第5話 商会決起集会と、癒やしのマッサージチェア
ドサッ、と重い音がした。
「局長!?」
私が振り返ると、都市計画局の執務室の床に、キース局長が倒れていた。
彼は書類の山に埋もれるようにして、ピクリとも動かない。
「キースさん! しっかりしてください!」
駆け寄って抱き起こす。
体は熱いのに、顔色は紙のように白い。
呼吸は浅く、目の下のクマはもはや「クマ」というより「殴られた痕」のように濃くなっていた。
「……う、うう……予算が……決裁印を……」
うなされている。
完全に過労だ。
ここ数日、彼は私の作ったインフラ設備の事後処理や、各所への根回しで、一睡もしていないようだった。
このままでは死んでしまう。
私は咄嗟に判断した。
ここ、役所に置いておいたら、彼は目が覚めた瞬間に仕事を始めてしまうだろう。
強制的に休ませる場所が必要だ。
「……私の家に運びます!」
* * *
数時間後。
私の屋敷こと元廃屋の居間にある長椅子に、キースを寝かせた。
天井には相変わらず「青空の背景画」が嵌め込まれており、夜なのにそこだけ真昼の陽光が降り注いでいる。
その光の中で、キースがゆっくりと目を開けた。
「……ここは? 天国か?」
「私の家です。残念ながら現世ですよ」
私が濡れタオルで彼の額を拭くと、キースはバッと跳ね起きた。
「いかん! まだ商業ギルドへの回答書が……! 王都の景観条例の改正案も!」
「ダメです! 寝ててください!」
私は彼の肩を押し戻した。
普段なら大の男を押し留めるなんて無理だが、今の彼は生まれたての子鹿のように弱っていた。
「体、バキバキじゃないですか。こんな状態で良い仕事なんてできません」
触れた肩の筋肉が、まるで鉄板のように硬い。
血流が滞っているのが服の上からでも分かるほどだ。
これでは頭痛もするだろうし、思考力も落ちるはずだ。
「……だが、休んでいる暇はない。君の『クマの蓋』のせいで、商会連中が作者に会わせろとうるさいんだ」
「えっ、私のせいですか?」
「良い意味でな。物流が改善した礼を言いたいらしい。……だが、君を奴らに会わせれば、どんな無理難題を押し付けられるか分からん。俺が止める」
キースはこめかみを揉みながら、苦しげに息を吐いた。
私のために、そこまでしてくれていたなんて。
胸の奥がギュッと痛む。
私にできることはないだろうか。
彼の疲れを取り、この岩のような凝りをほぐす方法は。
ありますね。とっておきの癒やし道具が。
前世の記憶。
温泉施設の休憩所にあった、あの黒い革張りの椅子。
硬貨を入れると極楽へ連れて行ってくれる、現代技術の結晶。
「キースさん、ちょっと待っていてください。貴方の体を治す『特効薬』を作りますから」
「薬? 調合の知識もあるのか?」
「いえ、物理療法です」
私は部屋の中央、空間が空いている場所へ移動した。
イメージするのは、最高級の「全自動按摩椅子」。
重厚な革の質感。
背中、腰、足を包み込む形状。
そして内部には、巧みな動きをする「揉み玉」と、血行を良くする「温熱魔具」。
「『舞台装置生成』――セットNo.99、極上癒やしの座!」
ドォォォン!
重々しい音と共に、部屋の中央に「それ」が鎮座した。
「……なんだ、それは」
キースの声が震えている。
「自動按摩椅子です。座るだけで全身の疲れを取ってくれますよ」
「……按摩椅子?」
キースは眼鏡の位置を直し、まじまじとそれを見つめた。
そこにあるのは、黒光りする巨大な箱型の椅子だ。
体を固定するための革ベルトや、腕を挟み込むためのカフがついている。
そして、背もたれの部分からは、揉み玉代わりの「突起」が何本も突き出していた。
前世の記憶にある按摩椅子を再現したつもりだが、私の手癖の悪さが災いしたらしい。
黒い革は不気味な光沢を放っており、突き出した突起は鋭利な杭に見える。
全体的な影の形が、どう見ても――
「……処刑道具か?」
「違います! 癒やしの椅子です!」
「あの突起は? 背骨を砕くための杭に見えるが」
「ツボを押すための指圧機構です!」
「腕を挟む部分は? 拘束具だろう?」
「加圧用です!」
キースは青ざめた顔で後ずさった。
あんなに疲れていたのに、恐怖で少し元気になっている。
「セレナ……俺は君のために働いてきたつもりだ。何か恨まれるようなことをしたか?」
「してませんよ! もう、騙されたと思って座ってみてください!」
私は強引に彼の手を引き、椅子へ誘導した。
キースは「くっ、殺せ……」と言わんばかりの顔をしていたが、抵抗する体力もないようだった。
彼を座らせ、起動石を入れる。
ウィーン……ガシャン。
「ひっ」
椅子の背もたれが倒れ、キースの体を水平にしていく。
同時に、腕と足がカフによって固定される。
「待て、動けない! これはやはり尋問用の……」
「施術開始、『極楽揉み解し』の儀!」
ボボボボボ……!
