15.僕には友達がいない
「ふぇぇ……心臓、止まるかと思ったぁ……」
帝都の喧騒が遠のく郊外、巨木が広げる青葉の影で、ルイスは力なく座り込んでいた。胸元に強く抱え込んでいるのは、あの恐ろしいクロスボウが眠る黒革のバッグだ。
「まさか憲兵さんだったなんて。重装甲の鎧を着込んでいない人もいるんだなぁ……」
先ほど宿の食堂で鉢合わせた二人組。
彼らが身に着けていたのは、機動性を重視した最小限の胸当てと小手、そして腰に提げた機能的なショートソードだけだった。
もし、あの場で怪しまれ、部屋へガサ入れでもされていたら、自分は血の海に沈み、何も知らないリリィにまで、何らかのお咎めがあったかもしれない。
まるで、綱渡りのような生きた心地のしない日常。
漠然とした不安が、悪運の黒い影のように胸の奥で這い回っていた。
木漏れ日の隙間から見上げる空は、透き通るような青。
鳥たちが平和な調べを奏で、流れる雲は何にも縛られず自由に形を変えていく。
ルイスはぼんやりと空を仰ぎながら、ぽつりと呟いた。
「暗殺者ギルドって、本当に抜けられないのかなぁ……」
脱退者は例外なく抹殺されるという『鉄の掟』。
だが、青空を見つめるルイスの頭には、ふとした疑問が芽生えていた。
暗殺者は、死ぬまで暗殺者であり続けなければならないのだろうか?
掟の裏に隠された特例措置や前例はないのか?
そう例えば、高齢になり、足腰が衰えた先人たちはどうしているのだろう?
連鎖する問いが頭を巡る。
「……ヴィクターさんに、聞いてみる?」
口に出した瞬間、彼の頭の中に恐ろしい妄想上の光景が描かれた。
『ほう……ルイス君。君は当ギルドを抜けたいのかね?』
凍てつくような冷徹な眼光。
背筋を氷の刃で撫でられたような寒気が走り、ルイスは「ブルルッ!」と激しく首を振った。
では、他に相談できる相手はいるだろうか?
この街で知り合った顔ぶれを指折り数えてみる。
串焼き屋のドルテオ、
宿屋のリリィ、
武器商人のユーリー氏。
誰も暗殺者ギルドのルールなど、知り得るはずがない(実は割とみんな知っているが……)。
湧き上がる心細さに胸が押し潰されそうになり、ルイスは思わず心の中で呟く。
(爺ちゃん……僕、どうしたらいいんだろ……)
珍しく弱気になったルイスは、気を紛らわせるために周囲へ鋭い意識を向けた。
人の気配がないことを確かめると、バッグからパーツを取り出し、手慣れた手つきでクロスボウを組み上げていく。一度経験したはずの工程は、もはや体に染み付いた一連の儀式のように淀みがない。
カチリと完成した武器を固く握りしめると、不思議と胸の重圧が和らいでいくのが分かった。絶対的な攻撃力――それすなわち『強さ』の所持は、生命としての原初的な安心感をもたらす。ルイスは己の感覚を客観的に分析していた。
「誰かに聞く……誰か……」
その時、脳裏に電流のような閃きが駆け抜けた。
「そうだっ! 僕には、仲の良い『同僚』がいないんだ……!!」
暗殺者ギルドの酒場に夜な夜な集う客たち。
ヴィクターの言葉を借りれば、あそこにいるのは全員が同業者だ。
ならば彼らの中に、脱退者の前例や裏道を知る者がいるのではないか?
「なんだぁ〜! そんな簡単なこと、なんで思いつかなかったんだろ〜!」
持ち前の致命的楽観主義が土壇場で爆発する。ルイスは力強く拳を握りしめた。
「よしっ! そうと決まれば……『お友達をつくろう作戦』だ!」
雲が晴れるように、一筋の光明が見えた。
明日から……いや! 今夜からさっそく作戦開始だ、と決意を新たにしたその時――頭上からバサバサと激しい羽ばたきと共に葉が舞い落ちてきた。
見上げれば、はるか高所の太枝に留まる大型の怪鳥。色鮮やかな羽毛を纏ったロックバードだった。
長年の狩猟で身体に染みついた本能が起動し、ルイスは瞬時に気配を限界まで消し去った。
カチャリと静かな音を立て、レバーを引いて矢を装填する。
呼吸を止め、一切の雑念を排し、全身の筋肉から余計な緊張を抜き去る。だが、体幹だけは不動の岩のように固定した。
祖父から叩き込まれた弓打ちの神髄――『寒夜に霜が降る如く絞る』。
構造の違うクロスボウであろうと、真理は変わらない。
ルイスの意識は深遠な『無』の領域へと没入していく。
そして。
――バシュッ!!
空気を切り裂く鋭利な発射音。
「ギャァァッ!? ギギギッ……!」
けたたましい断末魔の悲鳴とともに、巨大なロックバードが地面へと叩きつけられた。激しくのたうち回り、やがてピクリと一際大きく痙攣し、事切れた。
ルイスは静かに息を吐き出し、クロスボウを下ろした。
そして仕留めた獲物に近づき、その状態を改めた瞬間、目を見開いた。
「ん? えっ……はっ!? ちょっとちょっと! これ、貫通してない!? ……はぁっ? どんだけの威力だよこれぇぇぇぇ!!」
己が手にしてしまった兵器の規格外すぎる殺傷力に直面し、ルイスは恐怖のあまり地面をゴロゴロと、のたうち回るのだった。




