12.秘密の扉の奥
ルイスは、帝都の路地裏にひっそりと佇む重厚な鉄扉の前に立っていた。
謎の圧迫感に気圧され、またしても不審者のようにキョロキョロと周囲を警戒する。足元を、痩せこけた一匹の黒猫が「ニャ〜」と低く鳴きながら通り過ぎていった。
店舗を示す看板の類は一切存在しない。
ただ、冷たい鉄の扉の中央に、流麗で洗練された真鍮のプレートが一つ掲げられているだけだった。
――Private - Members Only ――
立ち入る者を厳しく選別する、秘密の聖域であることを示す無言の拒絶。
ゴクリと生唾を飲み込み、ルイスは意を決して拳を叩きつけた。
ゴン、ゴン、ゴン、と鈍い金属音が路地裏に響く。
しばらくの沈黙の後、ガシャリ! と軽快な音を立てて細長いのぞき窓がスライドした。覗き込んできたのは、夜の闇を溶かし込んだような冷酷な黒色の双眸。
「……どちら様でしょう?」
透き通るような、しかし一切の温度を感じさせない女性の声だった。
「あ、あのぅ……僕、ヴィクター・アダムスさんのご紹介で……」
ルイスは裏返りそうな声を必死に抑えつつ、例のカードをのぞき窓へ掲げて見せた。
「少々お待ちください……」
バタン、とのぞき窓が閉じられる。
ルイスは「ふぅ……」と胸を撫で下ろした。どうやら門前払いは免れたらしい。
しかし、そこから数分間、完全に音沙汰がなくなった。
手持ち無沙汰になったルイスは、仕方なく足元に残っていた黒猫へ視線を落とす。
「ニャ〜、こっちおいで〜、おいでぇ〜ニャ〜……」
猫なで声を出しながら屈み込んだ瞬間、「シャーーーッッ!!」と毛を逆立てて激しく威嚇され、ルイスは切ない気持ちで指先を引っ込めた。
そんな暇つぶしの後、
ガチャリと静寂を破って背後の扉が開かれる。
「どうぞ。中へ……」
出迎えたのは、先ほどの冷たい声の主だった。
知的な銀縁眼鏡の奥に刃物のような冷光を宿した、黒髪のメイド。
そして何よりルイスの視線を強烈に奪ったのは、メイド服の胸元を押し上げるような……極めて豊満な"果実"であった。
(ふ、ふくらみが、すごい……っ!?)
ルイスは目を見開き、口をギュッと一文字に結んで、死んでも彼女の胸元に視線を落とさないよう固定した。
変顔の極地のような形相になったルイスを、メイドは一瞬だけ怪訝そうに見つめたが、
「旦那様がお会いになります。ついていらしてください……」
一切の感情を排した無表情に戻り、翻したスカートの裾と共に奥へ歩み出た。
「は、はい……!」
変顔を解除したルイスは、必死にその後を追う。
ひんやりとした暗い石造りの通路を抜けると、視界が唐突に弾けた。
頭上から降り注ぐのは、温かな本物の太陽の光。
そこに広がっていたのは、帝都の喧騒を完全に遮断した広大な秘密の庭園だった。
美しく揃えられた青々とした芝生。
色彩豊かに咲き乱れる季節の花々。
木立ちが爽やかな風に揺れ、小鳥たちの愛くるしいさえずりが耳を撫でる。
(うわあぁ……すごいなぁ……!)
目を丸くしてキョロキョロと周囲を見回しながら、メイドの後に続く。
よく見れば、敷地の外縁は恐ろしく高い石造りの防壁で囲まれていた。
先日、命がけで潜入したあのロン・プエルトの邸宅の庭園すら、遥かに凌駕する広大さだ。
ふかふかの芝生を踏みしめて進んだ先に、再び重厚な装飾扉が現れる。
メイドが扉を開き、すっと脇へ控えた。
「こちらへ……」
どうやら、ルイスが先に入室しなければならないらしい。
「あ、どうも……」
一歩踏み出そうとした、その時。
「ああ……その懐のモノを、預からせていただきます」
背後から放たれたのは、絶対の拒絶を含んだ冷ややかな氷の言葉だった。
(ひぇっ……バレてる……!?)
