真理子の過去
私の名前は寺下真理子、遠い昔から代々続いている霊能力者の家の長女であり、次期当主だ。さらに寺下家が始まって以来の才能に溢れて、神童とも称されている。
容姿も優れており、艷やかな黒髪に澄んだ黒目と、女性的な体も大層発育がいい。まだ十と少しの年齢だが、既に大人の門下生の数人がかりでも私に土をつけることが出来ない程の強さだ。
両親もそんな私を誇らしく思ってくれて嬉しいのだが、近頃は血気盛んに挑んでくる門下生も減り、妙な負け癖がついているのか組み伏せられると幸せそうな表情に変わり、すぐに降参して無抵抗になってしまう。
古い巫女としての夜伽の修行で、自分が男性を堕とすための理想的な体型らしく、女性でさえも望んで敗北を受け入れてしまうまで強くなり、もはやまともな修行にならない。
神童は霊能力者だけでなく夜の才能もあったらしく、親族の望み通りの道を歩くだけの退屈な人生は、心底つまらない…と独りごちる。
結局年齢があがるたびに修行相手は減っていき、自分一人で訓練するのがもっとも効率良く強くなれるのだと悟ってしまった。
将来は私が当主になって寺下一族を背負い、分家の自分たちが本家よりも権力を持つのも夢ではない…と、父母に何度も言われた。
私は溜息を吐いて首を振り、頭の中の面倒事を強引に振り払う。今日は空が晴れ渡っており、絶好の修行日和だ。
山頂まで辿り着けば、遠くまで良く見渡せることだろう。
「はぁ…そう言われても、正直権力にはこれっぽっちも興味はありませんけどね」
霊力を身にまとわせて足腰を強化し、紅白の巫女服に汚れをつけることなく、冬が終わったばかりでまだ肌寒い中、山野を颯爽と駆けて頂を目指す。
この辺り一帯は寺下家の土地なので、私が走り回っても何の問題もない。
下界におりては行けないときつく命令されているが、代わりに敷地内での移動は制限されていない。修行相手が誰も居なくなってから一人で鍛えることに尽力し、その方針も私の自由なのだ。
もはや門下生どころか親族でさえも、誰一人として自分の足元にも及ばないのだから。
「…到着ですね」
あっという間に山頂に到着し、もっとも見晴らしが良く小高い位置にある平らな岩の上に手拭いを敷いて腰をおろす。
年齢以上の大きさで柔らかく形の良いお尻がムニュリと潰れ、そのままあぐらをかいて精神を集中し、心を落ち着かせて瞑想に入る。
「さて、…今日は居るといいのですが」
言いつけ通りに私は下界におりてはいない。だが思念体を飛ばして、敷地の外の情報を集めることは禁止されていない。
とある片田舎の村の民家を千里眼で探る。そこには私の期待通りに、ちゃぶ台の上に広げた醤油煎餅をゲームのコントローラーを片手に持ったまま、小さな口でボリボリと噛み砕いている、黒髪ボブカットの癖っ毛少女の姿が見えた。
今日も相変わらず長袖TシャツとGパンで、女性らしくない服を着ている。
「良かったです。今日も居るようですね。…では」
少女の家の周りに誰も居らずに家族も不在なことを確認してから、私は意識を極限まで集中させて、遠く離れた地に思念体を送る。
本体との距離が遠のくほどに霊力の消耗が増えて、操作の難易度も劇的に上がるので、これも立派な修行だ。
森久保家の門の前に、五、六歳ほどの和服姿の童子を実体化させ、感覚を同期させる。そのまま草履で土の上をトテトテと縁側に歩いて近づき、引き戸の向こうでテレビゲームで遊んでいた少女に、元気良く声をかける。
「こんにちは! 森久保さん!」
「んー…いらっしゃい。寺下さん」
目の前の少女の名前は森久保沙紀で。私の名前は寺下だ。流石に本名を告げるともし本体と会ったときに面倒なことになりそうなので、名字だけしか教えていない。
彼女は細かいことは気にしない性格なのか、こちらが話したがらなければそれ以上は踏み込んでこないので助かっている。
「取りあえずお茶や煎餅があるからあがってよ。って、寺下さんは食べなかったっけ」
「はい、私は見てるだけで十分です」
こっそり見えない霊気の糸を伸ばして森久保さんと感覚を同期しているので、霊体の私が食べれなくてもお煎餅を味わえるので問題ない。
一応味覚もあるし食べることも出来るが分解処理に力を使うので、それなりに疲れるのだ。
