金曜日
音羽さんは代殺人だ。
ひとの殺意を導き、その切っ先を己に向けさせることで犯罪者や予備軍を満足させる人造人間。製造番号はО‐001。Оの型番では最も旧型だが、今まで幾度も体や機能をいじくり回され修理や改造を施されては真面目に仕事に取り組んできた、優秀な代殺人のひとりだ。
子どもの容姿の代殺人はどこからでも需要がある。元々は別の町で別の管理者と仕事をしていた彼女は、片墨町で私とペアを組んでから、もう何度と目の前で殺されてきた。その姿を見て想像するのは“悪魔”。殺される側というのはどうにも被害者じみた見方をしてしまうけれど、そこは人造人間、ひとの殺意や悪意を唆し、立派な罪として証を残す所業は本当に西洋に出てくる悪魔みたいだった。
私はそんな音羽さんを見るのが好きだ。
堕落した人間の目を見つめ、恐ろしいまでに語りかけ、天使のような微笑みすらその柔らかな頬に零し、そして自分を殺させる。
奇妙だ。
私が生まれたときからこの世にいる人造人間のことは、素直に奇妙だと思っている。
だけどそんな奇妙な人造人間より、よっぽどおかしな生き物がいて、その生き物を制するために生み出した人造人間を管理するのもまた、よっぽどおかしな生き物である人間なのだった。いつか、と思う。いつか、いつの日か、ゆるされるなら、私は。
人間なんかより、人造人間になりたい。
代死人の管理者である紺野さんとの約束の日に備えて、音羽さんは数日間、研究機関と修理屋に預けていた。どういう作戦なのか、詳しいことはまだ聞いていない。ただ音羽さんの指示で──「いい? 渡会。あんたひとりで病院に行くの。これは簡単よね? 寄り道しちゃ駄目よ、怪しい奴を見かけても無視しなさい。あの代死人の管理者に話をしに行くだけ。できるでしょう?」「できるかなあ。寄り道はともかく、私に高度な暗号会話ができるって、本気で思ってくれてます?」「あたしの管理者なんだから。それぐらいやんなさい。それにあんたは弱気で胡散臭く見えるけど、根は誠実だから大丈夫よ」「それって、根っこを知らないひとにとったら最悪の印象では?」──何とか責務を全うしたに過ぎない。
あの病院を調査しに行けと上から命じられ、説明されたことを分かりやすく端的に並べると“子どもを狙う輩がいるかもしれないから行ってこい”“ちょうど代死人の管理者がひとり入院しているから利用しろ”“それから、相手は医療機関なためバレないようバフをかける。だから音羽を機関に預けろ”だけ。こんなまとめれば簡単で不親切な内容ですら回りくどく難解に送ってくるのだから上にいるひとたちの舌や頭脳はとっくに疲れ切っていて訳が分からなくなっている阿保なんだろうなと思う。かわいそうだ。地位と権力が一番人間を疲弊させている。
そんな人間たちのもとに預けていた音羽さんが、今日帰ってくる。
子どもの姿はしていても本物の子どもではないので、もちろんお迎えなど必要ない。自力で私たちのアパートまで帰ってきた音羽さんの姿は、詳細不明のバフがかけられているにしては、いつも通りだった。
身長が伸びたわけでもない。私の腰にも届かない4歳児の身長だ。大きな黒い目も、長い黒髪も、猫柄のポシェットと動きやすくてシンプルな服の上下と靴も、数日前見送った状態と大差ない。
アパートのドアを開け、何よりも早く、その音羽さんは言った。
「髪をくくってくれる、渡会。せっかくあなたが三つ編みにしてくれていたのに、一日ともたなかった」
確かに、目立って変わったところと言えば髪が解けているくらいだ。私は「任せてください」とおかえりもただいまも言うことなく彼女を迎え入れるため開けられたドアを支えた。「また三つ編みにしますか?」
「いいえ。どうせまたすぐにぐちゃぐちゃになるから、簡単なやつでいいわ」
「と言うと」
「出るわよ。パトロールの支度をして」
