第6話 第一王子の慢心と、偽りの凱旋門
「……馬鹿げている」
キース局長が、手にした報告書をクシャリと握り潰した。
彼のこめかみには青筋が浮き、眼鏡の奥の瞳は冷たい怒りに燃えている。
「どうしたんですか、そんなに怒って」
「予算が消えた。河川の堤防を補強するための特別予算だ。全額、第一王子派に吸い上げられた」
「えっ、全額? もうすぐ雨季が来るのに?」
私が驚いて聞き返すと、キースは窓の外、王都の北側を指差した。
「あれを見ろ。あんな無意味なガラクタのために、国民の血税が使われたんだ」
私が窓から身を乗り出すと、遠くの河川敷に、白く輝く巨大な建造物が見えた。
建設中のようだが、既にその威容は明らかだ。
大理石で作られた、巨大な門。
頂上には黄金の像が輝き、柱には精緻な彫刻が施されている。
「『栄光の凱旋門』だとさ。ローランド殿下が、自身の立太子を記念して建てさせている」
「凱旋って……王子は戦争に勝ったわけでもないでしょう?」
「だから『栄光』なのだそうだ。存在するだけで尊いからと」
キースは吐き捨てるように言った。
頭が痛くなってきた。
見栄のために門を作るのは勝手だが、場所が悪すぎる。
あそこは川が蛇行している地点で、地盤が最も緩い場所だ。
あんな重い石の塊を置けばどうなるか、素人でも分かる。
「地盤沈下しますよ。最悪の場合、門が倒れて川を塞ぎます」
「ああ。そうなれば天然の堰ができる。溢れた水は下流の平民街を直撃だ」
キースは立ち上がり、軍服の襟を正した。
「抗議に行く。工事の中止と、予算の返還を求める」
「私も行きます。現場を見ておきたいので」
嫌な予感がしていた。
私の「現場監督」としての直感が、警鐘を鳴らしているのだ。
* * *
現場は、異様な熱気に包まれていた。
数百人の作業員が動員され、突貫工事が進められている。
そして、その中心で指揮を執っているのは、白い軍服に身を包んだ私の元婚約者、ローランド王子だった。
「もっと高く! もっと輝かせるのだ! 余の栄光が天に届くように!」
彼はキラキラと光る魔法で空中に花火のような演出をしながら、作業員を煽っていた。
隣には、聖女候補のリリアがうっとりとした表情で寄り添っている。
「ローランド様、素敵ですわ! この門が完成すれば、国の守りは盤石ですわね!」
「ああ、リリア。この門には『王家の威光』が込められている。水害ごとき、余の輝きで消し飛ぶさ」
……会話の内容が常軌を逸していて理解できない。
威光で水は止まらない。物理法則を舐めているのだろうか。
キースが大股で近づいていく。
「殿下! 直ちに工事を中止してください!」
「なんだ、キースか。相変わらず地味な顔をして、どうした?」
ローランドは優雅に髪をかき上げ、嘲笑うような目を向けた。
「この場所は危険です。地盤が耐えられません。それに、堤防の予算を流用するなど正気の沙汰ではない!」
「黙れ、数字屋。金など、美のために使ってこそ価値がある。平民の家など、壊れたらまた建てればいいだろう?」
ローランドの言葉に、キースが絶句する。
あまりの想像力の欠如。
彼は本気でそう思っているのだ。自分が美しいものを作れば、民も喜んで犠牲になると。
「……話にならん」
キースが拳を震わせた時だった。
ズズン……。
低い地鳴りがした。
作業員たちが悲鳴を上げる。
作りかけの凱旋門が、ゆっくりと傾き始めたのだ。
「なっ!? なんだ!?」
「殿下! 基礎が沈んでおります! 川側の土が崩れそうです!」
現場監督らしき男が叫ぶ。
やはりだ。
重みに耐えきれず、地面が泥水のように緩み始めている。
「お、おい! 支えろ! 余の門を倒すな!」
ローランドが叫ぶが、数千トンの石塊を人力で支えられるわけがない。
このままでは門が川に倒れ込み、工事中の足場もろとも崩壊する。
キースが動こうとしたが、距離が遠すぎる。
間に合わない。
私がやるしかない。
私は物陰に隠れ、門の裏側――川に面した側へと意識を集中させた。
倒れようとする力を、逆側から物理的に支えればいい。
最適な形状は「カーブを描く支柱」。
そして、地面との接地面が広いもの。
前世の演劇部倉庫にあった、南国劇のセット。
あの形状なら、力を分散して支えられる。
「『舞台装置生成』――セットNo.77、南国の果実!」
ドォォォォン!!
轟音と共に、門の裏側に巨大な物体が出現した。
それは、高さ十メートルにも及ぶ、鮮やかな黄色の物体。
緩やかなカーブを描き、地面にしっかりと根を張るように固定されている。
そう、巨大なバナナだ。
皮を剥く前の、ツルツルとした美しい湾曲を描くバナナが、傾きかけた白亜の門をガッチリと支えたのだ。
ズシン。
門の傾きが止まった。
白い大理石と、黄色いバナナ。
芸術的なまでに不調和な対比。
「……な、なんだあれは!?」
ローランドが裏側に回り込み、絶叫した。
「バ、バナナ!? なぜこんなところに巨大な果物が!?」
「あー……神獣の加護かもしれませんね」
私が物陰から小声で呟くと、近くにいた作業員が「バナナの神様だ!」と拝み始めた。
違う、ただのつっかえ棒だ。
キースが私の方を向き、口元を片手で覆って肩を震わせている。
笑っているのか、泣いているのか分からない。
門は安定した。
私の生成したバナナは、中身が魔力強化された中空構造だが、強度は金剛石並みだ。
これさえあれば、とりあえず倒壊は防げる。
しかし。
「汚らわしい! なんだこのふざけた色は! 余の白き門が台無しではないか!」
ローランドは顔を真っ赤にして怒り狂っていた。
命拾いしたことよりも、美観が損なわれたことへの怒りが勝っているらしい。
「撤去だ! 今すぐこの黄色いゴミを叩き壊せ!」
「で、殿下! あれが支えているおかげで、門は立っております! 壊せば倒れます!」
現場監督が必死に止めるが、ローランドは聞く耳を持たない。
「口答えするな! これは王命だ! 雨季が来る前に、このバナナを跡形もなく消し去れ! 美しい門だけを残すのだ!」
……終わった。
私は天を仰いだ。
この人は、自分が何の上に立っているのか分かっていない。
バナナという支えを失えば、この門はただの「巨大な墓標」になる。
そしてそれは、下流に住む人々の命を奪う凶器となるのだ。
キースが私の元へ戻ってきた。
その表情は、先ほどまでの怒りを超え、能面のように静まり返っていた。
「……聞いたか」
「はい。明確に聞こえました」
「奴は自分で処刑命令書に署名したようなものだ。……だが、民を巻き込むわけにはいかない」
キースは眼鏡を押し上げ、冷徹な光を宿した瞳で私を見た。
「セレナ。準備をしてくれ。雨季が来れば、必ず『あそこ』が決壊する。その時、国を守れるのは軍隊でも聖女でもない」
「ええ、分かっています」
私は頷いた。
黄色いバナナの向こうで、黒い雲が空を覆い始めていた。
嵐が来る。
それは天候の話だけではない。
この国の運命を決める、決定的な嵐が近づいていた。




