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虚像のファンタジスタ 〜無能な俺は、愛される嘘を突き通す〜  作者: あめたす


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第1話:その男、絶望につき

第1話:その男、絶望につき


 眩いフラッシュの雨が、視界を白く塗り潰していく。

 都内高級ホテルの大広間。雛壇の上に座る俺――鳴海涼なるみ りょうは、借り物のタキシードの中で、じっとりと冷たい汗をかいていた。

 目の前には、飢えた獣のような目をしたスポーツ記者たちと、無数のカメラレンズ。

 背後には、今日俺が契約を交わしたJリーグクラブ『横浜ソルエンテ』の巨大なエンブレムが、威圧的に鎮座している。 


「鳴海選手! 高校サッカー界の“静かなる至宝”と呼ばれた貴方が、数多のビッグクラブの誘いを断り、このソルエンテを選んだ決め手は何だったのでしょうか!」


 記者が熱っぽくマイクを突きつける。

 会場にいる誰もが、俺の口から語られるであろう『高潔な野心』や『哲学的な動機』を期待して、固唾を呑んで見守っている。


 ――やめてくれ。


 俺は心の中で、全力で頭を抱えていた。


(助けてくれ……俺は、ただのサッカーが好きなだけの、どこにどこにでもいる“普通”の人間なんだ)


 容姿端麗? 確かに親には感謝しているが、それはただの遺伝だ。

 華がある動き? 必死に体勢を立て直そうとして、無様にバタついているだけだ。

 戦術眼の塊? 穴を開けたら殺されると思って、死ぬ気で戻っているだけなんだ。

 それなのに、世界は勝手に俺を「理想のヒーロー」に作り替えていく。

 この入団会見は、栄光のスタートなんかじゃない。

 いつかこの『無能』が露呈し、世界中から指を差される日への、残酷なカウントダウンに他ならなかった。

 視界が歪む。

 フラッシュの光が、あの夏の終わりの、強烈な西日のように見えた。

 

 半年前。聖和台せいわだい高校、県予選決勝。

 ピッチの上には、焦げ付くような熱気と、勝利への妄執が渦巻いていた。


「戻れ、戻れぇ!! カウンターだ!」


 主将の大門剛だいもん つよしが、鼓膜を震わせるような怒号を飛ばす。

 俺はボランチの位置から、肺が焼け付くような痛みを感じながら猛然と自陣へダッシュしていた。


(ハァ、ハァ……死ぬ、マジで死ぬ。なんで俺の周りだけこんなにスペースが空くんだよ!)


