第12話:そして、虚像は…
第12話:そして、虚像は…
フラッシュの光が、網膜を白く焼き切ろうとしていた。
都内ホテルの大宴会場。
Jリーグ、横浜ソエルテ入団内定会見。
昨日まで国立の泥を啜っていたはずの俺は、今、仕立ての良いスーツに身を包み、冷房の効いたホテルの壇上に座らされていた。
(……帰りたい。今すぐ、この場から消えてしまいたい)
「鳴海選手。高校選手権の決勝、あの退場劇については今も賛否が分かれています。プロ入りを決めた今、改めてあの『選択』の真意を伺いたい」
記者の放つ言葉は、鋭利なナイフとなって俺の胸を抉る。
「真意」だって?
そんなもの、ただ体が動かなかったからだ。カードを貰ってでも止めなきゃ、俺の無能でチームが負けるのが怖かっただけだ。
(……逃げ出したい)
マイクを持つ手が微かに震える。横に座る強化部長が、期待の眼差しを俺に向けている。
世間の評価は、あの日を境に真っ二つに割れた。
『自己犠牲の聖者』か、あるいは『美学を捨てた凡夫』か。
俺が口を開こうとしたその時、ふと、最前列でカメラを構える小早川と目が合った。「#地獄から帰還した天才」というタグと共に、勝手に会見の様子をライブ配信している。
その後ろには、聖和台のトレンチコートを羽織った金村監督が、深く椅子に腰掛けていた。
――言うな、鳴海。
監督の目が、無言でそう告げている気がした。
俺は、震える喉を無理やり動かし、あの日からずっと練習していた「解答」を口にした。
「……あの日、俺は自分の中の『美学』を殺しました。……勝利という名の真実を守るために、鳴海涼という虚像を捧げた。それだけです」
会場が、水を打ったように静まり返る。
「……虚像を捧げた……!」
記者が何かに打たれたように、激しくメモを取り始める。
違う、そうじゃない。俺はただ「もうファンタジスタなんて演じるのは無理です」と言いたかっただけなのに。
金村監督が小さく頷き、手帳に何かを書き込んだのが見えた。おそらく『真理は沈黙の裏側に宿る』とかそんな内容だろう。
会見が終わり、控え室に戻る通路。
重い足取りで歩く俺の前に、一人の男が立ちはだかった。
「……プロの舞台へようこそ、鳴海涼」
一条零だった。
彼もまた、別のクラブの内定者として会見に来ていたらしい。一条は、あの決勝戦のような氷の微笑ではなく、どこか獲物を見定めたような、熱を帯びた瞳で俺を見ていた。
「あの日の君のプレーは、不快だった。だが、西岡が言っていたよ。『あれこそが、天才を殺すために用意された唯一の毒だ』と」
「一条……俺は……」
「言い訳は不要だ。君がどれほどの『絶望』を隠してあの場に立っていたのか、僕は一生をかけて暴くつもりだ。プロの世界では、その仮面、簡単には剥がれないように精進することだね」
一条は、俺の肩を強く叩いて去っていった。
執着、という言葉では生ぬるい。それは、俺という「嘘」を解き明かそうとする、呪いのような宣戦布告だった。
「……なんだよ、どいつもこいつも」
俺は壁に背中を預け、ズルズルと座り込んだ。
身体は重い。相変わらず、少し走れば吐き気がし、筋肉は限界の悲鳴を上げている。プロの練習についていける自信なんて、欠片もない。
「いつまで座っているの。サプリメントの時間よ」
無機質な声と共に、瀬戸内が俺の前に立った。
彼女は俺の専属体調管理担当として、特例でチームに帯同することが決まっていた。
「瀬戸内さん……聞いたろ、今の会見。俺、また嘘を重ねちゃったよ」
「ええ、聞いていたわ。最高に滑稽で、胸が痛くなるようなプロ宣言だった」
彼女はいつものように淡々と、しかし丁寧な手つきで俺にミネラルウォーターを差し出した。
「鳴海君。あなたはこれからも、自分に才能がないことに怯え、バレる恐怖に震えながら、一万人を騙し続けるの。……死ぬまで終わらない、孤独なマラソンね」
「……厳しいな」
「でも」
瀬戸内が、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、誰にも見せたことのないような、柔らかな笑みを浮かべた。
「その嘘を担ぐのが、私一人じゃないってことだけは、忘れないで」
控え室のドアが勢いよく開き、鉄平たちが雪崩れ込んできた。
「鳴海! 会見見たぜ! 『虚像を捧げる』って……カッコよすぎて俺、また泣いちゃったよ!」
「鳴海! SNSのトレンド、日本1位だよ! 『#真実の殉教者』だよ!」
白川が、大門が、乾が。
俺が吐き出した嘘の言葉を、それぞれの「聖域」で完璧に翻訳し、熱狂している。
俺は、彼らの眩しすぎる笑顔を見上げ、深く、深く、ため息をついた。
……ああ、そうか。
俺の仮面は、もう俺一人の力では剥がせないんだ。
この「嘘」は、彼らにとっての「真実」であり、俺を繋ぎ止める「呪い」でもある。
俺は、瀬戸内の手を借りて、震える足で立ち上がった。
窓の外、東京の街並みがどこまでも続いている。
明日から、また地獄のような練習が始まる。
無能さが露呈する不安に胃を焼かれ、深夜に独り、血を吐くような努力を重ねる日々。
それでも。
俺は完璧な「偽物」の顔を作った。
嘘を真実に変えるための、終わりのない戦い。
俺の名前は、鳴海涼。
才能はない。
自信もない。
あるのは、ただ、誰にも見せない「泥臭い努力」と、仲間たちから預かった「名前のない呪縛」だけ。
それでも、俺は演じ続ける。
たとえ、その果てに何一つ報われない未来が待っていたとしても。
一瞬の真実(勝利)のために、一生の嘘を貫き通す。
「……さあ、始めようか」
俺は誰にも聞こえない声で呟き、誰もいないゴールに向かって、一歩、加速した。




