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舞台の上で

 遅れてやって来たアタシは、裏方として舞台の袖からこっそり桃香ちゃんの様子を伺う。今のところは何も起きずに元気いっぱいのトップアイドルの美声に、数万人のファンはライブ特有の熱気に包まれて興奮状態だ。

 これなら大丈夫そうかなと心の中で一安心したとき、丁度曲が間奏に入って桃香ちゃんの視線が裏方のほうにチラリと向く。瞬間、お互いの目がしっかりと合った。


 友達が見に来てくれたことが嬉しいのか、トップアイドルは未だかつてないほどの華が咲くような笑顔を浮かべる。

 それと同時に楽屋で体験した甘い香りを周囲一帯に無差別で放つ。



 ピンク色の霧が会場にあっという間に広がっていく。スタッフの皆は棒立ちになって鼻の下を伸ばすだけで済んだが、問題はファンのほうだ。

 残り少ない理性が完全に振り切れたのか、大勢の人たちがまるでゾンビのように、桃香ちゃんが歌っているステージに歩いて来る。


 彼女に近づいて何をするつもりかはわからないが、おそらく愉快なことにはならないだろう。

 近くの護衛の人は皆骨抜きになって使い物にならないので、アタシが対処するしかない。舞台裏から桃香ちゃんの前に飛び出してすぐ、エルザが彼女に顔を向けて大声で話しかける。


「何をしていますの! 早くその霊気を押さえるのですわ!」

「抑え方がわからないし、貴女の指示には従いたくないの!」


 だが駄目だった。桃香ちゃんは聞く耳を持たずに、楽屋ではピンク色の霊気は収まったがステージの上ではまるで変化はなく、相変わらず垂れ流し状態になっている。

 そうこうしているうちに警備員や護衛を素通りして、熱狂的なファンが一人、また一人と舞台へと手をのばす。


「この非常事態に、何を言っていますの!」

「絶対に嫌だからね!」

「わからず屋のトップアイドルですわね!」

「沙紀ちゃんの体を奪った悪霊の言うことなんてっ!」


 熱に浮かされたファンが、桃香ちゃんを目指して一歩ずつ確実に近づいてくる。しかし泥酔者のように動きがゆっくりなのは助かった。

 そして彼女の香りに完全にやられているのは全体の半分ほどで、ステージから離れるほどに魅了は薄くなっている。

 スタジアムの後部座席では戸惑いと動揺が大きくなっているのがわかる。だがこのままでは抵抗虚しく圧倒的な物量に押し潰されるだけだ。

 状況は絶望的なので、アタシは一か八かの賭けに出ることにした。


(あー…ここからは私が話すから、エルザはそれ以外の操作をお願い)

「はぁ…仕方ありませんわね」


 エルザに体の一部だけを返してもらい、アタシが表に出る。何度か深呼吸を行ってきちんと動くことを確認したので、桃香ちゃんに声をかける。


「桃香ちゃん、自分の霊力を感じことは出来るよね?」

「さっ…沙紀ちゃんがそう言ってくれるなら、きっと出来るよ!」


 相手が友達のアタシだとわかったのか、先ほどとは違って素直に言うことを聞いてくれる。エルザが心の中で理不尽ですわ…と不満を漏らしているが、今はなだめすかす余裕はない。

 数人のファンが舞台によじ登って桃香ちゃんに近づいてきたのだ。それを見て、トップアイドルの顔に明らかな怯えが走る。


「ここはアタシが何とかするから! 桃香ちゃんは自分の霊力を感じることに集中して!」

「うっ…うんっ! わかったよ!」


 エルザがアタシの体を動かして霊力を乗せた掌底を、狂信者に変貌したファンに素早く放つ。相手の霊力に干渉して体内に溜まった仙桃の香りを外に吐き出させるのだ。

 直接肉体に触れる必要があるが、これなら大怪我をさせずに無力化することが出来る。


 夢から覚めたあとにまたすぐ甘い夢に溺れるかも知れないが、その前に桃香ちゃんが制御できるようになれば問題ない。

 今の彼女を抱えて逃げても、行く先々で被害は拡大するし空へ逃げても密着状態から直接香りを送り込まれたら、アタシの体にどんな影響が出るかわからない。

 なので自分とエルザがここで踏ん張らなければ、状況を止められる者が誰も居なくなってしまうのだ。


「あっ…これかな?」

「って早い! そっちの才能もあったのか。凄いね」


 まるで映画のゾンビのようなゆっくりとした動きで、目にハートマークを浮かべて押し寄せる暴徒を相手に格闘戦でエルザが無双し続ける。

 数分後に桃香ちゃん自分から漏れ出るピンク色の霊気を感知したのか、嬉しそうな声を漏らす。


「えっえへへっ、ありがとう!」

「って! 出力上がってるから! 桃香ちゃん! とにかく霊気を抑えないと!」

「どどどっ…どうすればいいの!?」


 アタシに褒められて興奮したのか桃香ちゃんの霊気が明らかな広がりを見せる。抑え方は自分にはわからないので、押し寄せる暴徒を足払いで数人まとめて転がして、順番に掌底を打ち込んで気絶させているエルザに尋ねる。