そして私は彼女のお言葉に甘えて、草履を脱いで縁側から居間にあがらせてもらう。
「それで、寺下さんもやるよね?」
「もちろんです!」
2Pのコントローラーをそっと私に差し出したので、待ってましたとばかりに喜んで受け取り、いつもの指定席にチョコンと腰をおろす。彼女にベッタリと寄りかかれる膝の上は、私の一番のお気に入りの場所だ。
森久保さんは最初は戸惑っていたが今ではすっかり慣れたものである。小ぶりな二つのお山が柔らかなクッションになり、童子に変化した私の頭をしっかり支えてくれる。
私は道着姿の侍を選び、彼女は筋肉隆々の市長を選択してゲームを進めていると、森久保さんが少し沈んだ声で話しかけてきた。
「実はさ。アタシ、春から都会に行くんだ」
「えっ? 都会の高校に進学するんですか?」
「違うよ。中学を卒業したら両親の仕事を手伝うの。
だから、この家には殆ど帰って来ないんじゃないかな」
両親と一緒に暮らすということは、私がこの家に来ても、もう森久保さんとは会えない。都会に霊体を飛ばすという手段もあるが、人が多いので思念体だと見破られる可能性が高くなる。
今の友好関係を崩したくない私は両手をギュッと握り、それっきり押し黙ってしまう。
思えば私が森久保さんと出会ったのは偶然だった。修行と称して下界の様子を探っているとき、たまたま彼女を見つけたのだ。
両親は少し離れた都会で共働きであり、基本的には朝早く出かけて夜遅くに帰って来る。かと言って森久保さんが寂しがっているとか、そんなわけではなく。
父母の不在を思いっきり堪能していた。家に帰ったら古いテレビゲーム、そして漫画やアニメに没頭する。それでも学校の成績は平均を維持しているのは、ある意味才能かも知れない。そして性格も比較的善人だ。
そんな彼女なら私の正体を隠したまま下界の情報を得られる。そう思ってこっそり近づいたのだが、これがなかなか居心地が良く。テレビゲーム、漫画、アニメ等にもどっぷり嵌ってしまった。
さらに森久保さんの何処までも緩い雰囲気が、修行漬けだった私の疲労を癒やしてくれた。年齢も性別も同じなので、見た目の差以外は完全にお友達の関係だ。
学校に行っている間は私も修行に力を入れて、家に帰ってきたときや休日は、森久保さんにベッタリと甘えながら仲良く遊ぶ日々が数年続いたが、それは唐突に終りを迎える。
こんな日がいつか訪れるのではないかとはわかっていたが、いくら何でも早すぎる。
「わかりました。春になったら私の知り合いが、森久保さんに会いに行きます」
「知り合いが? でもまだ住所とか決まってないし…」
「大丈夫です。すぐに会いに行きますから、待っていてください」
そろそろ仮の体ではなく、直接会いに行っても良いだろう。私が寺下です…と告白して気づくかどうか、今からドキドキする。
初顔合わせが上手くいってまた友達になれれば、わざわざ童子の姿でベタベタに甘えていたことは教えなくてもいい。こっちにとっても恥ずかしい思い出なのだ。
何故そんなことをしたのかと聞かれたら、森久保さんが大好きだからです…と、告白まがいのことを口にしなくてはいけなくなる。
やはり駄目だ。もしドン引きされて嫌われでもしたら、命を絶ちたくなってしまう。とにかく今は、山をおりる準備を整えるのが先決だ。
森久保さんに会いに行くためにも両親の説得を頑張ろうと、私は童子の姿で内心気合を入れるのだった。
GB免許証を取ると両親を説得し、無事に山をおりることが出来た。親族や門下生も見惚れていたが、やはり私の容姿と紅白巫女服は非常に目立ち、周囲の人を惹きつける。
先ほどから何度も呼び止められては、芸能界に入らないか、モデルやアイドルに興味はないかと口説かれたり、男性女性関係なく囲まれてお茶に誘われたりと、普通に道を歩くのも一苦労だ。
GB試験会場に到着して長い列に並び、指定された部屋の前で待っているのだが、さっさと一次試験に合格して、開いた時間で森久保さんの家に遊びに行きたい。
今も大勢の霊能力者に囲まれて口説かれているが、愛想笑いで軽く流しながら、内心ではウンザリしながら霊力を測っている。
近くに大した者は居らず、どうやら私が一番上のようだ。わざわざ全力で試験に臨まなくても審査を通ることは容易だと確信する。
(えっ? 何ですか! この出鱈目な霊気は!?)
