第148話 食べかす
「はああ……」
ダイニングテーブルに頬杖をついて、ルキアは大きなため息をつく。
状況はまさしく手詰まりで、これからどうすればいいのか皆目見当もつかなかった。サンドラとシェアトと別れたあとで、ルキアはもう一度過去のドラゴンバトルの数々を思い返してみた。それでもやはり、自身がこのような状況に陥るような出来事が思い浮かばない。
シェアトの診断で、ひとまずルキアに何かしらの異常が起きているというのは決定事項となった。しかし、それが何なのかが分からなければ、解決には向かわないだろう。
「シェアトに見てもらっても、分からなかったのか?」
向かい合う席に座った智に、ルキアは頷いた。
「シェアトさんが分かるのは、私のアークが乱れてるってことだけ。原因までは、彼女も特定できないみたいなのよ……」
シルヴィアは、ルキアの症状が回復するまで休職していいと言ってくれた。
しかし、それも永遠に続くわけでもないだろう。いつまでもドラゴンガードの仕事ができないとなれば、当初は親身になってくれていたシルヴィアもいずれはしびれを切らし、解雇を宣告されるかもしれない。
いつまで尻尾を出してんだ! もういい、アンタはクビだ!
落雷を背に両腕を組み、鬼のごとき形相で怒鳴るシルヴィアが思い浮かんで、ルキアは思わず首を横に振った。とはいえ、それは決してただの妄想ではないだろう。このままでは、そう遠くないうちに現実になりかねない光景だった。
「このままの状態が続いたら、ドラゴンガードをクビにされるかも……」
「大丈夫よ、ルキアちゃん」
ルキアを励ます言葉とともに、瑞希が彼女の前に皿をコトリと置いた。そこには美味しそうなタルトが載せられていた。みずみずしいマスカットがトッピングされていて、ルキアは思わず目を輝かせる。
ピースケーキのように三角形にカットされたもので、元はホール型の大きなタルトらしい。瑞希は、息子である智の前にも同じものを置いた。
「もしそうなったとしても、あなたはずっとこの家にいていいから。治す方法は、きっと見つかるはずよ」
「あ……ありがとうございます、お母様!」
感極まって、ルキアは思わず椅子から立ち上がって仰々しく頭を下げた。
ルキアの好物がマスカットだということは、瑞希も知っている。彼女の好みに合わせてマスカットをトッピングしてくれたのは、想像に難くなかった。
それだけでなく、瑞希の気遣いが嬉しかったのだ。
「いいのよそんな。今度私からもシルヴィアに頼んでみるから……だからそう、落ち込まないで」
「え、あの……お母様とシルヴィア先生は……?」
瑞希の口からシルヴィアの名前が出てきたことに驚き、ルキアは尋ねた。
「ああ、ルキアちゃんには言ってなかったわね。私とシルヴィアはね、昔からの友達なのよ。それこそ、まだ私が龍界にいて……智が産まれる前からね」
「俺が小さい頃は、遊んでもらってたこともあったんだよ。まさか、担任の先生になるだなんて思ってもいなかったけどな」
智が、瑞希の説明に補足した。
幼い頃に親しかったシルヴィアが、智が高校生まで成長した時に担任の先生になる。とても不思議で、すごい偶然が作り出した巡り合わせだと思えた。智はさぞや、驚いただろう。
ルキアにとってホストファミリーたる瑞希と、ドラゴンガードの上司といえるシルヴィア。
彼女達には意外な繋がりがあったことを告げられ、ルキアは驚きながら「へえ、そうだったんですか……」と呟いた。
「だから、智がテストで悪い点を取ったりしたら、ぜーんぶお母さんに筒抜けだったり……」
「んなっ!?」
ジト目で息子を見つめた瑞希だが、彼女はすぐに楽しげな笑みを浮かべた。
「あはは、冗談だよ。ほらふたりとも、召し上がれ」
ルキアは嬉々として、智は唸るように「うー……」と声を漏らしつつ、フォークを手に取った。
口に運んだ瞬間、マスカットやクリームの甘味、それにバターの風味が広がる。それと同時に、サクサクとした生地の心地よい触感。とても美味しかったが、ルキアは食べかすを少しテーブルに落としてしまった。
