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桃の香り

 今回はGBの仕事とは関係がなく、メール内容にもアタシ個人を指名していた。なので予定人数が決まっている仕事に、他のメンバーを無理にねじ込むのもどうかと考えた。

 自分と守護霊が依頼を受けることを伝えると、桃香ちゃんからすぐに承諾の返事が返ってきた。


 その結果、依頼現場のライブ会場には自分とエルザだけで向かうことになった。元々はワールドカップのために横浜に建設されたらしく、とんでもない大きなスタジアムでライブを開くとのことだ。やはり国内トップのアイドルは格が違うと、かつての友人を心の中で称賛する。




 そして当日になり、他県のライブ会場に電車とバスを乗り継いで向かう。始発に乗ったので時間に余裕はあるのだが、慣れない早起きをしたせいか途中で座席にもたれて眠ってしまった。

 ぐーすか寝入っているアタシの体を、エルザが起こさないように器用に操り、目が覚めたら会場のすぐ前に立っていたのだ。


(もっと頼りにしてもいいのですわよ)

「いやいや、これ以上頼ると本当に離れられなくなっちゃうからね。

 でも助かったよ。本当にありがとう」


 今回は護衛が目的なのでOL風のビシッとしたスーツ姿だが、素材はメガネをかけた十六歳の地味系女子なので、個人的にはとても似合っているとは思えない。

 しかしいつも通りのTシャツとGパン姿で桃香ちゃんの側をウロウロしていると、いつ不審者として通報されるかわからないのだ。


 ライブが開始するまではまだ時間があり、準備もあるので会場内には関係者しか入ることが出来ないが、既に大勢のファンが集まっていて凄い熱気を発している。

 アタシはあらかじめ指示されている裏口を目指して真っ直ぐに歩いて行くが、ゲート前で警備員に止められてしまう。


「ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ」

「認証カードならあるよ」


 桃香ちゃんが送ってくれた認証カードを首から下げていたので、それを手で持って裏口のゲート前に立っている男性に見せると、大声で驚かれる。


「まっ…まさか! 森久保…沙紀だとぉ!?」


 それに合わせて周囲の関係者やファンの人たちまで、大きくどよめく。アタシは一般人で珍獣とは違うのだが、刺すような好奇の視線は一向に収まらない。


「あのさ、アタシは通っていいの? 駄目なの?」

「あっ…ああっ、通っても構わない。それと、キミが到着したら楽屋に通すようにと言われている。案内しよう」


 護衛の役目を他の人に引き継いでから、お兄さんはアタシを案内するためにスタッフ専用の裏口から会場内に入っていく。

 数歩ほど遅れて付いて行くが、外から見たときも感じたがとにかく広い。通路を歩いているときにも何度か関係者とすれ違い、自分ほど若い女性のスタッフは珍しいらしく、通り過ぎたあとに振り返ってマジマジと観察してくる人も多かった。

