第66話「嵐の夜」
十一月に入った夜、嵐が来た。
激しい風と雨が王都を叩き、王宮の窓が揺れた。雷が遠くで鳴り、蝋燭の光が揺れる。
エレナは自分の部屋で本を読んでいた。
嵐の音が激しくなる中、ふとルシアンのことが気になった。
嵐の夜は、眠れないことがある。以前、そう言っていた。考えることが多いとき、音が激しいとき——眠れないことがあると。
エレナは少し迷った。
行くべきか。まだすれ違っているのに、押しかけていいのか。
でも——気になることを、ないふりをするのは、エレナには難しかった。
エレナは本を置いて、廊下に出た。
執務室の扉をノックした。
「入れ」
ルシアンはいつものように書類を見ていた。でも顔色が、少し悪かった。
「嵐が激しいので、気になって来ました」
「眠れているか」
「まあまあです。あなたは?」
「問題ない」
「顔色が悪いです」
「嵐のせいだ」
「眠れていないんですか」
ルシアンは答えなかった。
エレナは少し間を置いた。
「ルシアン」
「……何だ」
「怒っていますか、私に」
「怒っていない」
「では、なぜまだ遠ざけているんですか」
ルシアンが書類から目を上げた。
「……お前を守りたい」
「知っています。でも——」
「グレインが動いている。お前への直接的な圧力が来る可能性がある。今、近くに置けば——」
「置いてください」
エレナは静かに、しかしはっきりと言った。
「危険でも、近くに置いてください。遠ざけられる方が辛い」
「傷ついてほしくない」
「あなたと離れている方が、もっと傷つきます」
沈黙。
嵐の音が窓を叩いた。雷が鳴った。
「……お前は」
ルシアンの声が、かすかに揺れた。
「なぜそんなに、まっすぐ言えるんだ」
「あなたに対しては——いつもそうです。隠せないから」
「私は」
ルシアンが視線を落とした。
「……お前が傷つく様を、想像するだけで——」
「それは私も同じです。あなたが一人で抱えている様を見るのが、辛い」
「お前は私とは違う。私は慣れている」
「慣れていることが、正しいわけではありません」
ルシアンが、エレナを見た。
嵐の音の中で、二人は向かい合っていた。
「……分かった」
ルシアンが、静かに言った。
「全部すぐには変えられない。でも——遠ざけることはしない」
「それだけで、十分です」
エレナの目に、涙が滲んだ。
「泣くな」
「嬉しいので」
「毎回それを言う」
「毎回本当のことなので」
ルシアンがエレナの前に来た。でも——すぐには触れなかった。少し間を置いて、それからエレナの手を取った。
力強くではなく、そっと。
確かめるように。
「……すまなかった」
「謝らなくていいです」
「言わせてくれ」
エレナは少し間を置いた。
「……分かりました」
「遠ざけたことは、間違いだった」
「分かっています」
「お前が傷ついたことも、分かっている」
「はい」
「……それでも、ここにいるか」
エレナはルシアンを見た。
その目に、珍しく——不安があった。
この男が、不安を見せることの稀さを、エレナは知っていた。
「います」
エレナは言った。
「何があっても、ここにいます。遠ざけようとしても、また来ます」
ルシアンの手が、少し強くエレナの手を握った。
「……分かった」
嵐の音が続いていた。でも、部屋の中は——少し、静かになった気がした。




