4-1・イコガの変化
お待たせいたしました。
今回も短めです。
よろしくお願いいたします。
『ウエストエンド』のイコガは、ほぼ毎日が静かで穏やかで、憂鬱だった。
それは誰かのせいでもなく、彼が物心ついてからずっとのこと。
年中暖かく穏やかな気候の『ウエストエンド』の空はずっと暗いままだ。
町とも呼べない村程度の小さな領地。
住民は人と魔物と、そのどちらの血も受け継いでいる者たち。
ーーこの国では、魔力を食料としているものを魔物と呼ぶ。
そして、魔物の血を引き、人とは少し違う姿をした者は異形と呼んでいる。
彼らにも人と同じ感情があり、この『ウエストエンド』では古くから共に暮らして来た。
少なくとも、領主であるイコガの中では人も魔物も等しく領民である。
町の問題は山積みで、でも子供である自分には何も出来ない。
イコガは周りの大人たちから、ただひたすら身体を厭う様に言われて育った。
何しろイコガは、髪も肌も真っ白で、本来青かった瞳も色が薄まってしまっている。
普通に動いているだけで体調を崩すのはいつものことで、他の子供のように遊ぶことはほぼ無い。
争乱後、彼は寝台の上でただぼんやりと過ごしてきたのだ。
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イコガは十歳という年齢で領主の地位に就いた。
こんなに期待されない領主も珍しいだろう。
何せ、イコガには何の取り柄もなければ、力もない。
ただ父親が元領主だったというだけだ。
さらに身体も精神も壊している。
役立たずだという自覚はあった。
「何も出来ないなら、せめて」
イコガは重い身体を引きずって、呼び出されたセントラルへ向かう。
身体強化の魔法を覚えてからは人前で無様に倒れるようなことはなくなった。
貧しい領地を支えるため、自分が動くだけで支援が約束されるのなら安いものだと思っている。
ボサボサだった長い髪もナニーが見栄え良く切ってくれた。
王宮に上がるための豪華な服が、セントラルのどこかの貴族から贈られてきた。
しかし、当時、イコガの身体からは常に多量の魔力が放出されていた。
魔物と同じ魔力。
それはセントラルの軍が『ウエストエンド』に攻め入った時、領主を守る魔物たちが幼いイコガのために流した血のせいだった。
多くの魔物の血を浴びた幼い身体にその血が染み込んでしまっていたのである。
初めてセントラルの王宮から『ウエストエンド』に来た使者は、小さな領主のその圧倒的な魔力に震え上がった。
このままでは王宮へ入ることも許されない。
使者は慌ててその力を抑えるため、王宮の官僚たちに連絡を取り、相談する。
「そうだ、確か宝物庫に何かあったはずだ」
官僚たちは国の宝物庫から魔力遮断のマントを探し出す。
初めてセントラルの駅に降り立ったイコガは、自分の領地とは全く違う様相の大きな町に驚いた。
怒りも、対抗しようという気も起きない。
文明の違いを見ても、自分の領地が荒らされても仕方がないような気がした。
どんな子供でも弱者は強者には逆らえないのを知っている。
ただ、何故こんな大きな国が『ウエストエンド』のような小さな辺境地を襲ったのか。
それがイコガには分からなかった。
魔物が身近だった彼は、セントラルの人たちのような魔物に対する恐怖はない。
認識の違いがまだ子供だったイコガの中に違和感として残った。
使者たちとセントラルの駅から王宮へ向かう馬車の中でイコガはそのマントを被せられた。
王宮へ上がる前に間に合ったのである。
頭から足元まですっぽりと覆う黒いマントは、イコガが自分で魔力を抑えられるようになるまで重宝されることになった。
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最近、イコガの様子が少し変わってきた、と領主館の者たちは思う。
「例の女性が訪れてからですかね」
少年ロクローは、父親である執事長が不在の間、代理の執事として任されている。