 何となく気になったアタシは、前を歩く護衛のお兄さんに質問してみた。


「あのー…やっぱり、アタシのような護衛は珍しいの?」

「今回はトップアイドルが警護枠に強引にねじ込んだんだ。

 だから皆、余計にキミの存在が気になるんだろう」


 アタシのことをよく知らないスタッフは、トップアイドルの桃香ちゃんが強引にねじ込んだ護衛だと思われている。

 お兄さんの言う通り、自分も要人の護衛は初めてなので無事に務まるのかはわからない。そっちの資格や経験どころか、勉強もしていないのだ。


「命令されれば黙って従う。キミは指揮系統からは独立しているので自由に動いて構わん。

 特等席からライブを見てもらうために呼んだ…と、そう聞いているからな」

「つまり護衛は建前で、ライブに招待してくれたんだね」


 名実ともに国内トップアイドルの桃香ちゃんのライブだ。アタシが自力で行こうとすると、まず普通にチケットを取るのは不可能だろう。

 古い友達なので気まぐれで招待してくれたのかも知れない。


「チケットは即日完売だったからな。今回の護衛役も席の奪い合いが起きたぐらいだ。

 それとキミは、ライブが終わるまで大人しくしてくれると助かる」

「わかったよ」


 やること成すことが全て大掛かりになるので、もうアタシの知っている桃香ちゃんじゃないんだと、少し寂しく感じた。

 そして昔よく即興の歌を聞かせてくれていた子供時代を、懐かしく思った。




 案内してくれたお兄さんがある部屋のドアの前で足を止めて、アタシに中に入るようにと促す。

 既に護衛二名が入り口を見張っているが、彼も外で待機して不審者が侵入しないように警戒するらしい。

 桃香ちゃんと会ったあとに舞台の裏方まで送ってくれると約束してくれたので、命令でもここまで親切にしてくれて、ありがたい限りだ。


「森久保沙紀さんをお連れしました」

「はっ…はひっ! はっ…入って!」

「えっ? あっ、…許可が出たぞ。入ってくれ」


 桃香ちゃんは昔と同じ口下手なようで、アタシは変わっていないことに懐かしさを感じる。しかし護衛の人たちは大いに戸惑っているようだ。

 気になることは放置する気になれず、近くの人に今の何がおかしかったのかと質問する。


「あそこまで大きく動揺するのは初めだったんだ。

 普段は知らない人物とでも流暢に受け答えを行うのだが」


 彼女がどもるのはアタシだけのようで何とも変な気分になる。しかしこれ以上外に留まって、桃香ちゃんを待たせるわけにはいかない。

 戸惑いながらも扉を開けて楽屋に踏み込んだ。




 桃香ちゃんの楽屋は舞台ドレスや小道具がズラリと並べられていた。そして壁沿いに設置された大鏡の一つを視界に収める。

 その前には綺羅びやかな衣装を身にまとって、アタシと同い年ながらもグラマラスな体型をし、流れるような桃色の髪が美しい国内トップアイドルの相葉桃香が、丸椅子にチョコンと腰かけてこちらに顔を向けていた。