椅子全体が微振動を始めた。
「う、おおおおおお!?」
キースが奇声を上げた。
背中の突起が、背骨の両脇にある筋肉を正確に捉え、グリグリと回る。
ふくらはぎのカフが収縮し、鬱血した足を下から上へと絞り上げる。
首元では、温かい魔力の風が吹き出し、凝り固まった神経を温める。
「ど、どうですか!?」
私は心配になって顔を覗き込んだ。
もしかして強すぎただろうか。
キースは目をカッと見開いていた。
口は半開きで、眼鏡がズレている。
「……あ……あ……」
「痛いですか? 止めますか?」
「……いや……止め、るな……」
キースの表情が、みるみるうちにとろけていった。
恐怖に引きつっていた頬が緩み、眉間のシワが消え、まるで魂が抜けたような恍惚の表情になる。
「……すごい。石のようだった背中が……溶けていく……」
「でしょう! 見た目は怖いですけど、中身は優しい子なんです!」
「……ああ……そこだ……肩甲骨の内側……神よ……」
キースは完全に「椅子」に身を委ねていた。
拘束具だと言っていた腕の部分も、今では心地よい圧迫感として彼を包んでいる。
十分後。
施術が終了し、椅子が静止した。
キースはすぐには起き上がらなかった。
起き上がれないのだ。
全身の力が抜け、粘液魔物のように椅子と一体化している。
「……生きてますか?」
「……ああ。生まれ変わった気分だ」
キースがゆっくりと体を起こした。
その顔色は、先ほどまでの土気色が嘘のように、健康的な赤みが差していた。
目の下のクマも心なしか薄くなっている。
「信じられん。一晩眠るより回復した気がする」
「良かったです。この椅子、差し上げますから、役所の執務室に置いて使ってください」
私が提案すると、キースは真顔で首を横に振った。
「いや、それは無理だ」
「えっ、なぜですか?」
「執務室にこんな『鉄の処女』みたいな椅子があったら、部下が恐怖で逃げ出す。俺が悪の組織の首領だと思われてしまう」
「む……意匠は再考します」
私が唇を尖らせると、キースはふっと笑った。
その笑顔は、今まで見た中で一番自然で、柔らかいものだった。
「ありがとう、セレナ。体だけでなく、心も軽くなった」
彼は椅子から立ち上がり、私の頭にポンと手を置いた。
「君はいつも、俺の予想の斜め上を行く。……だが、君がいなければ、俺はとっくに潰れていただろう」
大きな手が、私の髪を優しく撫でる。
その体温が伝わってきて、私は急に顔が熱くなった。
「わ、私は……ただ、貴方が倒れると、私の契約が破棄されそうで困るから……」
「ふっ。そういうことにしておこう」
キースは眼鏡を掛け直し、キリッとした表情に戻った。
でも、その瞳は優しく私を見つめていた。
「さて、回復したからには仕事だ。……と言いたいところだが」
彼はチラリと「拷問椅子」を見た。
「もう一度、頼んでもいいか?」
「ふふっ、どうぞ。延長料金は高いですよ?」
「国庫から払おう。それだけの価値がある」
再び椅子に吸い込まれていく有能な都市計画官を見ながら、私は小さく拳を握った。
見た目はともかく、性能での勝利だ。
窓の外では、夜明けの光が差し込み始めていた。
私の「変な魔法」が、この国を少しずつ、確実に変えている。
そんな予感と共に、私も長椅子の隅で、泥のように深い眠りについた。