上手に隠しているが桁違いな霊気を感じて視線を向けると、そこには私が一番会いたかった人物が長椅子に腰かけて、こちらを見ていた。
しかし何かが違う。見慣れたのほほんとした柔和な表情ではなく、彼女は凛としており仕草も何処か気品が漂っている。
一体森久保さんに何があったのか是が非でも確かめなければいけないと、私は周りに断りを入れると、一直線に彼女を目指して歩き出す。
「こんにちは」
隣に腰かけたあと、内心の動揺を隠して出来るだけ優しそうに微笑む。今の森久保さんは何故かは知らないが、あの時とはまるで別人だと感じる。
返事が返ってこないのでどうしたものかと悩みながら、恐る恐るもう一声をかける。
「…あの」
「えっ! あっ…うん! 何?」
「はぁ…良かった。聞こえていましたか。瞑想に入っているかと思いました」
私以外気づかなかった極僅かな霊気が完全に消え、いつもの森久保さんに戻る。もしかして、今のは瞑想の類で一時的なトランス状態に入っていたのかも知れない。
しかし彼女にそんな才能があったとは意外だ。
「私は寺下真理子です。貴女は?」
「あっ…アタシは、森久保沙妃だよ」
「よろしくお願いします。森久保さん」
「うっ…うん」
瞬間、私の内心は飛び上がるほど喜んでいた。今度は霊体ではなく本体で、堂々と森久保さんと呼べる。もう一度お友達になることが出来るのだと。
霊体の姿で会いに行ったことに気づいてないのも幸いだ。そっと手を握って柔らかな感触を暖かい温もりを堪能する。
さらに童子のように甘えるべく体を寄せると、森久保さんは恥ずかしそうに身をよじらせる。
この初々しい反応は、最初に出会った頃を思い出す。私の心が俄然沸き立ち、グイグイと二人の距離を詰めていく。
「これより試験を開始します! 三百一番から三百二十番の方は入室してください!」
いいところだったのに邪魔が入った。扉を開けた試験官が呼びに来たのだ。彼女は慌てて私から離れて、試験会場に駆け込んでいった。
しかし森久保さんがGBの免許証を取りに来たのなら、今後は同業者ということになる。先ほど見えた控え目な胸につけている番号が三百二十番で、私が三百十九番だ。これはもう運命ではないだろうか。
続けて自分も試験会場にゆっくりと入室して、正面の長机の向こうに座っている試験官たちを一瞥し、次に森久保さんの隣のパイプ椅子に座って、優しく声をかける。
「私の番号は三百十九番です。一緒に頑張りましょう。森久保さん」
「えっ? ……うん」
今はまるで感じられないが森久保さん程の霊力量なら、試験の通過は容易だろう。彼女は一体何処に宿泊しているのか。試験後に遊びに行っても迷惑がられないか。
そもそも両親の仕事を手伝うのではなかったのか。聞きたいことがたくさんありすぎて、頭の中がややこしくなってきた。
私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。大丈夫だ。焦ることはない。こうして森久保さんを見つけた以上、もう絶対に絶対に逃さない。これからじっくりと調べていけばいいのだ。
同じ試験、同業者と、接点は多い。とにかく一歩ずつ確実に進めていくのだ。そして、前回以上の親密な関係を目指す。
私は童子の姿ではないので、森久保さんに甘えるだけでなく彼女のほうからも甘えて欲しい。本体は大人の女性の体格なので、抱きすくめたうえで優しく包み込むのは簡単だ。
しかしこれからが楽しみだ。山をおりて本当に良かった。私は大好きな森久保さんを横目でこっそりと観察し、口元が緩んで頬が朱に染まりそうになるのを、なるべく平静を装い必死に隠し通すのだった。




