バトル・オブ・後楽園
後ずさりすると僕の背中にユウリの両手のひらがぴったりと添えられる。
「ヒロオ、思い出して」
「?」
「ヒロオは戊辰の戦場でガットリング砲をくぐり抜け、敗残の武士にレイプされそうになったわたしを守ってくれた」
手のひらから体温が伝わってくる。
「それから、アキバのメイドカフェで銃撃戦に巻き込まれた時も、体を投げ打って守ってくれた」
そうだ。
「だから、わたしを守るためだけに戦って。わたしもヒロオを守るためだけに戦う」
ともすればバカップルの身勝手な動機かもしれない。
けれども、なんでもいいんだ。
今、僕らが最大・最速・最善のモチベーションを一気に爆発させるためには!
「ケンコ、たった今僕は結論した! これからピトに指示を出す!」
「ふは、大げさな」
「ピト、やれ! 女の子たちの安全なんかに躊躇するな!」
「な・・・何⁈」
「クロだけに集中しろ! お前が負けたらどのみち全員殺される。お前の歳なら冷徹に判断できるだろうが!」
「この小童が!」
ピトが人間ごときの僕の命令に心服したとは思えないけれども、原宿の守り神たる神社の使いとしての決断を自ら行ったのだろう。
左右の視覚と音声を遮断してクロに真正面からダッシュする姿が見えた。
「ならば、こうだ!」
ケンコは僕らでもピトにでもなく、逃げ惑う女の子たち目掛けて鎖を放つ。
「ヒロオ!」
ユウリの怒鳴り声に反射で僕は受け取った。
それは、電車の中でピトを入れていたケージだった。
こんなものしかないという絶望よりは素手よりも数倍いいという希望の方が大きかった。
僕はケージを受け取りざま、ひとりの女の子を直撃せんとする鎖の放物線にそのケージをクロスさせた。
ジャラガシッ‼︎
やわな木製のはずのケージが轟音を立ててぶっとい鎖を絡め取った。
「なんだと!」
そのまま僕は鎖をピン、と張り切らせ、ケンコと力比べをする。人間ごときの僕にこんな芸当ができるはずがない。神聖な猫はひととき入ったケージすら神聖化するってことなのか。反則だろ。
「ピト、さっさとやっちまえ!」
僕が怒鳴るまでもなくピトはクロに向かっていた。おそらく生物という生物の常識外の俊敏さで。野生動物の本能さえ凌駕する複雑多重なフェイントを繰り返しつつ光速で。
そして、僕はまた見た。
ピトが心底嬉しそうに笑う顔を。
やっぱりこいつは油断ならない。
暴力を楽しむ性癖があるに決まってる。
「グギャー‼︎」
ピトはピンポイントでクロの右眼球に爪を突き立てた。クロの瞼を閉じる反射動作さえ上回って。
「ああ、クロ!」
「ぜおっ!」
ケンコがよそ見した瞬間を捉え、これ以上ないというタイミングで僕は、ぱっ、とケージを手放した。
人間でないケンコの力と人間でないピトのケージの力とで鋼鉄が千切れんばかりに拮抗していた作用が一気にケンコにかかる。
「うおおっ!」
ケンコはそのまま仰向けに倒れ、ずざざっ、と10メートル近くコンクリートの上を滑った。
僕は取り合えずケンコの体に追いすがり、どうすればいいかわからないので、とにかくケージを持ち上げてそれでケンコの顔を殴ろうとした。
「ヒロオ、ケージをかぶせて‼︎」
ユウリの叫び声に、そうか、と納得する。根拠は全くないけれどもこのケージの使い方としてはそれが正解だと脊椎反射で理解し、そうした。
ずぼっ、とケージの入り口を頭からケンコに被せた。
瞬間、ケンコの体がそのままケージに吸い込まれる。
「うおー!」
声が小さくなりつつ、ケンコの体も小さくなってケージの中に収まった。慌てて扉を閉める。
「ヒロオ、クロも‼︎」
ユウリに促され、眼球を前足で押さえてのたうち回っているクロの前に走る。
ケンコを逃さないよう慎重にケージをクロの頭にかぶせると、クロも吸い込まれていった。
ケージの中で喚き散らすケンコと、敗北にきゅーん、と鳴いているクロ。
「これ、どうしよう?」
ケージを前にぶら下げで僕はユウリに訊いた。
「とりあえず宮司さまの所に持ってこうよ」
それもそうだな、と僕は駅の方に歩き出そうとして、はたと止まった。
「電車に乗るならピトをケージに入れないと」
「え。この中に?」
「うん」
「それは・・・ダメでしょ」
「あ、やっぱり」
「ヒロオのそういう所がピトに冷たい感じがしてわたしは不満。ね、ピトは大活躍だったのに」
「いや・・・でも、ピト、さっき笑ってたよ」
「気のせいでしょ」
「それに、元はと言えばこいつらはピトに恨みがあって来たんでしょ? こんなのピトの私闘だよね」
「ヒロオ、僻まない僻まない」
意味がわからない。
けれども仕方ない。
原宿まで歩いてどれぐらいだろ。