寺下家の来訪
GBになってから一ヶ月が経ち、五月になった。グロ耐性も少ずつついてきて、今では幽霊を見て驚きはするものの、悲鳴をあげて腰を抜かすことはなくなった。
それでも怖くて震えるのだが、アタシにとっては大きな進歩だ。
銀行の預金も順調に増えていき、今ではちょっとした小金持ちだ。GBが高給取りなのもわかるが、命の危険や霊能力者の素質も勘定に入っていると思うと、依頼料が高いのか安いのかはわからないままだった。
ある晴れた平日の午前中。たくさんの荷物を抱えた真理子が、連絡もなしに突然森久保家にやって来た。
そしてエルザが実体化して紅白巫女と居間のちゃぶ台を挟んで向かい合い、座布団の上に正座して温かい緑茶を一口飲むと、彼女はおもむろに口を開く。
「親族と縁を切って来ました。沙紀の家に泊めてください。毎月の家賃はきちんとお支払いします」
「……はい?」
何でも実家に帰ってGB免許証の報告を行った真理子は、門下生たちの頂点である師範代となり、これから寺下家の門下生たちを指導する立場になるらしい。
GBの仕事は除霊が主だが、次代の霊能力者を育てることも重要で、寺下家としては除霊関係は門下生たちに任せて、授業料として回収するつもりだ。
彼女の容姿と実力なら、直接教えを請いたい者が大勢入門するのは間違いない。
しかし真理子は師範代よりも現場での仕事のほうに魅力を感じるらしく、親族と意見が対立して家出してきたと説明してくれた。
生まれてから今まで山奥に籠もって修行漬けの毎日だったのも、不満が溜まる一因になっていらしい。
「どうしても沙紀と一緒に、GBのお仕事がしたかったんです」
「そっかー…原因はアタシかぁ」
色々とお世話になったし真理子のことは嫌いではない。なので彼女の申し出を、はっきりと断ることは出来なかった。
アタシは頭を押さえながらどうやって穏便に実家に帰すかを考える。
「まあ数回一緒に仕事するぐらいなら」
「えっ? 何を言っているんですか? 沙紀とはずっと一緒ですよ?」
「……はい?」
自分に取り憑いているエルザがずっと一緒なのはわからなくもない。しかし真理子は友達だが、仕事を一緒にやる予定はなかった。今の発言は初耳だ。
理解が追いつかずにアタシの足りない頭が限界に達する。
「待って! つまり、どういうことなの?」
「これからはずっと沙紀の相棒として活動して、寝起きも共にします」
アタシは何も言えなくなった。流石に断ろうかと思ったが、本当に困っていたときに助けてくれた恩がある。
それに真理子は友人で今住んでいる家は広いので、同居人を受けいれるには不満はない。
何も言葉通りに受け取る必要はない。ずっとではなく親族と折り合いがつくまでだと考えれば問題はない。
寝起きを共にするのも比喩的表現で、もっと別の条件のいい宿泊先を見つければ、すぐにそちらに乗り換えるだろう。
「ああうん、わかったよ。同居はアタシは構わないよ。エルザは?」
「家主の沙紀が決めたことですし、私からは何もありませんわ」
「ありがとうございます! 沙紀! エルザ! 嬉しいです!」
森久保家は丸く収まったが、問題は寺下家のほうだ。見目麗しい紅白巫女が町中を歩いてここまで来たので目立たないわけがない。彼女の現在位置は知られていると見て間違いない。
これから真理子の親族はどう動くのか…と、アタシが一人で考え込んでいると、誰かに玄関の呼び鈴が押されたのか、来客を告げる音が響いた。
今日は宅急便か人が来る予定はないので、タイミング的にあからさまな不自然さを感じる。
「…エルザ」
「今回は仕方ありませんが、次からは害意を退ける結界を張っておきますわね」
ウンザリした表情でエルザは口に出すと、アタシに向かってフワリと飛び込んでくる。そのまま霊体になって自分の体に宿ったのを確認し、よいしょっと座布団から立ちあがる。
「アタシが行くから、真理子は居間に居てよ」
真理子が一緒だと事態がややこしくなりそうなので、彼女が返事をする前にアタシは玄関に向かう。
今の自分はエルザを宿しているため外には大勢の人間が居て、たとえ直接姿を見なくても、その全てが霊気を放っていることに気づく。
