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「……え?」
「……チビの頃から時々……母さんと一緒にいるときとか、そうじゃないときでも時々……人の視線を感じることがあった。その度にそっちを見ると……雑踏の向こう側や見上げた屋根や木の枝の上から、黒い誰かがこっちを見ているんだ……そいつはいつも、ふと目をそらした隙に、瞬きをした一瞬の間に消えている……気にはなってたけど、目の錯覚なんだろうなって思ってた……でもよく思い出してみると……母さんが酒を飲むのはそいつを見かけた日の晩が多かったし……今思うと、そいつが見えて、消えた後に見上げた母さんの顔は……いつも青ざめていた気がする」
そこまで言うと、奴は顔を軽く青ざめさせてあたしの肩を掴んだ。
「待って……それって……どういう…………」
「どういうもこういうも…………そいつ、あたしの目の錯覚でもなければ、母さんの幻覚でもない……多分、実在する人間だ」
「だ、だとするとなんでそいつは君と君のおばさんを……? それになんでおばさんはその黒い人の事を幻覚だなんて……」
それはあたしも気付いたその時に疑問に思った。
ただ、誰かに見られているというのなら、その誰かがお母さんにとって恐ろしいものだというのなら、何故お母さんは幻覚だと思ったのか。
「……だから、あたし、母さんに言ったんだよ。その黒い幻覚、あたしも見たことある、って。ひょっとするとストーカーか何かかもしれないからオーナー達に相談しよう、って」
そうあたしが言った直後、お母さんはとても驚いた表情を浮かべた後、すぐに首を横に振った。
「……でも、そんなわけないっていうんだよ。幻覚じゃないわけがない、って。……だって、その人は……とっくの昔に、死んでるから、って」
その死んでいる誰かが誰であるのか、お母さんは言わなかった。
それでも流石に察しはつく、お母さんがあんな顔をする理由は、一つだけだ。
ずっと昔、あたしがまだチビだった頃。
疾風隊が疾風隊として名乗り始めるよりもずっと前の小さい頃。
あたしはお母さんに聞いた事がある。
自分の父親はどんな人だったのか、と。
自分が生まれる前にすでに死んでいたことは知っていた。
オーナー達も父の事を知っていることは知っていた。
だけど、どんな人なのかは聞いた事がなかった。
だから、どんな人なのか、根掘り葉掘り聞いてみることにしたのだ。
どんな人だったのか、あたしには似ていたのか、そう聞くと、お母さんは静かな声で少しだけ父について教えてくれた。
『あんたは完全に私に似ている、あいつと同じなのはその目の色だけだ』
そう言って、お母さんは私の目を見つめて、何か懐かしいものを見るような目をしていた。
『――あいつはどうしようもない奴だった。自分勝手で、我儘で、自分のことばかり考えてる最低野郎だ……』
あんたはああいう風にはならないでよ、そう言って、お母さんはあたしを抱きしめた。
そんな最低野郎になんかなるか、そう反論しようとしたところで、でも、とお母さんは言葉を続けた。
『でも、私は……あいつと一緒に生きたかったんだ……それだけでよかったのに……それなのにあいつは…………勝手に私を守って、勝手に死にやがった。――だから、あたしが死んであの世に行ったら……土下座して泣いて謝るまでぶん殴ってやる』
そう言うお母さんの顔はとても寂しげで、悲しそうだった。
だから、それ以降、あたしは父については何も聞かなかった。
聞けなかった、という方が多分あっている。