4-3・セリの足跡
セントラルを発ったセリは、今、南の終着駅に来ている。
あれから二か月。
ここまで来る間にいくつかの町に降り、小さな診療所や医療施設を訪れた。
難病の患者は多い。
だけど、セリが治せるようなものではないし、原因究明も治療もちゃんと現地の医療者が行っていたため心配はないようだ。
数日滞在して研修という名の見学をさせてもらう。
セントラルの元上司に報告書という名の手紙をしたためる。
そんな日々を過ごしながら、セリは沿岸都市サウスに到着したのである。
駅の近くのそこそこの宿に入って荷物を預け、街を歩いてみる。
商業都市であるサウスには多種多様な人種がいて、たまに濃い魔力を感じることもあった。
その度にセリはイコガを思い出す。
サウスの街の規模はセントラルより小さいが、何といっても港がある。
潮の香と青い海を眺め、ふいにイコガにもこの風景を見せたいと思った。
『君の思うままに生きて、幸せにおなり 』
イコガに抱き締められて聞いた囁きは、セリにとって矛盾した言葉だった。
(彼と一緒には成れないのに幸せなんて)
お互いの気持ちは分かっていても、二人が結ばれる未来は見えなかった。
(仕方ないわよね。 相手はご領主様だもの)
小さな領地だろうと『ウエストエンド』は国に認められた自治領のようなものである。
国が貴族に与えた土地ではなく、昔からある小さな土地を国が吸収した形だ。
イコガは領主として国に従ってはいるが、元来は小さな国の王のようなものだと思う。
どうみても『ウエストエンド』の者たちはセリたちの国の王など知らない。
彼らが従うのは領主であるイコガのみだ。
そして、イコガの行動には領民の命がかかっている。
ただの庶民であるセリには、彼と一緒にその重責を背負うほどの度胸は無かった。
宿では朝食のみをお願いしているので、軽く夕食を食べてから戻った。
「お帰りなさい、お嬢さん。 街はいかがでしたか?」
気の良さそうな宿屋の主が声をかけてくる。
「はい、海も街並みもとても美しいですね」
セントラルのくすんだ灰色の空と違い、青い空に青い海。
建物も白い壁や色とりどりの屋根が軒を連ねている。
まるで違う国に来たようだとセリは思った。
「そうでしょうそうでしょう。
セントラルの貴族様方の別荘地もございますしね」
海を見下ろす丘の上には大きな家が立ち並んでいた。
宿の主は一人旅のセリがよほど裕福な家の娘に見えたのだろう。
高級な店が並ぶ商店街や富豪と呼ばれる方々しか行かないような娯楽施設を教えてくれた。
「楽しそうですね」
苦笑を浮かべて会話を終わらせ、セリは部屋へと戻る。
明るい場所があれば、暗い部分もある。
サウスは高級別荘地や高級な繁華街がある反面、下町や危険な裏通りがあった。
今まで立ち寄ってきた田舎の町とはだいぶ様相が違っているように思う。
セリは感覚的に小さな路地を避けて通っていた。
上司からの紹介状を手に付近の医療施設を探していたセリの後ろから声が聞こえた。
「君、危ないよ」
「え」
振り返ろうとして、誰かにふいに腕を掴まれる。
セリの後ろにいたのは弟ぐらいの年齢の子供だった。
しかし、セリの腕を掴んだのは背の高い女性である。
少年は明らかに「チッ」と舌打ちをしてその女性を見上げた。
「ぶつかりそうになったから助けただけだが、何か不味いことでもあったのか?」
女性の低い声に少年は睨むような視線を投げた後、人混みに消えて行った。
「あのー」
女性はポカンとした顔のセリの腕を離し、ため息を吐く。
「やれやれ。 どこのお嬢様か知らないが、こんな危ない道を歩くものではないよ」
大通りというほどではないが、そこそこ広い道で人も多い。
セリは首を傾げる。
「えっと、宿のご主人からこちらのほうが近道だと教えていただいて」
背の高い、明るい茶色の髪に灰色の瞳の女性がセリを見下ろしていた。