「はーい、どなたですかー」
招かれざる客だが、呼び鈴を押してくれただけでもまだ話が通じる。凶暴な悪霊は問答無用で襲いかかってくるのだ。
しかしまあ、だからと言ってすんなり帰ってくれるかと言うと、そんなことはない。内心気が重いが玄関の引き戸をガラガラと開けて、修験装束や法衣を着た屈強な集団と向かい合う。
「突然失礼する。俺は寺下と言う者だが、そちらに娘の真理子が来ていないだろうか」
お坊さんの法衣を着た渋いおじさんが一歩進み出て、アタシに真理子の所在を尋ねるが、確実にこの家に居ることを掴んでいるらしく、鋭い眼差しだ。
居間から真理子の霊気が漏れているのもそうだが、玄関には彼女が履いてきた草鞋が綺麗に揃えられているので、この状態で言い逃れは厳しい。
何しろ道を歩けば十人中十人が振り返るような絶世の美女だ。どう頑張っても隠し通せるわけがない。
「ええと…まあ、確かに家に居るけど。彼女に何か用なの?」
「家の事情で詳しくは言えない。…が、どうか真理子に取り次いで欲しい」
「娘さんは、貴方に会いたがってないようだけど」
双方の意見が対立した結果だと真理子からは聞いている。できれば友人に味方したいが、目の前に居る父親らしい人も一概に悪いとは言い切れない。
実際に取り次ぐかどうかは話を聞いてから判断するつもりだ。現当主の頼みが断られたことで、後ろに控えている門下生たちがあからさまに不機嫌な顔に変わる。
「なるほど。事情は真理子から聞いているわけか」
「一応友人だからね。GB試験会場で知り合ったんだけど、聞いてないの?」
「娘からは何も聞いてない。
GB試験に合格したので、これからは積極的に依頼を受けていきたい。…それだけだ」
彼女がアタシが友達だと話したところで、大反対される結果は変わらなかった。それとも真理子なりに、自分に迷惑をかけたくないと考えていたのか。
しかし目立つ彼女が森久保家に来れば、遅かれ早かれ面倒に巻き込まれる。そして今の友人発言で、父親だけでなく門下生たちも驚いているのがわかる。
「とこで、あー…キミは」
「森久保だよ」
「森久保さんは、娘と親しいのか?」
「うーん、どうなんだろう。GB試験でもアタシのほうばかりがお世話になってるし」
一緒のホテルに泊めてもらったり、住まい探しに付き合ってくれたりと、真理子にはお世話になっている。今の友人関係も彼女から申し込まれたものだ。
やはり同年代のGBだというのが大きいのだろうか。
「アタシも真理子も十五歳の女性GBだから。それで身近に感じてるんじゃないかな」
「なるほど、言われてみれば納得できる理由だ」
あとは偶然同日にGB試験を受けたりと共通点が多いので、何となく惹かれたのかも知れない。
「それと、真理子は親しい友人が居ないようだから、寂しかったのもあるかも」
「そちらは親として申し訳なく思っている。しかし、娘の天賦の才を腐らせたくはなかったんだ」
鍛えれば鍛えるほどに際限なく強くなっていく真理子に、親族の皆が期待した。そして友人と遊ぶ時間よりも修行を優先させるため、十五歳になるまで山奥に閉じ込めたのだ。
おかげで彼女はGB試験でも一二を争うほどの実力者に成長したが、その代償として家族の仲は冷え切ってしまった。
「…で、アタシが真理子に取り次いで、どうするの? また山奥に閉じ込める気?」
「寺下家が始まって以来の天才、真理子を次期当主にする。それは絶対だ。
だが親族がいくら説得しても、娘は耳を貸さないだろう」
目の前の父親が何を言ったところで、真理子が反発するのは確実だ。何しろ十五年分の不満が、たった今爆発したばかりなのだ。これを説得して和解するとしたら、奇跡でも起きない限り不可能だ。
もちろん彼も無理だとわかっていたからこそ、大勢の門下生を連れて来たのだろう。
「そこでだ。…森久保さん。キミに協力して欲しい」
力に訴えずにワンクッション置いただけ、まだ理性的だ。しかしアタシは、友人を山に連れ帰るための説得に手を貸すつもりはない。
「どうか、寺下家の門下生になってくれないだろうか」
「…は? どういうこと?」
