雨上がり
カランカランとドアのベルが、主人のいない店内に来客を告げる。それに今入ってきたのはお客ではない、いうなればこの店で働く従業員だ。ガランとした店内、奥の鍛冶場からも音は聞こえず、この店の主人がいつも座っている無人のカウンターが、店内の寂しさを際立たせる。
今までいつもの様に通っていた場所が、あの人がいないだけで、こんなにも印象が変わってしまうものなのかと、内心驚く。ハンマーで金属を叩く音も、師匠が雑務をこなしている音も、店の中で誰かが品定めをしている物音もない。
店の中をゆっくりと歩きまわる、品物が乱れてしまっているのを戻しながら、色んな武器や防具を見て回る。これは師匠が打った、これは一緒に、そしてこれは……私が打った。一つ一つが懐かしくもあり、そしてとても愛おしくもある。自分の特等席が、まだこの店には残っていた。そんな些細な事が嬉しく、そこに腰掛けて見る景色は、いつもよりも寂しかったけど、いつもどおりの景色だった。
最初はただ単純に悔しかったから、鍛冶を何度も何度も失敗して、悔しくて悔しくて仕方なくて。そんな時に訪れたここ、ジョンハンマーで、私は頭を下げてまで弟子入りさせてもらった。最初の頃は嬉しかったし、楽しかった。ひたすらハンマーを振るって、少しづつ店のことも任せてもらえるようになり、とにかく一生懸命に、いつも楽しんでいた。
それが、何時からだろう。師匠に早く追いつきたかった、役に立ちたいと思った。いつの間にか私の心のなかはそれで埋め尽くされて至った。失敗すれば焦った、焦って失敗を重ねて、もっともっと焦っていった。気付いた時には鍛冶が苦痛になっていて、逃げ出したくて仕方なくて、でも師匠を裏切りたくなくて、期待に答えたくて。空元気を振り絞ったけれど、それも空回りして、最後にはここを飛び出してしまって。自分が情けなくて仕方なかった。
自分の視界に何かがチラリと映り込む、カウンターの上に無造作に置かれた一本の短剣。手にとって、さやから引き抜くと、息を飲むほどに美しい剣身が姿を現す。相変わらず私には、到底真似できないような素晴らしい出来に、溜息がこぼれる。この武器はミセリコルデ、悲しくも優しい慈悲の剣。随分前に師匠が教えてくれた。自らの仲間を介錯するために、騎士が持っていたとされる短剣。いっその事、師匠がこのミセリコルデのように、その名の通り慈悲深く私を鍛冶から遠ざけてくれればよかったのに。そうすれば私は、今でもこのゲームを楽しめただろうに。そんな恨み言が頭をよぎる。
「結局何がしたかったんだろう」
最初に持っていた情熱は、いつの間にかどこかに行ってしまって、今更戻ってこないし戻ってこなくていいとも思ってしまう。師匠がなぜこの武器を作ったのかわからない、依頼ではないと思う。こういった武器は、ゲーム内で実用性がない割には、値が張る物だからだ。ボーッとミセリコルデを眺めていると、剣身に文字が彫られていることに気づいた。
「ア・リ・ス?(ALICE)」
なぜ私の名前がこの短剣に刻まれているのだろう。師匠は何を思ってこの短剣を……。
体が芯から熱くなるような、そんな感覚に見舞われる。何故かわからない、わからないけれど、師匠が私を思ってこの剣を打ったという事実が、今私に火を付けた。
何かに突き動かされるように、私の体が急速に動き出す。慣れた手つきでホドに火を入れる、火が炭に移ったのを確認して、作業台に自分の道具を並べていく、何度も繰り返したこの動作を、たった一週間やそこらで体は忘れていなかった。そして、ミスリルのインゴットを取り出す。出来る気なんて全然しなかった、でもどうしても打ちたくなった。あのミセリコルデを見た私に、どんな変化があったかわからないけれど、今はハンマーを振りたくて仕方なかった。
何度も何度もハンマーをミスリルに叩きつける、つい最近までやりたくなかった作業が、今日はどうしてか楽しく心地よいものに感じる。真っ赤に燃えがったミスリルから、叩くたびに火花が散る、水をかけた時に表面が数カ所黒くなる、そしてまた叩く。灰を付け、泥をかけてホドに突っ込む。また真っ赤になるまで温めたミスリルをコレでもかというほどに叩きのめす。
「アハハッ」
思わず口から笑いが漏れる、なんで忘れていたんだろう。
鍛冶は、このゲームはこんなにも楽しいことを。
楽しくて、楽しくて、この世界が幻想であるということを忘れてしまいそうなほど、この瞬間にのめり込んでいく。難しいことなんて何一つなかった。簡単な事だった。楽しめばいいのだから。
あの日のリベンジだ、ミスリルのハンガーを作ってみせる。油で焼入れなんて、そんな甘っちょろいこと私はしない、水でやってやる。自分の作りたい通りに剣身を伸ばしていく、鍛え上げたミスリルは、さすが上級鉱石だけあって扱いづらい。しかし、それでも必死に成形していく。所々仕様書を確認しながら、今できる私の最大限をこの剣に突っ込む。
低温で行う火造りが終わり、剣身が打ち上がる。大丈夫、今までの中で一番良い形だと言える。これは誰のためでもない、師匠のために作る剣だ、そして何より私のために作る剣だ。
失敗なんかしない。
部屋を暗くする、全て手の届く範囲で操作できるこの部屋は、やはり昔使っていた公衆鍛冶場とは大違いだ。火の入りが少しも偏らないように、フイゴで微調整をしながら剣身を熱していく。慎重に剣身の色で温度を見極める。あの失敗が蘇るが、頭を振って追い払う。
今だ!
ブクブクと音を立てて剣身が冷えていく。剣身を水から出し、ホドに突っ込んで焼戻しを行う、靭やかさな剣身にするために。
「失敗だな」
後ろを振り返ると、いつもの様に腰掛ける師匠と目があった、何時からそこにいたのか、ぼんやりとした頭で考えてもわからない。夢中で鍛冶をしていたから。
「……」
出来上がったのはミスリルのハンガー、平凡な出来だが、成功のはずなのに、なぜ師匠は失敗だというのだろう。やっぱり、私のような弟子はいらないのだろうか。目頭が熱くなった。
「俺の弟子なんだ、++ぐらい作れるようにならないと、まだまだ一人前とはいえない」
師匠がそう言いながら、立ち上がった。
「だから、まだまだやることはあるぜ、こんなとこで満足するんじゃねえ、アリス」
手渡された物に目を向ける。鈍く金色の輝きを発する、ニ本交差剣の紋章印が手のひらの上に乗っている。
「えっ……あっ……えっ?」
「上級鉱石まで扱えれば、まあ半人前だな」
そう言って師匠はニヤリと、何時ものニヒルな笑みを浮かべた。
「お帰り、アリス」
「……っはい!! ただいま帰りました!」
その日は師匠にいっぱい叱られた。仕事を投げ出すなとか、一週間も音沙汰なしとはどういう事だとか、皆心配してたとか。お客さんが皆私がいないせいで顔をしかめるとか、いっぱいいっぱい叱られた。
でも紋章印を貰ったのが嬉しくて、ニコニコしながら聞いてたら、師匠に心配されてしまった。
また明日から頑張ろう、素直にそう思えた
いつか、雨は止むさ。
ということでアリスちゃんこと弟子は無事壁を乗り越えました。
こっから先どんな展開にしようか色々迷いながらも。
しばらくは日常パートでお送りします。