「とっ取りあえず、こっ…こっちにどうぞ!」


 彼女の隣にはアタシが座る用の丸椅子が既に置かれていたので、言われた通りに入り口の扉を閉めて桃香ちゃんに真っ直ぐに近づいていく。

 間もなく始まるライブの緊張しているのか、身を強張らせているようにも見える。やはりいくらトップアイドルでも、何万人を前に歌うのは慣れないものらしい。

 彼女の緊張を少しでもほぐすために、アタシから声をかける。


「今日は誘ってくれてありがとう」

「えっえへへ、どっ…どういたしまして!」


 桃香ちゃんが引っ越してから何年も経っており、貧相な体つきなアタシと違って女性的な肉体に見違えるように育っていた。

 それでも今自分の前に居るのは、あの頃と何も変わらない桃香ちゃんに思えた。


「桃香の勇姿、裏方から見てるからね」

「ゆっ勇姿だなんて! ててっ…照れるよ!」


 自分の前では極度の恥ずかしがり屋なのも子供の頃のままだ。しかしトップアイドルと言うだけはあり、桃香ちゃんは凄く可愛くなった。

 男性だけでなく女性にも人気があるのも当然だ。香水も質の良いものを使っているらしく甘い香りが周囲に漂い、嗅いでいると段々と心地良くなってくる。


「だって国内トップのアイドルでしょう? 夢を叶えるなんて本当に凄いよ」

「もっ…もう! 沙紀ちゃにそんなに褒められると、はっ…恥ずかしいよ!」


 頬を朱に染めている桃香ちゃんがとても綺麗に見えて、友達で良かったと心の底から実感する。

 しかし何故か頭がボーッとして、意識がはっきりしなくなってきた。その割には目の前の美しい桃色の髪の女性のことだけは、しっかりと鮮明に視界に収まっている。

 大好きな桃香ちゃんのこと以外は、まるでピンクの霞にでもかかったかのようにぼやけていくのだ。


「どっ…どうしたの? さっ、沙紀ちゃん?」

「だっ…大丈夫だよ。それより、いっ…いい香水だね」

「じっ、自分では普通だと思うけど、沙紀ちゃんが褒めてくれるなら、そうなのかな?」


 トップアイドルの名前と同じ桃の香りが一段と強くなる。それに比例して目の前の彼女のことが大好きになっていく。

 元々は距離の遠い友達としか思っていなかったが、今では愛しい桃香ちゃんのために何でもしてあげたくなる。


「桃香ちゃんは、今何か…欲しい物はあるの?」

「えっ…えっと、沙紀ちゃんが欲しい…かな。と言うのはじょうだ…」

「…あげるよ。アタシを、桃香ちゃんのモノにしてよ」


 自分でも何を言っているのか分からないが、大好きな桃香ちゃんが欲しがっているのなら仕方ない。アタシの何が欲しいのかは不明だが体も命も、今すぐにでも捧げるつもりだ。

 だが彼女は驚いて硬直しているので、先ほどの言葉は冗談だったのだと察する。だとしたら悪いことをしてしまった。

 今度こそ桃香ちゃんが本当に望むものを聞き出して、それを叶えてあげなければ…。


「うっ…嬉しい! 私も沙紀ちゃんのこと、ずっ…ずっと好きだったの!」

(ああもうっ! 沙紀! しっかりするのですわ!)


 どうやらアタシと桃香ちゃんは両思いだったようで、とても幸福だと感じた。遠くでエルザが何か言っているが、今は目の前の彼女と楽しくお喋りすること以外は何も考えられなかった。

 桃香ちゃんもそれを望んでいるのだから、そう思って口を開いたが出てきたのはアタシの言葉ではなかった。


「ちょっと貴女! その香りを早く止めるのですわ!」

「えっ…えっあの? …ああ、なんだ。守護霊のほうが出てきちゃったんだね」


 エルザがアタシの体を操り、勝手に桃香ちゃんとお話している。今とても良いところなので邪魔をしないで欲しい。

 だが一般人の自分が守護霊の支配に抗うことは出来ないので、心の中で何を言おうとされるがままだ。

 大好きな桃香ちゃんに自分の全てを捧げられないので、とても悲しい気持ちになる。


「早く体を返してくれない? 私は守護霊じゃなくて、沙紀ちゃんと直接お話したいの」

「なっ…! そんなことより貴女から出ている魔性の香りを何とかしなさい!」

「沙紀ちゃんが褒めてくれた香水を馬鹿にして! 守護霊はそんなに私が邪魔なの!?」


 桃香ちゃんとエルザが言い争っている。内容は香水に関してらしいが、アタシは良い香りだと思う。吸い込んでいると頭がボーッとしてきて、とっても気持ちよくなれるのだ。

 目の前の彼女のことが好きで好きで堪らなくなる。それはとても幸せなこと…なのだが、エルザが全身に霊気をまとわせてから甘い香りが薄れてきた。


 やがて室内にピンク色の靄が充満していることに気づく。そしてその全てが桃香ちゃんからアタシに向かって放たれ、守護霊の霊気に弾かれて行き場もなく楽屋内を漂っているのだとも。


「もしかして気づいていませんの?

 となると、貴女の能力は今初めて発動したことになりますのね」


 桃香ちゃんが不機嫌になるにつれて桃色の霧も収まってきた。そしてアタシも心地良い夢から覚めるように、ゆっくりとだが意識が浮上してくる。

 詳しくはわからないがエルザの言葉から推測するに、先ほどの甘い香りは彼女の能力らしい。


「もうライブが始まるまで時間がないし、沙紀ちゃんとお話させてよ!

 そのために楽屋に呼んだんだから!」


 桃香ちゃんのイライラが最高潮に達したのか、室内に充満していたピンク色の霧が完全にかき消える。

 夢から目覚めて正気に戻ったアタシは目の前の事態について行けずに、成り行きを見守ることしか出来ない。


「ああもう! 仕方ありませんわね! 貴女のその香りは…!」

「失礼します! 時間になりましたので、相葉さんは舞台に移動してください!」


 楽屋の扉が強くノックされ、すぐに外の護衛の声が響く。多分だが室内から桃香ちゃんの怒鳴り声が聞こえたので、予定を前倒しにして諍いを止めたのだろう。

 いきなり踏み込んできて有無を言わさず取り押さえられなくて良かった。


「はぁ…守護霊のせいでせっかくの楽しい時間が台無しだよ。……まあいいか!