 俺には、いぬいのような緻密な戦術計算も、市川いちかわのような天才的な直感もない。

 ただ、自分がサボって失点した時の、チームメイトたちの落胆した顔を見るのが、死ぬほど怖いだけだ。だから、走る。誰よりも、無様に、必死に。

 相手FWが放った鋭いクロス。

 俺は反射的に足を伸ばした。だが、連戦の疲労で足がもつれる。


「あ――」


 情けない声を上げながら、俺は派手にピッチに転倒した。

 ズザザッ、と芝生を削る音。

 だが、その瞬間だった。


 ――ボッ、と鈍い衝撃が走る。


 倒れ込みながら無意識に振り回した俺の右足。そのかかとに、偶然ボールが当たった。

 俺の意図を完全に置き去りにしたボールは、物理法則を嘲笑うかのような鋭い回転を伴い、相手ディフェンスの裏、誰もいないはずの「死角」へと吸い込まれていく。


「……え?」


 顔を上げると、そこには我がチームの誇るエースストライカー、市川湊が走り込んでいた。


「――やはり、そこか。信じていたぞ、鳴海ッ!」


 市川が完璧なトラップから、美しいフォームで右足を振り抜く。

 ネットが揺れる。ホイッスルが鳴り響く。

 劇的な逆転ゴール。

 俺は泥だらけの顔を上げ、呆然と歓喜の渦を見ていた。

 ヒールパス? そんな高度なこと、俺が狙ってできるわけがない。今の、ただ転んで、足に当たっただけなんだ。


「鳴海ぃぃぃ!」


 凄まじい勢いで、大門が俺にタックルまがいの抱擁をかましてくる。


「お前、あんな絶望的な体勢からヒールで通すなんて……! どこまで深く読んでやがるんだ! 俺、震えたぞ!」


「あ、いや……大門、今の……」


「何も言うな! その寡黙さが、お前の何よりの証拠だ!」


 違う。否定したかった。

 だが、周囲の歓声が、俺の言葉をかき消していく。

 チームメイトたちが次々と俺を担ぎ上げ、俺の「嘘のアシスト」を神格化していく。

 俺は担がれながら、天を仰いだ。


 (俺みたいな無能が、こんな場所にいていいのか……?)


 だが、目の前で涙を流して喜ぶ鉄平や、感極まっている部員たちの顔を見てしまった。

 今さら「今の、ただの事故です」なんて、口が裂けても言えない。


 ――ああ。


 この瞬間、俺の人生は、俺の手を離れた。

 彼らの夢を、この眩しすぎる純粋さを、俺の不注意で壊すわけにはいかない。


(一生、この嘘を突き通してやる……)


 それは、高潔な決意などではない。

 ただの小心者が、逃げ場をなくして選んだ、呪いのような生存戦略だった。

 

 試合後のヒーローインタビュー。

 向けられるテレビカメラ。俺の意識は、極限の疲労と、「いつバレるか」という恐怖で、真っ白になっていた。


「素晴らしいアシストでした、鳴海選手! あの土壇場であのプレーを選択できる、その異常なまでの冷静さ。一体何を考えていたのでしょうか!」


 アナウンサーが興奮気味に問いかける。

 俺はマイクを向けられ、何か気の利いたことを言おうとした。

 だが、脳がオーバーヒート寸前で、口から出たのは、最も正直な、しかし最もすっとんきょうな本音だった。


「……お腹が空いたので、もう帰ってもいいですか」


 会場が、一瞬で静まり返った。

 マイクを握るアナウンサーの動きが止まる。スタンドの観客も、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。


(終わった。不遜だ。最悪だ。俺、これで嫌われて、この虚構から降ろされるんだ……)


 俺が絶望に身を震わせた、その数秒後。


「……ッ!」


 最前列にいた記者が、何かに貫かれたような顔をしてペンを走らせた。


「そうか……! 勝利の余韻にすら執着しない。ただ、次の『糧』を求めているというのか!」


「今の言葉、聞いたか? 『満たされないこと』こそが彼の求道精神……!」


「なんて無欲。なんてストイック。勝利すら通過点だと言いたいのか……!」


 地鳴りのような大喝采が巻き起こった。

 「鳴海!」「鳴海!」というコールがスタジアムを包む。

 俺は、立ち尽くしたまま。

 自分を包むこのキラキラとした賞賛の声と、俺の中にあるドロドロとした焦燥感。

 そのあまりに深い溝に、ただ、目眩を覚えることしかできなかった。

 

 再び、フラッシュの雨。

 横浜ソルエンテの入団会見。

 俺は、目の前の記者の問いに対し、ゆっくりとマイクを口に寄せた。

 視線の端には、隅の方で深く頷き、何かをメモしているロマンスグレーの男――金村監督の姿が見える。

 彼はトレンチコートの襟を立て、俺を見て、満足げに微笑んでいた。

 まるで、俺の心にある「絶望」を、「プロとしての凄まじい覚悟」と読み解いて、独りで楽しんでいるかのように。


「……このチームを選んだ理由は」


 俺は、震える声を精一杯殺して、静かに、しかし重々しく言葉を紡ぐ。


「……ここでなら、本当の自分を、見つけられると思ったからです」


(本当の自分=ただの凡人の俺。早く見つけて解雇してくれ、という意味だ)


 だが。


「素晴らしい……! すでに至宝と呼ばれながら、なおも『真の自分』を希求し続ける求道者の瞳だ!」


 まただ。

 また、世界が俺を「理想」の色に塗り替えていく。


 鳴海涼。

 この日から、俺の「嘘を真実に変えるための」――あるいは「誰にも知られずに壊れるための」地獄が、本格的に幕を開けた。

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