ルイスは引きつった手つきで、愛用のナイフを革製の鞘ごと懐から引き抜き、恭しく差し出されたメイドの手へと委ねた。
気を取り直し、再び部屋の奥へと進む。
重厚な遮光カーテンをくぐり抜けた先には、またしてもルイスの常識を覆す驚愕の光景が待っていた。
天井に配された魔導灯の眩い光。
どこまでも広々とした大空間。
そして——室内の三方を埋め尽くす壁一面に飾られていたのは、魔導灯の光をギラギラと反射させる、途方もない数の――剣、槍、斧、そしてあらゆる殺傷兵器のコレクションだった。
ルイスの脚がピタリと止まり、吸い寄せられるように部屋の一角へと駆け寄る。
「う、うわぁぁぁぁあ……っ!?」
感嘆の悲鳴が漏れた。
そこに鎮座していたのは、見事に鍛え上げられ、芸術品の域まで磨き抜かれた数十本ものナイフたち。
まるで王侯貴族を顧客に持つ超高級店のごとく、眩いばかりの輝きを放ちながら陳列されていた。
一目で理解できた。
どれもこれも、最高峰の職人が魂を削って作り上げた超一級品。
柄の細密な装飾に至るまで、贅を極めた至高の逸品揃いである。
刃物マニアとしての血が騒ぎ、ルイスの心臓がドクドクと高鳴りを始める。
その時だった。
「お気に召しましたかな?」
静寂を突いて響いた渋みのある声に、ルイスは「ひゃいっ!?」と跳ね上がって振り返った。
「あっ! す、すみません勝手に! 申し訳ありません!!」
条件反射で平身低頭謝り倒す。
声をかけてきた老紳士は、怒る素振りも見せず、黒縁眼鏡のブリッジを優雅に押し上げた。
頭髪も髭もなく、ツルリとした卵のような丸みを帯びた頭部。
身に纏うのは、貴族階級の品格を漂わせる、洗練された黒一色の仕立ての良いジャケットだ。
「申し遅れました。私がユーリー・バウト。ここの工房長をやらせていただいております」
「あ、ご丁寧にどうも……っ! 僕はルイスです。ただの、ルイスです!」
ユーリーは静かな足取りでルイスの傍らへ歩み寄る。
「ヴィクター・アダムス氏のご紹介ということでね。今回は特別に、この『ギャラリー』へ、ご案内させていただきました」
「は、はい! 本当にありがとうございます……!」
「……ナイフが、お好きとお見受けするが?」
「はいっ! 大好きです! 刃物全般、三度の飯より大好きです!!」
思わず少年のように目を輝かせて即答してしまった。
すると次の瞬間——いつの間に滑り込ませたのか、ユーリーの手元には一本の大型ナイフが握られていた。
ルイスが先ほどメイドに預けたはずの、あの愛用のナイフだ。
「失礼ながら、貴方の『これ』を拝見させていただきました。……なるほど。ミスリル合金ですか。一級品どころか、国宝級と言っても差し支えない素晴らしい業物だ。……一体、どこでこれを?」
「あー、えーーーっと! その……爺ちゃ……あ! いえ、故郷の祖父から譲り受けたものでして……!」
ユーリーはルイスの目の前で足を止め、薄い唇を結んだまま、深く鋭い瞳でルイスの双眸をじっと覗き込んできた。
(な、なに……!? え? なになになに……!??)
沈黙という名の拷問。
ルイスの脳内で警報が鳴り響き、背中を嫌な汗が流れ落ちていく。
やがて、老紳士は静かに口を開いた。
「……なるほど。では『これ』で、ロン・プエルトの首を掻き切ったと。そういうわけですな……?」
ドッギャーン!!
ルイスの脳内で、巨大な雷鳴が轟いた。
衝撃のあまり膝がガクガクと震え、超高速で心臓が暴れ回る。
(えぇぇぇぇぇッ!? なんで知ってるの!?? えッ!? っていうか、僕が殺したのは執事のおっさんで、ロン・プエルトなんていう大物は顔すら見てないのに!? ……あ、あれ?? でも僕、ギルドで『成功報酬』として大金貰ったよね……? えッ!? そういえば、どういうこと!??)