 今はともかく、沙紀ちゃんに最高のライブを見せてあげる!」


 プロとしてこれからのライブに向けて気持ちを切り替えたのか、桃香ちゃんの表情が満面の笑みへと変わる。そしてアタシを真っ直ぐに見つめて口を開く。


「ライブが終わったあとは今度こそ沙紀ちゃんを貰ってあげるから、期待しててね!」

(いや、あれは何かの間違いだからね!)

「じゃあ、待たね! 沙紀ちゃん!」


 甘い香りを控え目な胸いっぱいに吸い込んでいたアタシは、正気ではなかった。そう声をあげようとしたが今はエルザと交代している。

 だからこそ桃香ちゃんも言葉に詰まることなくハキハキと喋れたのだろう。


 丸椅子から立ち上がって一足早くライブ会場に移動するため、扉の向こうに消える彼女を見送りながら、アタシは心の中で大きく息を吐く。


(エルザ、さっきのアレは一体何だったの?)

「詳しいことはわかりませんけど、彼女は天女の血を引いているようですわね」


 天女というと日本や中国の伝承に存在する神の使いだ。羽衣を身にまとって地上に水浴びしに来たり、人里離れた霊山に住んで農業や修行をして神通力を身につけたりとか。

 あとは舞いや楽器や歌等も得意な気がしたので、桃香ちゃんにはそちらの才能もしっかり継承されているのだろう。


「大体合ってますわ。先ほどは仙桃の香りを放って霊力で方向性を持たせたのでしょうね」


 エルザはよく仙桃の香りや天女なんて知っていたなと思ったが、彼女が亡くなったあとに世界各地を旅して回っていたので、そのときにきっと色々あったのだろう。

 しかしアタシ自身が霊力を五感で感じられるが使用はできないので、説明を聞いてもさっぱりだった。


(ええと、つまりどう言うこと?)

「沙紀が好意を抱くように甘い香りで誘惑したのですわ。無意識にですけど」


 元々桃香ちゃんのことは友達だと思っていたが、彼女はそれを信じきれてなかったのだろう。もう何年もメールでしかやり取りしていなかったので、気持ちはわからなくもない。

 しかし先ほどのアレはやり過ぎだ。


 明らかに好意以上のモノを捧げようとしていた。自分でも気づかない無意識なので、制御が上手くいかない暴走状態だったのだろう。

 と言うかこれは、このまま放って置くと不味いのではなかろうか。


「幸いと言っていいかわかりませんけど、今は落ち着いていますわ。

 ライブが終わるまで保てばいいのですけど」

(能力についての説明は、ライブが終わってからでも出来るからね)


 今は桃香ちゃんにとって大切なときだ。今日のために集まった合計で万を越える大勢のファンやスタッフ。

 何よりトップアイドルにライブを急きょ延期するよう口に出すことは、アタシには出来なかった。


(今まで十年以上も能力が発動しなかったんだし、もう出ないかも知れないし)

「…だと良いんですけど。とにかく、私たちも向かいますわよ」


 楽観的には考えてみたものの本当はアタシも不安なのだ。口に出しても状況は好転しないので言わないだけだ。

 いつもならエルザから体を返してもらうが、今回は貸したままにする。万が一でも事故が起こった場合、また骨抜きにされるわけにはいかない。

 何も起きずにライブ終了になるかはやってみなければわからない。アタシは先が見えない展開に緊張しながら入り口の扉を開ける。


 楽屋の外で待っていてくれた護衛のお兄さんに中で何があったのかを聞かれたが、エルザは適当に誤魔化しながら、今度は舞台裏までの道案内を頼むのだった。

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