てっきり娘の真理子を説き伏せるために利用する気かと思っていた。それがどうしてアタシが彼女の実家で修行しなければいけないのか。その理由を父親に尋ねる。
「森久保さんは娘の友人だ。
そんなキミが我が門下生になればわざわざ説得するまでもなく、真理子は喜んで実家に帰って来るだろう」
アタシは開いた口が塞がらなかった。彼の言っていることは正解だ。それをすれば確実に真理子は実家に帰る。
だが、こっちの気持ちを一切考慮していない。自分は基本的にはインドア派だが、不便な山奥に引き篭もりたいとは、欠片も思っていないのだ。なので返す答えは決まっている。
「お断りだよ! 門下生には絶対にならないからね!」
「森久保さんは受講料は必要ない。生活の面倒も見よう。
ただ、娘の側に居てくれればいい」
「うぐっ…こっ、断るよ!」
生活の面倒を見てくれると言われたので心がかなり揺れたが、辛うじて踏みとどまる。冷静に考えれば、それはアタシの一生を保証するわけではない。
あくまでも真理子の友人でいる間か彼女が当主になるまでだ。用済みだと判断されれば、すぐに放り出されるのは確実だ。
「ふむ、それは困ったな。こうなれば多少手荒になっても連れて帰るしかあるまい。…森久保さんをな!」
「…って! 何故にアタシ! せめて娘の真理子にしようよ!」
「決まっている! 本気になった真理子はこの場に居る全員でかかっても、傷一つつけられんからだ!」
何とも情けない理由だが、アタシなら楽に勝てると思っているのだろうか。確かに一般人でインドア派の自分はひ弱な体をしており、エルザが宿っているとはいえ霊気は殆ど出ていない。
彼らがその気になれば一瞬で押さえ込めると、そう考えても不思議ではない。
「わかった! わかったから! ちょっとだけ待って!」
「素直に門下生になる気になったのか?」
だがこれは逆に絶好の機会でもある。騙すような真似をすることになるが、今のうちに交渉を進める。
真理子の父親や後ろの門下生たちが、いつでも動けるようにアタシの様子を伺っているが、別に戦う気はない。
「いやいや、そうじゃなくてね。やっぱり無理やりっていうのは好きじゃないんだよ」
「しかし、森久保さんは門下生になる気はないんだろう?」
こっちも使い捨ての道具として側に置いてもらう気は一切ない。アタシは肩をすくめて答えを返し、双方が納得できるやり方を提案する。
「そりゃそうだよ。だからここは、契約を交わそうよ。
霊力を使った決闘でアタシに勝てば門下生になって、真理子も実家に帰る。
逆に負ければ、もうこっちには一切関わらないと…ね」
何より森久保家で戦った場合、あちこちに傷がつくかも知れないし近所迷惑だ。なのでもし戦闘が避けられなくなったら、エルザに頼んで全力で逃走を図る。
アタシさえ居なければ真理子も無理に留まる理由がなくなり、この場での乱闘騒ぎは一先ずは回避できるはずだ。
「そう言えば娘と同じGB試験を受けて、合格したのだったな。しかし本当に霊力があるのか?
…まあいい。特別に寺下家での正式な試合を許可しよう」
真理子の父親だけでなく、門下生たちも明らかにこちらを過小評価している。中には無謀な挑戦だと失笑する者も居たが、アタシにとっては好都合だ。
「それは駄目。敵地だと何されるかわからないからね。
ここは中立の場所として、GBの試験会場を使わせてもらうよ」
並大抵の罠ならエルザは難なく食い破るだろうが、敵の本拠地なので中立的に欠ける。最悪負けを認めない場合もある。なので立会人として、寺下家にも属さない公平な人が欲しい。
試験官は不正を行ったが非を認めて謝り、賠償金も支払ったので、利用して用が済んだらポイ捨てする気満々の寺下家当主よりは、多少だが信用できる。
「小細工などするまでもないが、確かに公平性に欠けるか。
それで、試合の日時と決まりは?」
「あー…完全な思いつきだから、今から確認を取るんだけど」
余裕の現れなのかこっちの提案を飲んでくれて一安心だが、今から手続きをするので、本当に試験官を貸してくれるかはわからない。
真理子の父親が呆れたような顔をしながら懐から携帯を取り出し、何処かに連絡を入れる。
「それなら、こちらの予定を優先しても構わんな?
