
「入るぞ」
「お待ちしておりました」
「お前らは部屋の前で待機だ」
目的の部屋に入るなり、部屋の中で待っていた人物へと側近を排して向かい合う。
「それで? お前らの後ろ盾が暴走している様なんだが、理由を聞かせて貰おうか――ケルン侯」
「……」
音を立てて乱暴に椅子へと座り、足を組んで顎を上向かせながら居丈高な態度でふんぞり返るギルベルトの様子を気にした様子もなく、ケルン侯は顎をゆっくりと撫でさすりながら思考を纏める。
目の前の魔王の血を引く皇子では国は荒れると、周辺諸国から危険視されて各国から同時に叩かれると思ったから支持は出来なかった。
けれど、魔王の血に対抗する為に力を借りる事を良しとした天使が暴走し、国が荒れるのは頂けない。
そこまで考えて、ケルン侯はやっと口を開いた。
「あれは――悪魔ではなく、本物の天使です」
「あん?」
「なぜ暴走したのかですが、恐らくシルヴィ殿の存在が原因でしょう」
「……続けろ」
天使を騙る悪魔、魔王軍の手の者だと思っていたギルベルトは本物の天使であるという発言に鋭く目を細める。
もし話が事実なら本物の天使がなぜ人間の国家をここまで掻き回すのか、流石に介入のし過ぎではないのかと不信感が募る。
「まずなぜ本物の天使であると確信したのかですが、我々の協力者にはアルトゥールが居ます」
「先代聖女の護衛騎士か」
「えぇ、彼もまた高位の神官でもありすから天使と悪魔を間違える筈がありません」
力の強い悪魔によっては聖職者すら騙し、堕落させる事が出来るが、アルトゥールによれば「あの方は誰かの守護天使をしていたであろう、天使の中でも人間に近い下位の存在」と言っていた。
そこまで分かるのであればアルトゥールほどの高位神官が騙されているとは思えない。
「あの方の目的は行方不明の同胞の捜索、魔王の排除、異界の情報の削除だそうです」
「……つまりお前らとは利害が一致したという訳か」
「左様ですな」
「で? それがどうシルヴィと関係する?」
「シルヴィ様からは二柱の同胞の気配がしたそうです」
流石に意味が分からなくてギルベルトも眉を顰めるしかない。
「天使殿が城内で騒ぎを起こした日以来接触も無いので、流石にそれ以上の事は分かりません……しかしながら、自らの使命を達成する為に魔王の子である殿下を排除し、シルヴィ様を手中に納めんと強硬な手段に出たと推測できます」
「チッ、面倒な……これからクソ親父をぶん殴りに行くってのに、有象無象の人間共だけじゃなくて天使までちょっかい出してくる可能性があんのかよ」
二柱の天使に関してはシルヴィ本人にも聞いてみるが、あの様子じゃ本人も全然分かってなさそうなところが頭が痛いとギルベルトは唸る。
仮にシルヴィの中に二柱の天使が潜んでいたとして、天使ほど詳細には感じ取れなくとも高位の聖職者なら何かしら察する部分もあるかも知れない。
そういえばと、クラウヘンから脱出する際に教会がやけにシルヴィ個人に対して協力的だったと報告を受けた事を思い出す。
「まぁ、いい、本人にも聞いてみるが恐らくアレも自分の事に関しては何も知らんだろう」
「……左様ですか」
「アレの母親……ダイナ・ハートを捕まえるのが一番早い」
「現実的ではありませんな」
「そうだ、だからこそ現実的なこれからの話をするぞ」
先代聖女ダイナ・ハートは世界中の国々が、信望者が、教会が、その全力をもって捜索にあたったのにも関わらず今現在も行方をくらませている。
娘のシルヴィと旅をすればフラッと向こうから接触してくる事もあるかも知れないが、そんな不確かな期待ならしない方が良い。
それよりも、起きている現実の対処に頭を悩ませた方が良いだろうとギルベルトは言う。
「我に対抗する為の切り札だった天使は暴走し、国を荒らすだけの困った存在に成り果てた」
「……」
「ならばケルン侯――もはや我の手を取らない道理はないな?」
「……仕方ありませんな」
国が割れる事は望んでいないと、ケルン侯は諦観の溜め息を吐いてギルベルトの手を取った。
「安心しろ、我は元敵対派閥の人間だろうが有能ならその働きに応じたポストを用意してやる」
「存じております」
目の前の皇子が――いや、皇太子が五十隻からなる海賊団や、元敵国の騎士すら配下に勧誘しては重要な仕事を任せている事をケルン侯はよく知っていた。
だからこそ、悔しくも情けなくもあるが、こうして素直に軍門に下る事が出来る。
「ハッハッハッ! じゃあ城は任せたぞ」
「どちらに?」
「古都コーポディア――そこに天使を名乗る奴が居座ってるらしいからな、ちょっとぶん殴ってくる」
「お気を付けて」
「我がそう簡単に死ぬかよ」
カラカラと笑いながら戦準備の為に部屋を出て行った皇太子を見送り、これからは明確に反対を表明するのではなく、内側からそれとなくギルベルトの政策に軌道修正を仕掛けるなどしなければならないなと予定変更による影響を頭の中で計算していく。
それでも目に見える反対派が減るのだから、以前よりも他国から警戒されるのは既定路線だろう。
「さて、先ずは城内の不満を鎮めねば――」
「その必要はありませんよ」
静かに立ち上がったケルン侯の胸を、その言葉と共に細剣が穿いた。
「ごふっ?!……な、何故だ……アルトゥール……」
「これも我が聖女様をお救いする為です」
無造作に細剣を引き抜き、血溜まりに沈むケルン侯を見下ろしながら皇国最強の騎士は澄んだ瞳で口を開く。
「今度こそ、私は聖女様を守り通さねばねりません――それが例え堕天使様から力を借りる事になったとしても」
「――っ」
もはや言葉を発する事も出来ないケルン侯は掠れる目を見開き、苦渋の表情を作るアルトゥールを見詰める。
「そなっ、ごほっ……たは……」
「安心して下さい、貴方が最初に出会った時は本物の天使様でしたよ」
そうではない、そういう事が聞きたいのではないと、緩く首を振るも自分の命の限界が近付いて来ているのをケルン侯は感じ取っていた。
もはや自らを見下ろす狂信者に対して、何かを伝える力も無いらしい。
「聖女様こそが人類の希望――、ラ――様の――、主の憂いを――」
「お、ろか……もの……め……」
何を言っているのか全ては聞き取れないまま、その小さな呟きだけを遺してケルン侯はゆっくりと目を閉じた。
「例え愚かと罵られようと、これ以上〝聖銀の魂〟を曇らせる訳にはいかないのです――」
本人に裏切ったつもりは微塵もなかったり




