30.狩人の名
「助かったぜ! ありがとうよ!」
カウンターの硬い木面に、パチリと爽やかな金属音を立てて金貨が一枚置かれた。
情報提供に対する、正当なる対価——ということらしい。
のしのしと重い足音を立て、仲間のテーブルへと戻っていく大男の広い背中に、ルイスはどこか引きつった笑顔で手を振った。
「よい小遣い稼ぎを見つけたようだね、ルイス君」
煙管を咥えたヴィクター・アダムスが、カウンターの内側から薄い笑みを浮かべて語りかけてくる。
「は、はぁ……まあ、はい……」
目の前に鎮座する黄金色の輝きを前に、ルイスの表情は複雑極まりなかった。
なにせこの金貨は、あの純粋な女騎士ロザーナを巧みに欺き、情報を引き出すことで得た代物なのだから。
そしてもうひとつ、ルイスの胸を重く押し潰している出来事があった。
本日、日中の甘酸っぱいお茶の席で、ロザーナが無邪気に発した一言だ。
『そういえばルイスさんは、普段どのようなお仕事をなさっているのですか?』
まさかバカ正直に「裏稼業の暗殺者です」と答えられるはずもない。ルイスが言葉を濁し、「ちょっと……色々と複雑な事情がありまして……」と、ある意味ではこの上なく正直に答えたところ——
『す、すまない! 詮索が過ぎましたねっ!』
ロザーナは顔を真っ赤にして慌てふためいていた。……実のところ、その時の彼女の脳内では(ふむ! 男には語れぬ秘密のひとつやふたつがあって当然。だが、そこがまたミステリアスで……実に素敵だっ!)
と、とんでもなく都合よく解釈されていたのだが、ルイスが知る由もない。
要するに、ルイスの現在の切実な悩みとは——。
「ねぇ、ヴィクターさん。ギルドの皆さんって、『なんのお仕事をしてるんですか?』って聞かれたら、なんて答えてるんですか?」
「ん? なんだ、ルイス君はまだ"表の職業"を持っていないのかい?」
「へ? 表の職業……?」
「ああ。いくら影に生きる我々とて、飯も食えば、嗜好品も欲しくなる。だが、定職にも就かずブラブラしている男が、なぜか毎夜豪遊できるほど金回りがいい……そんな目立つ真似をしてみろ。あっという間に憲兵騎士団に怪しまれる」
ヴィクターの言葉に、ルイスはハッと息をのんだ。
確かに……物欲に任せて金貨を使い込み、街を浮かれ歩いていた己の姿が脳裏をよぎる。
定職に就き、汗を流すのがこの世の理。無職の金持ちなど、怪しさの塊でしかない。
「例えば……皆さん、どんなお仕事をなさっているんですか?」
「私は、見ての通り、表向きはしがない酒場のマスターだ」
「あー、確かに……すごくしっくりきます」
「先ほど君が話していた男——“パイソン・リキッド”は、表では腕利きの薬師だよ」
その言葉に、ルイスはバッと勢いよく振り返った。
豪快にエールを呷っているあの巨漢が?
どう見ても鉱山で岩を砕くか、冒険者パーティの壁役にしか見えない筋骨隆々の大男が、そんなインテリジェンス溢れる精密な職に就いているとは……。
ヴィクターは紫煙をゆるりと吐き出し、さらに言葉を重ねる。
「他にも……肉屋、鍛冶師、高級邸宅のメイド、吟遊詩人、大道芸人、宿屋のオーナー……色々だな」
「なるほど〜……じゃあ僕も、早急に表の仕事を見つけなきゃダメってことですね」
「なにも表で大金を稼ぐ必要はない。自分の得意なことや、好きなことをすればいい」
ヴィクターの助言に、ルイスは腕を組んで思案に暮れた。
(僕の……したいこと……得意なこと……ハッ!)
電光石火の閃きが脳細胞を駆け抜け、ルイスは輝く瞳で叫んだ。
「冒険者なんて、どうですかねっ!?」
それこそが、故郷を飛び出してきたルイスの本来の目的であり、長年の夢だった。しかし——。
「冒険者との兼業は固く禁止されている」
「なんでぇぇぇぇ??!!」
「ふぅ……相性が悪すぎるからだよ。冒険者とは人々の憧れを一心に集める表舞台の花形だ。功績を挙げれば顔も名前も瞬く間に売れてしまう。……影に潜む我々が有名人になってどうするね?」
ヴィクターは無表情のまま、冷ややかな正論とともに煙を吹き出した。
言われてみれば、ぐうの音も出ないほどその通りだった。
ルイスが読み耽ってきた数多の冒険譚でも、スタンピードから街を救った英傑や、伝説の竜を討った英雄などは、一振りの剣で成り上がり、時には貴族に叙爵される者すらいた。
暗殺者がそんな表舞台で顔を売っていいはずがない。
またしても、夢への第一歩は盛大にズッコケる結果となった。
その時である。
「やあ、"狩人"……情報提供に感謝する。おかげで滞りなく仕事を完遂できたよ。……これは私の気持ちだ。取っておいてくれ」
声の主は、顔の下半身を隠したあのギョロ目の同僚だった。
どうやら南街区での裏仕事は、ルイスがもたらした防犯意識ゼロの巡回ルート情報のおかげで、極めてスムーズに完了したらしい。
チャリン、と再びカウンターに金貨が躍る。
(……というか。毎日毎日、誰かしらが暗殺されてるこの帝都って……どんどん人口が減ってるんじゃ??)
恐ろしい謎の真理に勘づきかけたルイスだったが、命のために口を閉ざした。男は静かに闇へと溶けるように去っていく。
しかし、ルイスの意識は別の単語に引っかかっていた。
「ん? あれ……? 『狩人』って、何のことですか?」
するとヴィクターは、少し面白がるように口元を歪めた。
「君のことだよ、ルイス君。……獲物を手際よく解体し、的確に急所へ矢を穿つ。裏の世界に広まりつつある、君のお似合いの……"二つ名"だ」
どうやらルイスの知らないうちに、裏社会限定の物騒な異名が定着しつつあるらしい。
だが、あながち間違いでもなかった。
故郷の村にいた頃、ルイスは祖父とともに狩猟を行って生計を立てていたのだ。
村を訪れる行商人たちからも、ルイスが狩った鹿や猪の肉は血抜きが完璧で処理が極めて美しく、最高級の商品として高く買い取られていた実績がある。
(なるほど……狩人……。狩り、か……)
じんわりと、確かな手応えを伴うアイデアが脳内を満たしていく。
ルイスは意を決して、ヴィクターに問いかけた。
「ねぇ、ヴィクターさん! もし僕が極上の美味しいお肉を調達してきたら、このお店で買い取ってもらえますか?」
「うん……? そりゃあ仕入れの手間が省けるならありがたいが……」
首をかしげるヴィクターに、ルイスは満面の笑みを向けた。
「なら 他にも新鮮なお肉を欲しがっているお店——つまり、僕の取引先になってくれそうなところを紹介してもらえませんか!?」
生き生きと目を輝かせるルイスの姿を前に、ヴィクターの脳内には恐ろしい疑問が渦巻いていた。
(……まさか……仕留めた『人間の肉』を卸売りする気ではあるまいな……?)
闇の住人ならではの猟奇的な勘違いが芽生えていることなど、ルイスは知る由もなかった。