これだけの門下生を、いつまでも留めて置くわけにはいかん。
早いところ道場に戻りたいからな」
アタシは反対する理由もないので深く頷いて了承すると、寺下家当主はニヤリと笑い、携帯の向こうの相手と話しながら、手早く会場の手配を進めていく。
「ああ、俺だ。少しの時間、場所を借りたい。
そうだ。寺下家の門下生と他の霊能力者の試合だ。すぐ片付く。
挑戦者? 先月娘と一緒に試験を受けた森久保という名の女性だが。…それが何か?」
誰と何を話しているのかはよくわからないが、アタシの名前が出た気がする。変な人に会場を使わせるわけにはいかないので、双方の身元確認は必須だ。
しかし会場を借りるだけなのに、やけに話が長い気がする。
「全力でかからないと後悔するだと? お前、娘の試合と勘違いしてないか?
はぁ…わかったわかった。忠告はありがたく受け取っておく。では、そろそろ切るぞ」
どうやら話し合いは無事に終わったらしく、寺下家の当主は溜息を吐きながら、アタシに視線を合わせる。彼の表情にはこちらへの哀れみが混じっている。
「はぁ…弱い者いじめをする趣味はないんだがな
ともかく現在二次試験会場が空いているらしい。
出来ればすぐに済ませたいんだが。いいか?」
「うん、アタシはいつでも構わないよ」
アタシはいつでも大丈夫だ。実際に戦うのは幽霊であるエルザだが、彼女が疲れている姿は今まで一度も見たことがない。
毎日元気いっぱいにベタベタとくっついてアタシをからかってくるので、自分のほうが疲れてしまうぐらいだ。
取りあえず出かける前にしばらく留守にすることを真理子に伝えるため、寺下家当主に背を向ける。
するといつの間にそこに居たのか紅白巫女服を着た黒髪の美女が、泣きそうな顔をして自分のすぐ側に立っていた。
「丁度良かったよ。しばらく留守にするから、家で適当にくつろいで…」
「沙紀はまた、私から離れてしまうのですか?」
一時的に離れることになるが、試合が終われば戻って来る。それに、また…と言ったが、彼女を置いて出かけるのは今回が初めてなので、まるで意味がわからない。
アタシは目尻に大粒の涙を浮かべる真理子に訪ねようと、戸惑いながらも口を開く。
「まっ…またって、何が? ……にょわっ!?」
突然真理子がアタシに飛びついてきた。別に痛くないが両手を背中に回してこちらを抱きすくめているので、全く動けない。
相変わらずの大きくて柔らかい二つの果実に、アタシの顔が埋もれてしまい少し息苦しい。
「沙紀! お願いします! 何処にも行かないでください!」
「大丈夫だよ。試合に勝ったら、またすぐこの家に帰って来るから」
森久保家に快適に引き篭もれるように、色々と必要な道具を揃えているのに、わざわざ辺鄙な山奥なんかに行きたくない。
そして真理子の父親や門下生が、次期当主が泣いている姿なんて初めて見た…と言っているので、彼女が人前で涙を流すのはこれが初めてなのだろうか。
アタシは何とか何とか泣き止ませるために、見た目は二十代の真理子の背中を、大丈夫…大丈夫だから…と、両手で優しくポンポンと撫でてあげると、余計に大泣きしてしまった。
これ以上どうしろと言うのか。自分も号泣している女の子を慰めるのは、今回が初めてだ。
結局アタシは途方に暮れてしまい、黒髪の美女の抱擁が解けるまで、ひたすら小さな子供をあやす真似を続けたのだった。




