第34話「公爵の罠・前編」
十一月の末、公爵が次の手を打った。
今度は、書状ではなかった。
ルシアンの執務室に、偽の来客があった。
ガルデニアの外交官を名乗る男が、アポイントなしに王宮を訪れた。ルシアンとの面会を求め、「機密事項がある」と言った。通常はアポイントなしの面会は断るが、外交案件という名目で、その日の当番だった官吏が通してしまった。
エレナはその男が執務室に向かうのを廊下で見た。
何かが引っかかった。
外交官にしては、随行員が少ない。一人だけだ。本物の外交官が機密事項を持って来るなら、もう少し人数を連れてくるはずだ。それに——服装が、微妙に違う。ガルデニアの外交官の服には特定の紋章が入っているが、この男の服の紋章は、エレナが書類で見てきたものと微妙に異なっていた。
エレナは迷わず動いた。
近衛兵を探して、一番近くにいた兵士に声をかけた。
「ルシアン殿下の執務室に向かった来客の身元確認を、今すぐお願いできますか」
「侍女が近衛兵に指示を?」
「指示ではなくお願いです。ただ、急いでいます」
近衛兵が顔をしかめた。エレナは続けた。
「私が間違っていたなら、謝ります。でも正しかった場合、確認が遅れれば殿下に危険が及びます」
近衛兵は一瞬迷い、動いた。
執務室の前に着いたとき、中から声が聞こえた。
「この書類に署名を」
男の声だった。
近衛兵が扉を開けた。
男がルシアンの前に立ち、何かの書類を差し出していた。ルシアンはまだ署名していなかった——書類を読んでいた。
「止めてください」
エレナが入り口から言った。
全員の目がエレナに向いた。
「その方の身元確認が取れていません。ガルデニアの外交官として登録のある人物と、紋章が一致していません」
男の顔が、わずかに動いた。
近衛兵が男に近づいた。
「身分証を提示してください」
男はしばらく無言だった。それから、ゆっくりと笑った。
「……侍女が気づくとは思わなかった」
男は近衛兵に取り押さえられた。
書類は、ルシアンが不正な取引に同意したという内容の偽造文書だった。署名させてから公開するつもりだったのだろう。
後の調べで、男は公爵の側近であることが分かった。




