10話:オオカミ達の夜襲
空の中心に輝く満円の月。
星々を伴った淡い光が、闇色へ沈む世界に仄かな色彩を与えている。
虫の音も聞こえない深い夜、凪いだ静寂は大地を占める。
僕達の前に広がるのは、動くものの気配なき魔領大根畑。
稀に流れる夜風へ吹かれ、植わる青葉が小さく揺れた。
今のところ異常はない。
「仕事で疲れてるだろうから、ミナトは家で休んでてよかったのに」
「あれぐらいじゃ疲れない。そもそも、フユを一人にしておく方が心配。無茶をしないか見張る」
「協力してくれるのは嬉しいけど、信用ないなぁ」
「三か月前、死にかけたのは何処の誰?」
「それを言われると、反論できないよ」
この集落に来てからというもの、僕が普段と違うことをしようとする度、ミナトは目敏くそれを見付けて傍へ控えるようになった。
聖剣を携えた黒騎士との戦いで、致命傷を負わされた事が原因だ。今までも魔王親衛隊としての任務で戦い、負傷することは少なくなかったけど、あそこまで追い詰められたことはない。ミナトの前で半死半生へ陥ったのは初めてで、それが彼女にトラウマを受け付けてしまったのだろう。
その結果、厄介事へ対処しようとしても単独行動を許さなくなった。よって本日も集落食堂で仕事を終えたミナトが合流し、二人でジューローさんの畑を監視している。
「フユのことも心配だけど、それだけじゃない。畑も大事。ここの大根は食堂でも使うから」
「ああ、皆のためにも原因を突き止めないとね」
ミナトの表情も口調も、平時の冷静さを保っている。
その中で瞳だけは確かな熱量を湛えていた。
食堂で働き、多くの村民と触れ合うからこそ、損害に繋がる問題は許せないようだ。村への馴染み度合いでいえば、僕よりも上だと思う。
「どうやら来たみたいだ」
ミナトと話していると、森の切れ間に動きがあった。
木々の並ぶ影を抜け、四足で歩く発狂オオカミが姿を現す。
最初の一匹へ続いて、後ろから三匹が順番に月光の下へ進み、灰色の体毛までが明らかとなる。
体の大きな四匹が、迷いのない足取りで真っ直ぐに畑へと向かってきた。
途中にはジナイさん特性の嫌忌薬もしっかりと撒かれている。獣の本能を衝く魔女の秘薬だ。
しかしオオカミの動きに変化はなく、僅かにも反応を示さない。
問題の境界線へ差し掛かっても同じ。それどころか文字通り素通りしてしまう。
「おかしい」
嫌忌薬が効かなかったことだけじゃない。
僕とミナトの周囲は透過魔法による力場を作り、展開範囲内にいる限り外からは姿が見えなくなっている。僕達の立ち位置は風下で、匂いが獣側へ届く心配もない。つまりこちらの存在はまだオオカミ達に気取られていない。
そうだとしてもだ、あまりに発狂オオカミの歩みが直線的すぎる。野生動物であれば、本来の活動圏から離れて動く際、もっと警戒している筈。しかし森から現れた四匹は周囲を探らず、匂いも嗅がず、畑への最短距離を直進していた。
異常なほど無防備だ。既に襲撃経験があることを前提にしても、罠が仕掛けられていないか、前回と違う点はないか、初歩的な面さえ気にした素振りを見せない。それも四匹全てが。いくらなんでもおかしい。
野生の発狂オオカミといえば、狂暴さと高い知能を併せ持つからこその危険種。それなのに知的要素のない歩みは、飼い馴らされた獣と比べても劣り杜撰にすぎる。
違和感はよりいっそう強くなった。
「どう思う、ミナト」
「普通じゃない。無警戒すぎる」
「ああ。透過魔法の力場で魔法を使えば、これを破って消してしまうけど、こちらから行動してみよう」
「分かった」
ミナトの相槌を確認して、僕は掌に魔力を集める。
体内巡る力の脈動に意識を浸し、流れを導いて一点へと走らせた。
枝分かれた魔力の線が手中で渦巻くのを感じつつ、働き出る現象をイメージする。思い描くのは、燃えて盛る炎の象徴。
僕の思考に呼応して、魔力という名の、何物でもない可能性の力が変性された。急速に熱を宿して滾り出し、次には燃える炎そのものへと発現する。
呪文・詠唱は術者が望む現象へと存在性を変えた魔力に指向性を与え、支配し操作するための言わば舵。魔韻を含んだ発声で魔力を制御し、目的のために研ぎ澄まして無駄を省く。そうすることで洗練された事象を紡ぐ、これが魔法だ。
「紅の速矢、目掛けて翔けろ」
一声と同時に掌から炎が飛び立ち、透過魔法の力場を貫き上昇する。
魔法同士の干渉によって、力場は硝子の砕けるような音と共に掻き消えた。
放たれた炎は上空で火矢となり、放物線を描いて急降下する。向かう先は発狂オオカミ。
普通ではない獣達の眼前へと即座に迫り、鼻先を掠めて大地へ落ちた。それと共に炎が勢いよく噴き上がり、周囲を赤々と照らす。
だが、オオカミ達は怯えることも、退くこともしない。燃え立つ火柱に驚くこともしないで、体を避けて更に前へと進んできた。
「炎にも無反応? どういうことだ」
「フユ、連中やる気」
ミナトの指摘が通り、発狂オオカミの様子が変わる。
嫌忌薬にも魔炎にも動じなかったが、僕達の姿を見付けると、爪を立てて牙を剥き、獰猛な唸り声を上げ始めた。
敵意は明らか。炎の赤色に変える目玉は奇妙に濁り、冷たい殺意にまみれている。
「ミナト」
「分かってる」
状況を前に名を呼べば、ただそれだけで伝わった。
ミナトの体が淡い光の粒子に包まれて、雷光の如く変じて飛翔する。光の流星は伸ばした僕の手へと飛び込み、粒子の散逸を経て一振りの剣を形作る。
透き通った蒼い刀身の、長く厚く幅広い刃。美しさと清烈さを併せ持つ精霊剣ミナトへ。