パニックの極み。
そうなのだ。
ルイスは手に入れた大金に目が眩み、都合よく『執事殺害事件』を脳内から消去して現実逃避を決め込んでいたのだが、今この瞬間にすべての辻褄が噛み合ってしまったのだ。
ルイスが硬直していると、ユーリーは追撃のごとく問いを重ねる。
「何故、ロン・プエルトが『執事』に化けていると見抜けたのかね……?」
ユーリーのその言葉を聞いた瞬間、ルイスの脳内演算回路が限界を超えて超高速回転を始めた。
彼は致命的な間抜けではある。しかし、野生の勘とピカッと閃く頭の回転速度が、土壇場になるほど常人の数倍跳ね上がる癖があった。
……ロン・プエルト。
あの執事のおっさん=ロン・プエルト本人……!?
まさか……そんなバカな話があるか!?
しかし現実は小説より奇なり。
幼少期に読み耽った英雄譚にすら、これほどまでにド酷い奇跡のどんでん返しは存在しなかった。
(僕が間抜けすぎて、ターゲットを間違えて執事さんを殺したら……その執事さんこそが、変装した本物のロン・プエルトだった……!?)
自分の大ポカと奇跡の勘違いが結びつき、完璧で正しい「結果」へと昇華された瞬間。
ルイスは心の中で、故郷の空へ向けて号泣しながら手紙をしたためた。
(前略、爺ちゃんへ。僕、ちゃんと悪い奴を殺してました……! 人の道から外れてなかったよ! だから今度会った時、僕を八つ裂きにしないでね……草々)
魂の安堵を得たルイスは、すぐさま得意の『ハリボテの冷徹暗殺者モード』つまり、無駄にクオリティーが高い、演技へと意識を切り替えた。
口元に、ヴィクター直伝のニヒルで深遠な笑みを浮かべる。
「……ふっ、匂いだよ……」
「ほう……?」
ユーリーの黒縁眼鏡の奥の瞳が、興味深そうに細められる。
「人の皮を被って生きる悪党にはさ……独特の匂いがあるのさ。そう……獣の臭いがね……」
キザな台詞を言い放ち、遠くを見つめるルイス。
「なるほど……噂通りの怪物か……」
感嘆の溜息をつくと、ユーリーはルイスのナイフを完璧な手つきで鞘へと納め、恭しく両手で差し出してきた。
ルイスは手が震えて落とさないよう、全集中でそれを受け取る。
ユーリーは満足そうに踵を返すと、部屋の中央にある優雅な応接セットへと促した。
「マリアに紅茶を淹れさせた。どうかね?」
「あ……はい、喜んでいただきます……」
内心で(ふぅぅぅぅぅ)と安堵の息を吐き出しながら席に着く。
この帝都という街は、どこへ行っても謎だらけだ。
メイドのマリアがしずしずと歩み寄り、ルイスの前にソーサーとカップを置いた。
湯気と共に立ち上る、芳醇な茶葉の香り。
対面にユーリーが腰掛け、静かに語り出す。
「確かに、ロン・プエルトは死んで当然の獣だった。この街には、あいつの命を狩りたがっていた人間が星の数ほどいたはずだ……昨日まではね」
ルイスはカップをソーサーごと丁寧に持ち上げ、琥珀色の液体の香りを静かに嗜んだ。
幼少期、祖父から叩き込まれた無駄に完璧なマナー。
意外にもその洗練された手つきと所作に、傍らに控えるマリアがわずかに目を見開く。
ユーリー氏は、紅茶を一口、そして。深く、深く、息を吐き出すと、
「かくいう。私も、その一人だった。……この手で、奴の首を引き千切ってやりたかったよ……」
ルイスの頬を汗が一筋……。しかし、どうしても気になった、素朴な疑問を口にした。
「……ユーリーさんは、ロン・プエルト氏に何か強い恨みでも?」
問いかけた瞬間、ユーリーの表情がピクリと硬直した。
先ほどまでの穏やかな老紳士の気配が消え、紅茶の香りに、凍てつくような漆黒の殺気が混じる。
老人は重々しく、怨嗟の籠もった声で呟いた。
「……あいつは、私の、……姪を殺したのだ……」
ルイスは、口元へ運ぼうとしていたカップをピタリと止めた。
そして、本日三度目、心の中で叫んだのだった。
(爺ちゃん!! 間違って殺したと思ってた相手、やっぱり絶対的に間違ってなかったよー!! 爺ちゃんの言いつけ通り、僕、ちゃんと悪い奴を成敗したよおおおぉぉぉぉ!!)
と。