仕事熱心で責任感の強い彼女らしい。私ははいと頷いて準備に取り掛かった。自分の髪は刈り上げているおかげでセットも必要ないし、化粧も興味がないので身支度は鞄と、あとは音羽さんの髪の毛をいつでも結べるよう櫛やヘアゴムを用意するくらいだ。五分で済む。
五分後、耳の横でひとつに結んだ髪を揺らして街を歩く彼女はどことなく不機嫌そうだった。
一歩後ろをついて歩きながら、「音羽さん」と気になって声をかける。「何かあったんですか?」
彼女は振り返りもせずに言った。「渡会。何か気づいたことはない?」
「気づいたこと?」
「何でもいいわ。些細なことでも」
「ええ? えーっと。あ、え? まつ毛の本数が増えたとかですか?」
「あんたと別れている間に12本抜けた。ほかは?」
「えー、そんな、いや特に……」彼女の後ろ姿を見つめる。「思いつきません。私に気づけることですか?」
「あなたじゃ無理みたい」
「え?」
「あなたじゃ、無理みたいね。渡会」
音羽さんが立ち止まり、振り返った。視線がかち合う。大きくて立派な瞳だと思う。たとえ12本抜けていたとしても、瞬きに音がつきそうなほどまつ毛が長い。つんと尖った鼻と、小さな口は、人造人間よりはまるでどこかの博物館で飾られている人形のようにも見える。感情がない。そんなはずはない。
「音羽さん?」
「今回はあなたなしで動くわ。分かってちょうだい渡会、適材適所というものがあるの」
「な、どうして。私何かマズイことしました?」
「何もないのがマズイのよ」
「どういうことですか」
「私としても、」
そこで彼女はぴたりと口を止めた。
大きな視線を蛇のように這わせていくのが見ていて分かる。地を滑り、住宅地を抜け、角を曲がったあたりに行きつく。私がその視線を追いきるのと、音羽さんが走り出すのは同時だった。「仕事よ渡会!」はい! とすぐさま応えて追いかける。けれどもやはり小さな背中はあっという間に遠ざかり、私は念のため、与えられている護身用の特殊警棒を腰ベルトから抜いておいた。路地を走り、角を曲がる。息があがる。
遅れて辿り着いた現場では女が音羽さんを殺そうとしていた。
いいや。音羽さんが、女に、殺させようとしているの間違いだ。
「いい刃物を持っているわね」
女はすでに音羽さんに覆いかぶさり、ナイフを翳していたが、それ以上振り下ろすにはきっと何かが足りていなかったんだろう。ぶるぶると震えている。
「怖いの? どうして? あたしをよく見て。あたしのことが分かるでしょう?」
全ての代殺人・代死人の言葉には抗いきれない引力があって、そしてとてつもないほど魅力があった。小さな手がナイフを持つ手首にそっと触れた。
「刺してみたらいいのよ。そうしたらあなた、とてもスッキリするわ。保障する。夜毎怯えることがなくなるわ。陽の眩しさに頭を痛めなくてもいいの。ひとの笑い声だって気にならなくなる。ねえ、ほんの少しだけよ。ほんの少しだけ、力をこめるだけで、あなたは楽になれる」
だからあたしを殺してみなさいな。
大丈夫よ、それは悪いことではないわ。
音羽さんはそう言い、そして切っ先を胸へと導いた。
刃が肉体を貫く目立った音はしなかった。
ただ静かに、女の瞳から涙が流れ落ちて、音羽さんは殺された。
気を失った女を路傍に座らせてから、真っ赤な血を溢れさせ地面に横たわっている音羽さんを抱き上げる。根元まで刺さった刃は揺らぎもせず突き立っている。私は何度も何度も、この子どもの姿をした悪魔か天使が殺されている様を見守ってきた。
一番近く。誰よりそばで、見つめてきた。
それなのに。
「今回は駄目ってどういうことなんですか、音羽さあん」
情けない声がつい漏れ出る。一度の刺殺で眠ってしまうぐらいの殺意だったらしい、目を閉じたまま動かない音羽さんに詰め寄るわけにもいかず、私は黙って乱れた長い黒髪を撫でつけた。