「あっ、と……」
とはいえ、食べ方に問題があったわけではない。食べかすが散りやすい生地が使われているだけだった。向かい合う位置に座っている智は、ルキア以上に大量の食べかすを落としていて、「おっ、やべ……!」と戸惑いの声を発していた。
「智もルキアちゃんも、食べかすが散るのは気にしないでね。とってもサクサクした生地を使ってるから……飛んじゃっても仕方がないの」
「すみません、お母様……!」
食べ終わったら、食べかすは責任もって掃除しようとルキアは思った。
台所のほうから水音と、カチャカチャという音が聞こえてくる。どうやら、瑞希がタルトを作る際に使った器具などを洗っているらしい。
残りのタルトをぱくりと平らげたルキアは、ふとテーブルに落ちた食べかすを見つめた。
掃除しようと椅子から腰を上げた、まさにその時だった。
(食べかす……)
頭に何かが引っ掛かって、ルキアは足を止めた。
――食べかす。
瑞希が口にしたその四字が、頭の中で反響するように感じられた。右も左も掴めない状況だったが、ほんの小さな明かりを見出した気持ちになる。
「そっか、食べかすか……」
今度は、声に出した。
「ルキアちゃん?」
「どうかしたのか?」
なおも食い入るように食べかすを見つめ続けるルキアに、ふたりのホストファミリーが問うてきた。
そこでようやく、ルキアは顔を上げた。彼女が視線を合わせたのは、瑞希だった。
「お母様は、天才です!」
「えっ?」
ルキアからの不意の言葉に、瑞希はキョトンとして洗い物の手を止めた。
いきなりの天才認定――その理由が分からなくて、思わず言葉を失ったらしい。しかしすぐに、瑞希はまたいつものような柔らかい笑みを浮かべ直した。
「そうよ、知らなかった?」
いかにも得意げな瑞希に、ルキアは小さく頷いた。
彼女は手早く食べかすを掃除すると、「ちょっと行ってきます!」と告げて玄関に向かおうとした。
「あっ、ちょっと!」
その背中を智が引き留める。彼もすでに、タルトは平らげていた。
「治す方法を探しに行くんだろ? だったら俺も一緒に……!」
ルキアが心配なのか、協力を願い出てくれた。
シェアトのような能力を持ち合わせていない、そもそもドラゴンですらない彼が同行しても役に立てるかは疑問だった。しかし、無下に断る気にもならなかった。
「その前に、あんたが散らかした食べかす、ちゃんと片づけないと」
テーブルの上を指差しながら、ルキアは告げた。
お願いするわ、と明確に言ったわけではない。しかし彼女の言葉は、遠回しに彼の申し出を受け入れるという意味を含んでいた。
「っと、そうだった。ちょっと待っててくれ」
智はそそくさと、テーブルの掃除に取り掛かるのだった。
◇ ◇ ◇
「で、ここに来てどうするんだ?」
市街地の一角、どうやらこの場所がルキアの目的地のようだった。
大きな建物が並んでて、車の走行音が聞こえてきて、人々が街を行き交っている。これといって珍しくもない風景だったが、ただひとつだけ、イレギュラーな状況に置かれた建物がある。
宝石店……みたいだ。
しかし、今は営業していない。『立ち入り禁止』と書かれた規制線が張られていて、まだ人の立ち入りが制限されている。強盗に入られた貴金属店は、買い取り業務に限定してすぐ営業再開するところもあるらしい。しかしこの店はどうやら、それすら行われていないようだった。
少し前にニュースで見た、強盗に入られた宝石店だった。犯人を捕まえたのはルキアとサンドラで、それを知った時はとても驚いたものだ。それにしてもルキアとサンドラに追い回されるなんて、つくづく運のない強盗だな。
「もちろん、調べるのよ。私がこんなんになっちゃった理由をね」
ルキアはどうやら、その時のドラゴンバトルに原因が隠れていると睨んでいるらしい。
「やっぱ、家でうんうん考えてても始まらないわよ。現場を調べれば、きっと何か見つかるかもしれないでしょ? 食べかす……つまり、手がかりがね」