イコガは食堂でナニーから朝食を受け取った。
「ずいぶんと顔色がいいですね、坊ちゃん」
「もう坊ちゃんは止めてくれよ、ナニー」
この館ではほぼ全員がバラバラに食事を摂るので、他の誰かがいることはまずない。
しかし、何故か今朝はドクター・アーチー、護衛騎士ラオンも居た。
「珍しいな、こんな時間に。 コガ、どうした」
「心配し過ぎだって」
ラオンの言い草に顔を顰めたイコガだが、それで気を悪くした気配は無かった。
ドクターはイコガの身体をじろじろと観察していたが、今は落ち着いて食事を摂っている。
「体調は良さそうだが、無理はするなよ」
子供のように構い過ぎる周りの者にイコガは苦笑いを浮かべる。
「はあ?、何だよ、少し早く起きたぐらいで」
イコガは適当に答えてはいるが、その理由は分かっていた。
セリの声が吹き込まれた耳飾りが右の耳に赤く光っている。
おかげでイコガの不眠症が解消されているのだ。
ぐっすり眠れるということは精神の安定を指す。
心配したドクターが毎朝様子を見に来るが体調は良い。
今までのように、眠れないまま不機嫌に朝を迎えてドクターによって診療棟にぶち込まれることがなくなった。
すっきりとした目覚めで、早い時間に起きることも平気になった。
そんなある日、王都から魔鳥便が届く。
「珍しいな。 セリじゃなくてアゼルからだ」
紋章の付いた箱を開け、中身を確認していたイコガの顔が訝し気に歪む。
館の中央棟の尖塔に停まっていた魔鳥に褒美の餌をやり終えたロクローがちょうど戻って来た。
「アゼル様からですか、何でしょうか」
元領主夫人のセントラルの実家には、イコガの弟のアゼルが人質として囚われている。
それがこの『ウエストエンド』での認識だった。
イコガも子供のころは生まれた地を離れた弟を哀れに思っていたが、そうでもないことは今の彼の暮らしを見ていれば分かる。
祖父母は確かに血は繋がっており、弟は大切にされていた。
領民には詳しいことは説明されていないが、イコガはそれでいいと思っている。
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セントラルに赴いた日、王宮の一室で面会した祖父は、イコガを恐怖より憐みの目で見て言った。
「お前のことも引き取りたかったのだが」
セントラルで初めて会った祖母は声を震わせた。
「その姿ではこの街では暮らし辛いでしょう」
白い髪と透き通るような白い肌に水色の瞳。
抑えなければ溢れ出す驚異的な魔力。
祖父は、周りの者たちの恐れ慄いた顔を見まわした。
イコガはただコクリと頷いた。
それでいい。
イコガには、自分を守り育ててくれた『ウエストエンド』を出て暮らす気は無かった。
『ウエストエンド争乱』
その日、兄弟の明暗は別れ、その後の人生を大きく変えてしまった。
彼らだけでなく、関与した者も、その親兄弟、子孫の将来もすべて。
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セリが王都を去った。
アゼルの手紙にはその理不尽な言いがかりや、裁判の行方も隠すことなく書かれていた。
イコガは怒りで震える手でその紙を握り潰す。
「コガ様」
ロクローが慌ててその手から取り上げ、ドクターがラオンにすぐさま取り押さえるように指示を出した。
「うわあああああ」
イコガが頭を抱えて叫び声を上げる。
「俺の、俺のせいでセリがー」
「違う!、コガのせいじゃない」
ラオンが叫ぶ。
「俺が、彼女に話したりしなければ。
俺が、俺が、彼女を好きに、なったりしなければー」
膝を折り、崩れ落ちたイコガが床に倒れ込む。
ラオンはそれを抱え上げ、ドクターの診療棟へと急ぐ。
「急げ!、魔力が暴走する」
「分かってる!」
先ほどまで穏やかだった朝の風景が一気に慌ただしく、冷えたものになっていった。
「おいたわしい……、コガ様」
食堂にひとり残されたナニーは涙を浮かべて見送っていた。