第192話・継母の箱庭を脅かす存在感
仕事帰り、英俊は
リビングルームに立ち寄り妻の体調を聞き、労った所で
とある言葉を口にした、
「もう少し、芳久への態度を改めてくれないか」
英俊は、美菜に交渉を仕掛けた。
しかし、美菜はぎろり、と血走り
疎ましい眼差しで英俊を見詰める。
英俊は、美菜が息子に示している態度を知っている。
奴隷の様に扱い、古希を使いながらもその間、美菜はずっと疎ましい眼差しで見詰めている。
まるで、美菜の世話を焼いている今の芳久の姿はシンデレラの様だ。
英俊は、芳久へ懸念を抱く様になった。
異母兄弟とは云えども兄になるという自覚を持って欲しくて、継母の世話を任せた。
しかしこの妻の態度では、また息子が高城家から逃げ出さないであろうか。
芳久の性格上、忍耐強いと知っているが、
一度空気同然に実家から去った芳久への疑念は消えない。
心配そうな眼差しの英俊が余計に腹が立った。
今まで高城家には誰にも居なかったから、
彼を独占しては安心してなら、尚更。
「………あの子は、薄気味悪いのよ。
視界に入るだけでも身の毛がよだってしまうわ」
「………………どういう事だ」
眉を潜める英俊の前に、美菜は立ち上がり見上げた。
「言葉の通りよ。
あの子を見ていると薄気味悪いの。
喜怒哀楽も、人間味の一つもない、まるでロボットみたい。
見ていて接しされているだけで気持ち悪いのよ」
「……………美菜」
確かに凛々しく堂々していた長男と比べて、次男は暗く寡黙だ。
掴み所が無くて何を考え思っているのか、あまりその心情はあまり読めない。
扱いにくい子供だ、と思い幼少期の芳久を見てあまり良い印象は抱いた事はなかった。
しかし、自身は後継ぎであった長男に、
盲目な期待を寄せていたから、あまり深くは考えていなった。
だが長男が亡き後、次男を後継ぎに指名した後、彼と接する事が多くなった。
自分自身の息子、プランシャホテルの次期理事長となるには、
それに相応しい人間に叩き込まなければならない。
芳久の人格は変わらなかった。
しかし其処で初めて芳久の性格や隠された本質に気付いた。
知的で寡黙、という性格の相違だけで
実力は兄に勝る程に優秀な頭脳と腕を備えている。
そして何事にも冷静沈着で優雅な振る舞いをするのだと。
芳久は次期理事長として相応しい器を備えている、そう安心した。
しかし。芳久はある“違和感”を感じた。
(人、一人の人間ならば自分自身の意見があっても良い筈だ)
けれども芳久は自分自身を剥き出しにした事も、
父親である逆らったり、意見を述べたりする事はない。
ただ寡黙に聞き手に回るのみ。
しかし、自分自身がないという訳ではなく
その知恵を飲み込み、次に見る時には成長している。
それは感情が、自分自身を持っている証拠だ。
自由奔放にのほほんとした物腰でいる為に
人間味が見えないだけかもしれない。
息子が浮かべている物憂げな表情は、何を意味するのか。
英俊はどれだけ探っても、息子が浮かべる表情と存在感を
あまり示さない理由を分からない。
ただ、冷静沈着で寡黙過ぎるだけ。
英俊は芳久を、そう解釈していた。
しかし妻が芳久をロボット、人間味が無い、薄気味悪いと認識とは意外だった。
本当は、誰でも良かった。
いつか自分自身が安定した温室で暮られば、相手なんて誰でも良かったのだ。
高城英俊に目を付けたのは、代々続く最高峰のホテルの理事長だから。
『いずれは、妻に迎える』という英俊の言葉を信じて待ち続けた。
けれど美菜の方が待ち切れなかったのだ。
早く安定した温室に入りたい。
プランシャホテル理事長という妻に居座りたい。
愛人として囲われて数年、借りてきた愛しい猫のふりをしていたけれど何年も待たされると次第に美菜に焦りが生まれてきた。
結婚願望、我が子の見たい、そんなものではない。
美菜が焦らし、疑心暗鬼の感情に動かせたのは、
自分自身の可愛いさ。
自分自身さえ安泰になれば、他はどうでもいい。
自分自身は温室に入り込めるのだろうか、
もう細い平均台を歩む不安定な道には居たくない。
早く高城家の主人の、プランシャホテル理事長の妻という座に座りたかった。
美菜の強欲の炎の様に燃え滾り、
いよいよ留められくなったあの日。
『________結婚してくれないなら、死んでやる』
刃物を、英俊に向けた。
自分自身が口にした脅しの言葉は、案外、効いた様だ。
人は『死』を口にすれば、例え冷静沈着な人間でも慌てふためいてしまう。
脅しの言葉。
けれど安定した温室に
暮らせるのならば、美菜は手段を選ばなかった。
例え、誰かを犠牲にさせたとしても。
プランシャホテルの理事長と結婚し、
高城家の温室に入り込めば一生、自分自身は保証され安泰だという確信と欲望は、美菜を唯一飽きさせなかったのだ。
美菜は、英俊の胸に身を寄せた。
プランシャホテル理事長の妻の座、理事長の子供を宿しているならば自分自身の株は上がる。
高城家という温室から追い出される事はない。
だから、安心していたというのに。
芳久を見ていると、身の毛がよだって仕方ない。
まるで冷俐な薔薇、触れれば主張はしないが、
猛毒を備えた刺の様な存在に思えてしまう。
何時しか、芳久は美菜を脅かす存在と化していた。
自分自身の入り込んだ暖かな温室に、冷俐な存在感、
自分自身を脅かす存在等、要らない。
美菜にとって、芳久は邪魔者だ。
震えながら、やや媚びる声音で、美菜は呟いた。
「あの子を見ていると、この子を、
殺されてしまう様な気がして安心出来ないの………」
「このまま暮らしていたら、
あの子に、この子が殺されて居なくちゃう……それは嫌よ」
美菜は、己の腹を愛しそうに擦り、英俊に訴える。
ねえ、と言いかけて
「貴方は、あたしとこの子、あの子、どちらが大事なの?」
潤んだ瞳で、か弱いふりをして訴える。
英俊は固まった。
確かに愛しい妻子は大切だ。
しかし、次期理事長という存在の、芳久も見捨てられない。
(………身勝手な女に、自分本位の男か)
壁に背を預けながら、芳久は一部始終を耳にしていた。
父親の背中と、媚びた身勝手な美菜の言葉に、芳久は嘲笑う。
そして静かに嘲笑っていた後で思った後に、
(……………今は茶番劇に、浸ればいいよ)
_______いずれ俺は、あなた達が怖れる狂喜になるから。