その女性がセリが持っていた地図を取り上げた。
「ここは地元の者しか歩かない道だ。
余所者はすぐに分かる。 浮浪児たちの恰好の的だ」
セリはようやくあの少年がスリか何かなのだと思い至る。
「ありがとうございます」
セリが顔色を白くしてお礼を述べると、女性は目的地まで案内すると言ってくれた。
「ほお、医療従事者なのか」
「はい。 まだ未熟で修行中ですが」
女性はサキサと名乗った。
父親がこの街の警備隊に所属しており、彼女も小さい頃から身体を鍛えているそうだ。
サキサは無駄な肉が無く、言うなれば女性らしい膨らみが足りなかった。
世間では、女性は常に美しく着飾っていることが求められる。
髪も長いことが美しさの象徴とされているが、サキサは短髪な上に動き易い身軽な服装だった。
それでも整った顔立ちをしているので目立つ。
セリと二人で並んで歩いていても彼女を目で追う通行人が多い。
「助かりました」
色々と話している間に目的の医療機関に到着した。
セリがニコリと微笑むとサキサが手を差し出す。
「珍しい話が聞けて私も楽しかったよ。 また会おう」
男勝りというのか、何だか男性の様な話し方をする女性だ。
「はい、しばらくはこの街にいますので」
自分の手を重ねて握手をしたセリに、サキサがふいに顔を寄せた。
「今いる宿は辞して、すぐに移りなさい」
そう言って何かの紙をこっそりと渡して来た。
「あ、はい」
それを受け取ったセリはボーっとしたまま、手を振って離れて行くサキサの背中を見送った。
それはここからそれほど遠くない宿が書かれていた地図だった。
「ごめんください」
「はい、いらっしゃいませ。 おひとり様ですか?」
セリはその日のうちに宿を移った。
「あ」
「やあ、セリ嬢。 よく来たね。 歓迎するよ」
その宿の奥からサキサが出て来た。
セリが宿の地図をもらった時、どこにそんなものを描く暇があったのだろうかと思ったが、どうやら彼女はいつも持ち歩いているらしかった。
「ここは私の叔母が経営している宿なんだ。
私も時々手伝っている」
少し恥ずかしそうに笑う彼女にセリも微笑んだ。
「いえ、私も顔見知りがいて安心しました」
サキサはセリの荷物を部屋まで運んでくれた。
この街で最初に入った宿はどうやらあまり質が良くなかったようだ。
「女性の一人旅だとみて何か画策していたのかも知れないな」
セリは新しい宿の食堂でサキサと共に夕食を摂りながら話を聞く。
「スリや強盗で所持金がなくなったと聞いて、親切そうに相談に乗ると言いながら女性を食い物にする輩もいるからね」
これだけ人の多い街だと傍に身内のいない女性など一人消えたところで誰も騒ぎはしない。
セリは女性の一人旅が危ないことは覚悟の上だったが、今までのんびりとした田舎が多かったせいか、都会の闇を甘くみていたと反省する。
魔法は使えると言っても治療用であって、戦闘などで誰かを傷つけることなど出来ない。
「危なかったんですね、私。 本当にありがとうございました」
改めてサキサに礼を言う。
「いやいや、こっちの話をちゃんと聞いてくれてうれしいよ」
忠告しても、何故か自分だけは絶対大丈夫だと思い込み、耳を貸さない者が多いらしい。
「この街のお話をもう少し聞かせていただけませんか」
二人は夕食後、セリの部屋で話をすることになった。
「街の医療機関について知りたいのです」
セリはサキサにサウスに来た経緯を話した。
「ふうん。 妖精を使った治療かあ」
「はい。 この街でも魔力を使ったりする治療は行われているでしょう。
それでも助けられない病人がいるという話は聞きませんか?」
考え込んでいたサキサが顔を上げ、真剣な目でセリを見つめた。
「あるにはある。 しかも幼い子供たちだ」
セリは息を呑んだ。
「だけど、危ない場所というか、少々厄介な場所にあるんだ」
その施設は下町にあった。