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黒い幻覚に告ぐ!!  作者: 朝霧
黒い幻覚に告ぐ!!
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 「ふざけるな」

 そう言って奴は再びあたしの頬を打った。

 そのまま二往復ほど、あたしの体がふらつくまで。

 「ふざけるなよ。お前」

 口調がいつもの気弱なそれと変わっていた。

 どうも怒らせてしまったらしい。

 その口調は、『リーダー』のそれを真似たその口調は、彼が誰かのために怒る時にしか使わない口調だった。

 誰かを失わないように、誰かを守るための。

 あたしの身体がふらついたところで奴は頬を打つ手を止めたが、別に容赦しているわけではない。

 背後の壁に体をもたれさせる前に襟首を掴まれて、そのまま頭突きされた。

 「ギャッ!!?」

 流石にそこまでされるとは思ってもいなかったので、思わず悲鳴をあげて軽くうずくまった。

 「……いってーな!! 何すんだよ!!」

 「うるさい、お前が馬鹿なことを言うからだ」

 氷水のような声だった。

 このやろう、あたしのことを馬鹿と言いやがったな。

 ……喧嘩上等だ、その喧嘩買ってやる。

 と、顔を上げたところで、自分の顔が凍りついた。

 「……なんつー情けないツラしてんだよ、お前」

 「うるさい……お前のせいだ……お前が……自分の身を危険にさらすようなことを言うから……」

 その声は怒っていた、怒りすぎて声に温度が感じられないほど。

 だけど見上げた顔はぐちゃぐちゃだった、泣き出す寸前のような傷付いたような顔をしていた。

 「……それ以外に思いつかないんだよ。またあの黒い幻覚が母さんの前に姿を表す前に……なんとかしたかったんだ」

 だからここに来た。

 この先の暗い路地裏にいかにも危険そうなこの空間にあたしが一人で入り込めば、それだけであの黒い幻覚が現れるには充分な理由になる

 この先の路地裏には物騒な噂が常にあった。

 元々人通りのないこの道から、さらに外れたその通りには。

 女の子が連れ込まれて輪姦されたとか、腐乱した死体が見つかったとか、殺人鬼の溜まり場だとか。

 本当かどうかわからないようなそんな噂が。

 だから、多分あの黒い幻覚は姿を表すだろう。

 「……これでも考えてるんだよ……その中で一番危険がない方法だ……だって危険な目にあうわけじゃない……危険な目に合いそう、ってだけだから」

 実は他にも色々考えてはいたのだ、その中でこれは一番安全な方法。

 運が良ければ何事もなく終わる。

 運が悪ければ……その時はその時だ。

 腹はくくってる、問題ない。

 「それでも……そんな事をさせるわけにはいかない……」

 「大丈夫だって……心配性だな、お前」

 少しだけ揶揄するようにそう言うと、奴の目から雫が一筋だけ落ちた。

 「僕はこれ以上……仲間を失いたくないんだよ……!!」

 …………。

 …………そんな顔でそんな事を言われると、もうどうしようもないな。


 「……わかったよ。今回はやめておく……もうちょいまともな案を考えるよ」

 ……確かに、よく考えてみると……立場が逆だったら自分も絶対に止めていただろう。

 自分でも引くほど冷静にそう思ったのは、奴を泣かせてしまったからで、そこまで追い詰めてしまったせいだろう。

 あたしはそこまで考えていなかったのだ、多少危険な目にあっても、それ以上のことが起こる、なんて。

 「……本当?」

 「本当。悪かったよ……そこまで考えてなかったんだ。多少の怪我は覚悟してたけど」

 「……そんな軽い覚悟だったの?」

 奴の声がまたひと段落冷たくなる。

 火に油を注いだか、と思ったところで。

 それが視界に入った。

 あたし達が立っている路地裏の前。

 その道を挟んで真正面にある路地裏の中で。

 黒い人影の黒い目が、こちらを見ていた。

 どこかで(鏡越しに)見た誰か(自分)の顔に少しだけ似ているその顔を見て、数秒目を見開いて。

 訝しげな表情をした奴が、背後を振り返ったその時に。

 「待ちやがれ!!」

 そう叫んで、奴の体を突き飛ばして、あたしは駆け出した。

 その時にはもうその黒い幻覚はその身を翻していた。

 間に合わない、直感的のそう悟った私は、声を張り上げていた。

 「聞け!! 幻覚野郎!!」

 そう叫んだ時、すでに黒い幻覚の姿は霞のように消えていた。

 それでも私は声をあげる。

 姿は見えなくても、どうせ声が届く範囲にはいるだろうから。

 「もう二度と!! お母さんにその姿を見せるな!!! てめーのせいで母さんが泣くんだよ!! だからもう二度……母さんの前に出てくるな!!!!!!」

 そう叫んで、いつの間のにかしゃがみこんでいた。

 喉が苦しかった、大声を出したせいだろう。

 ぜえぜえと喉がなる、息苦しい、喉が痛い。

 「……言いたかったことは、あれでいいの?」

 手を差し出してきた奴の手を掴んで、無言で首肯する。

 「……本当に? だって、あの人、もしかすると……」

 「その先は、言うな」

 立ち上がり、奴の唇に人差し指を突きつけた。

 ……こいつも同じ解に辿り着いていたのか。

 うまくごまかせてるつもりだったし、気付いている様子はなかったから、少しだけ意外に思った。

 ……でもまあ、その可能性は普通に思いつくか。

 「わかったよ」

 何かに気付いたような顔をした奴は、それだけ言って、それ以上は何も聞いてこなかった。


 言うべき事は言ったから、今回はこれでよしとすることにした。

 あの幻覚野郎があたしの言葉に従うかどうかはわからない。

 もし、性懲りも無くまた姿を見せるようであるのなら……その時はまた別の方法を考えよう。

 今回は、こちらが迷惑しているということを一方的に伝えられただけでもだいぶ収穫だ。

 だから、これでいい。

 知りたい事は知る事が出来なかったけど、知りたいようで実際知りたくないその事を聞けなかったのは、自分にとってはかえってよかったのかもしれない。

 知ったところでどうしようもないし、もしあの馬鹿げた解が事実だったとしたら。

 あたしはどうすればいいのか色んな意味でわからない。

 だから、きっとこれでいい。

 気付かないふりをして生きていくのは気分がいいものじゃないし、モヤモヤするけど。

 それでもきっと、それが正解なんだろう。


 その後、2年、黒い幻覚があたしとお母さんの前に姿を現すことはなかった。

 そう、あれから2年後の今まで。

 灰色の旅人が宿屋を訪れる前までは。


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