60.急変
先生!患者の容態が!
「聖女様に救いを求める民衆がこれほど居るとは」
最初に口火を切ったのはケルン侯だった。
周囲を見渡し、時折漏れ聞こえる人々の囁き声と現場に辿り着くまでに耳に入っていた騒ぎから大体の事情を察した上での発言。
それはシルヴィが新しい聖女であるという既成事実を作り出し、自らの利に換えようという動きだった。
シルヴィが聖女として世間から認識されれば教会も動かざるを得ず、そして教会は二度も同じ過ちは冒さない。次こそはと必ずシルヴィと魔王の子を引き離す。
そうすればシルヴィが自分達の味方にならずとも、相手から取り上げる事は出来る。
「聖女? ……ケルン侯、私の覚え違いでなければ現在聖女は空位であった筈だが?」
即座に反論がギルベルトから飛ぶ。
事実としてシルヴィは教会に所属していないし、今現在の聖女は候補者が何人か居る程度で空位だが、だからといって教会の許可もなく聖女を名乗らせるなど頭がおかしくなったのかと痛罵した。
「だが神の視線を集め、本物の加護をその身に宿し、祝福を授ける彼女はどの聖女候補よりも聖女らしい。なんなら私が教会に推薦しよう。大司教殿とは旧知の仲だ」
「それには及ばない。私の妹は教会に所属していない自由の身だ。私生活の全てが制限される聖女の地位よりも、みんなで家族旅行に赴く事を望んでいる」
「皇子が優秀な人材を集めてらっしゃるのは存じておりますが、いくら自らの傍に引き入れる為とはいえ皇族の立場で自らの血縁だと偽るのは如何なものかと」
「母親じゃねぇ、父親が一緒なんだ」
「そこまで堂々と嘘を吐かれるなど驚きです。あれ程の祝福を行える次代の聖女様に魔王と縁があるなどという勘違いが広まっては可哀想ではないか」
「事実だ。コイツも魔王の子で我の妹だ」
「事実無根です。シルヴィ様は決して魔王の子などではありません」
突然始まった対立派閥の重鎮の口論に周囲の貴族関係者達は固唾を飲んで見守る。
何故自分達がこんな場所に居るのかさっぱり分からない平民であっても、なんかすげぇお偉いさんが喋ってるのを邪魔しないでいた方が良いという程度の頭は回る。
どのタイミングで仲裁した方が良いのか、それよりも天使は何処に行ったのか、少し離れた位置から俯瞰して周囲の草花から情報を得るルゥールーと、会話内容から『シルヴィちゃんの出自で争ってる?』と勘づき始める優希。
そんな各々が自分に出来る精一杯の状況把握に努めようとしている中で、話の中心であるシルヴィが一歩前に出る――
「――やめて! 私の為に争わないで!」
訪れる静寂。ドヤ顔のつもりのシルヴィ。
ギルベルトは頬を引き攣らせ、ルゥールーは「あーあ」といった顔をし、優希は直前で気付いてシルヴィを留めようと伸ばしかけた手の行き場を無くしてオロオロと狼狽え、先代聖女ダイナ・ハートを知るケルン侯は唐突に場を引っ掻き回す言動に既視感を覚えてそっと目を逸らす。
「おぉ……」
「正に聖女様」
そんなシルヴィのいつもの奇行ではあったが、彼女の表情が乏しいせいで他の者の目には真剣に皇子と侯の口論を憂いている様に映った。
シルヴィが真顔で行うアホな言動も、彼女の事をよく知らない者たちと、奇跡的にこの場の状況と噛み合った言葉選びによって聖女らしい行いにしか見えなかったのだ。
「私の為に争わないで」
シルヴィからの追撃――まさか自分が本物の聖女の如き印象を持たれているとは露知らず、シルヴィの胸の内は満足感でいっぱいだった。
母親から「自分を巡って男性が対立したら言うべき言葉の一つであり、これを言う事は女性の誉れである」と吹き込まれていたからだ。
いつかやってみたい事、言ってみたい事を叶えられてシルヴィは感無量だった。
「た、大変です――!!」
そんなシルヴィの奇行によって一瞬訪れた静寂を縫うように、また新たな男の声が響き渡る。
「皇太子殿下! 急ぎ執務室にお戻りを!」
ギルベルトの前に跪き、焦った様子でそう要求するのは皇太子付きの武官の一人だった。
只事ならぬ様子にまた何か問題が起きたのかと顔を顰めたギルベルトは溜め息を一つ吐いてから、周囲の人間へ解散を命じる。
「我は急ぎ執務室に戻る。姉貴達も来い。ジェシカはここに集まった者たちから尋問して情報を引き出し、問題がないとは判断できた者のみ家に帰せ」
「はっ! 承知致しました!」
「じ、尋問!? 待ってくれ! 俺たちだってなんでこんな場所に居るのか分からねぇんだ!」
「皇子! あまりにも急でいて強引ですぞ!」
背後から聞こえてくる様々な声の一切を無視して執務室への道を戻る……その途中でチラッと背後を振り返ったギルベルトは、何もせず、ただじっと何かを考える様子のケルン侯と目が合った。
「……後でこっそり会う必要があるな」
「ん?」
思わずボソッと漏れた呟きにシルヴィが反応する。
「なんでもねぇ、後お前はもう余計な事をしてくれるな」
「なにが?」
「……おい、ちゃんとコイツの面倒を見ておけ」
「す、すいません……」
本当に何の事か分かってない顔をするシルヴィに肩を竦め、理不尽に叱られて涙目になる優希にルゥールーがそっと寄り添った。
その日、古都コーポディアで反乱が起きた。
日本でいう京都や奈良で反乱が起きた感じ。