 その後はアタシの口から彼女に伝えるのだ。


「まずは高ぶった感情を静めるんだよ。霊力を高める修行よりは楽だと思うよ」

「わっ…わかった! だったらアレが一番かな? ちょっ…ちょっと行ってくる!」


 桃香ちゃんが突然舞台裏に向かって駆け出したので、アタシも慌ててあとを追う。エルザの身体強化で先行して遮る暴徒を次々と片付けていく。

 手だけでなく足技でも当たる瞬間に勢いを弱めて霊気を流し込めば、怪我をさせずに体内の仙桃の香りを打ち消せるらしい。


 投げ技も同様で打撃よりも加減がしやすいようで、余裕があれば積極的に仕掛けていく。エルザの活躍もあり、進路上の邪魔する暴徒と次々と気絶させていく。

 そして無事に舞台裏に到着した桃香ちゃんは私物の鞄の中から、両手に乗るぐらいの大きさの古びたヤギのぬいぐるみを取り出す。


「こっ…これがあれば、…きっと」

「霊気が消えたね。もう出てないよ。お疲れ様」

「うっ…うん、ありがとう。沙紀ちゃん」


 古びたヤギのぬいぐるみの頭を撫でる桃香ちゃんからは、もうピンク色の霊気は漏れ出していない。そしてスタジアム内の人たちも、少しずつ甘い夢から覚めてきた。

 それに、今彼女が持っているぬいぐるみには見覚えがあった。


「桃香ちゃん、そのぬいぐるみはもしかして…」

「さっ沙紀ちゃんが、お別れするときにくれたの。わっ私の一番の宝物だから」

「おっ…おう、何かその、照れるね」


 あちこちほつれているが大切にしてくれているようだ。目立たないが縫い直している箇所もいくつか見つかる。一つのぬいぐるみにそこまで愛情を注いでくれれば、きっとヤギも本望だろう。

 アタシは恥ずかしくなり癖っ毛を指でかこうとしたが、まだエルザに貸したままなので、口以外は動かせなかった。


 何にせよこ横浜のスタジアムで起きた事件は、一件落着とはいかないが解決はした。あとは桃香ちゃんがこの先自らの霊気を制御できるようになれば、これ以上の大きな問題は起こらないはずだ。

 事後処理とかとても面倒そうだが、そこは現場のスタッフにお任せしたい。


「さっ…沙紀ちゃん、このあとの事情聴取…一緒に頑張ろうね」

「うえぇ、まあ当事者だから仕方ないかぁ」


 舞台上の桃香ちゃんを中心に、エルザの力を借りたアタシが群がる暴徒を次々に鎮圧している場面が、生放送として全国のお茶の間に流れていた。

 それがなくてもスタジアムの半数は魅了されたが、残りは正気を保っていたのだ。たとえテレビカメラが自粛したとしても目撃者は大勢居る。

 ここまでの大事件に発展してしまった以上は、言い逃れは不可能なのだ。


「はぁ…わかったよ。何とか頑張ってみる」

「うっ…うん、お願い」


 大きく溜息を吐きながら桃香ちゃんに協力することを伝えるが、自分はいつ家に帰れるんだろうか。今夜は徹夜かも…と、内心は穏やかではなかった。

 逆にトップアイドルは久しぶりにアタシとお泊りが出来ると、嬉しそうに口に出している。

 事情聴取はそんな気楽なものではないが、一番ダメージが大きいはずの友達が元気なら、自分が口を開いて空気を重くするのも悪いかな…と、少しだけ気持ちが前向きになったのだった。







 結局事情聴取は数日に及び、彼女の霊力の詳細を調べるために桃香ちゃんの父親も呼び出された。

 そのときに知ったことだが、彼女の父は大学時代に中国でのとある霊山を観光しているとき、偶然出会ったのが桃香ちゃんの母だったらしい。


 彼は母に一目惚れして猛アタックをかけた。そのまま押し切られる形で二人は付き合うようになり、一年ほど交際したのちに結婚を決意した。

 しかし戸籍のない何処の誰かもわからな桃色の髪の妖しい女性に、日本に居る親族連中は大反対した。だが父は譲らなかった。

 説得は諦めて駆け落ちし、やがて都会で空き家を購入する。結婚式を挙げることなく二人っきりの生活を始めることになった。




 彼女は最初は何かにつけて押しの強い彼を愛そうとしていたが、父は母の見惚れるほどの美貌と人外の快楽にしか興味がなかった。

 つまり心ではなく体だけの関係、セフレというやつだ。


 それでも桃香ちゃんが生まれれば親としての自覚が生まれる。母はそう信じていた。それが唯一の心の拠り所だった。

 だが赤ちゃんが生まれても何も変わらないどころか、ますます彼女の体に溺れていった。


 やがて夫婦の間に愛情はなくなり、母は一方的な別れ話を切り出したあと、まだ物心がついていない桃香ちゃんを置いて故郷に帰ってしまった。

 その後、父が彼女に会おうと何度霊山を登っても、母と出会った場所には二度と辿り着けなかった。


 以上が桃香ちゃんの出生の秘密だ。なお母親は正体を明かさず、身寄りのない人間の女性だと偽って父と暮らしていたらしい。

 なので彼女が人間ではなく天女だとはっきりしたのは、スタジアムで事件が起きてからとなる。




 今回の事件はまだ十六歳の少女である桃香ちゃんが、自分の望まぬ形で起こしてしまったことであり、故意ではなかった。

 そして現場は混乱したものの幸いなことに怪我人もなく、被害も壊れた機材のみだったことも考慮されて厳重注意で済んだ。


 それでも大手芸能プロダクションとしては思わぬ形でライブが中止になったのだ。そして多大な損害を被ることになったので、素直に認めることは出来ない。

 よって桃香ちゃんはしばらくの間、アイドル活動を休止する流れになった。


 元々二足の草鞋を履いて無理していたし、この機会に学業一本に絞るのもいいかも知れない。

 トップアイドルの彼女は数ヶ月も保たずに復活ライブを行う流れになるのだろうが、しばらくはゆっくり休むのもいいだろう。

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