出発する見習いメイド
昨日の夜はとても嬉しいことの連続だった。奥様とメイド長と一緒にお風呂に入り、たくさんお話をした。その後は奥様のすごい広いベッドで奥様とメイド長に挟まれながら就寝。幸せすぎて、ベッドから起きたくなくなってしまう。
それにしてもあのベッドはとても広い。私が十人は余裕で入れる。というよりもベッドだけで私の部屋よりも広い気がする。奥様はやっぱりすごい人だった。
「ミラ、準備できましたか?」
「はい、バッチリです!」
扉の外からメイド長の声が聞こえる。空っぽになった部屋を見渡す。この家の優しさが詰まった私の部屋。思い出だけを持って私はこの部屋を出る。
「必ず戻ってきます」
トランクとリュックを持ち、扉に手をかける。
「いってきます」
私にとっての温かくて優しい小さな部屋に別れを告げて、私は部屋を出てそーっと優しくその扉を閉めた。
外へと向かうと馬車の前へでメイド長が待っていた。その周りには奥様を含めて屋敷の全員の姿がある。
「メイド長、お待たせしました」
「はい、ではトランクは先に乗せておきますので、奥様たちにご挨拶をしておいてください」
「ご挨拶?」
「なに不思議そうにしてるんですか?ここにいる全員があなたの見送りですよ」
「……えっ?!」
私はアワアワとしながら、服のシワなどを整えていく。そんな私を見て奥様がクスクス笑いながら、頭を撫でてくる。
「そんなことしなくても十分可愛いわよ」
「そ、そうでしょうか」
「ええ、あっ、忘れないうちに渡しておくわね」
なんとも高級そうな木箱を差し出され、私は受け取る。お嬢様はのお土産でしょうか?
「お嬢様にですか?それとも旦那様にでしょうか?」
「フフフ、あなたによ。ミラのためにみんなで決めたのよ」
「……わ、わたし?」
途端に手が震え始める。私が持っていた宝箱入れとは違い、綺麗な装飾が施されている。それに何かはわからないが塗られており、太陽の光を反射して木箱自体がキラキラと輝いている。
「こ、こ、こここ、こんな良いものを頂いていいのでしょうか?」
「もちろんよ!あなたが宝物入れを持っていると聞いて、王都に行ったら、もっともっと宝物が増えると思うから、一回り大きな宝物入れを用意したの」
「嬉しいです!ありがとうございます!」
「フフフ、それでこれは私から個人的な贈り物」
そう言って奥様は私の胸元に小さなピンク色のブローチをつける。
「綺麗です!でも、良いのでしょうか?」
「いいのよ!困ったことがあったり、迷子になったり、万が一閉じ込められたりしたら、このブローチを壊しなさい。そうすれば必ず誰かが助けに来てくれるわ」
「すごいですね。まるで魔法みたいです」
「フフフ、魔法みたいというか魔法よ。アリスにも同じものを持たせているわ」
「そ、そんな貴重な物を!?い、頂けないですよ」
「だーめ、もう付けちゃったわ」
「王都の騎士様に捕まらないでしょうか?」
「……どうして捕まるの?」
断頭台が近づいてくる音が聞こえる。
「そのブローチなら私も奥様から頂いてますよ。お揃いですね」
「メイド長とお揃い!奥様、ありがとうございます」
「フフフ、どういたしまして」
私の隣に立ったメイド長が奥様に声をかける。
「それでは奥様行ってまいります」
「はい、王都でもしっかりね」
「お任せください。ミラもご挨拶を」
挨拶をする時になって、この家から離れる自覚がふつふつと湧き上がってくる。湧き上がるみんなと離れる寂しさが、目から零れ落ちていく。
「…っ、ぅぅっ、いっ、行ってまいります。必ず戻って…っ、来ますので、私のこと忘れないでください。戻って来ても…っ、仲良くしてください」
「ミラちゃん……」
奥様は私を抱き寄せて優しく撫でてくれる。
「当たり前でしょう。私たちはこの家で待ってるわ、だからいろんな宝物を探して来なさい」
「はいっ!」
零れ落ちる涙を拭って元気に返事をする。後ろからスンスンとメイド長の疲労回復呼吸法の音が聞こえる。こんな時にでも即座に疲労を回復させるとは私も見習わないと。
「ミラちゃん、いってらっしゃい」
「はい、いってきます!」
後ろ髪をひかれながらも、私は馬車の中へと入った。窓のから奥様たちが見える。太陽のせいかみんなの目がキラキラしている。
手を振る私たちにみんな手を振り返してくれた。小さくなっていくみんなに手を振り続け、帰ってきたら王都で見つけた宝物をみんなに見せるのだと心に決めるのだった。
馬車を走らせて三日。大きく広がる小麦畑の中を馬車が走り続けている。緑色の絨毯が風に揺られて輝く様はとても綺麗だ。
「毎日がピクニックなんて、とても贅沢ですね!」
「そう思えるあなたはすごいですね」
「確かに、お仕事もしてないのに、ご飯やおやつを食べるなんて、女神様から天罰がきそうで怖いですね」
「……そういう意味ではないのですがね」
「後どれくらいで着くのでしょうか?」
「そうですね。早くて今日の夕方、遅くても明日の朝には着くでしょうね」
「へぇー、ところでメイド長?」
「なに?」
「その、別に嫌とかではないのでいいのですけど、いつまでこうしてるんですか?」
私は今、メイド長のお膝の上で頭を撫でられ続けている。ときどきメイド長が『耳出して』というので、頭から猫の耳を出したりもする。メイド長には日頃からお世話になっているし、撫でられるのは嬉しいのでいいのだけど、三日間ずっとは飽きないのだろうか?
「嫌だったかしら?」
「いえ、なんというか飽きませんか?」
「飽きないわね」
「そうですか?ならいいのですが」
三日も猫の耳を出したり、引っ込めたりしていると以前よりもスムーズに出せる様になった。今ではそこまで力まなくても、耳を維持できる。
「ん?」
なんだか、叫び声の様なものが聞こえる。それと金属動作がぶつかる様な音も聞こえる。
「誰かが叫んでますね。それと金属がぶつかる音も聞こえます」
「方角はわかりますか?」
私は集中し、音のない世界に入る。その静かな世界からさっき聞いた叫び声と金属の音を探す。
『―—―』
見つけた!
「見つけました。えーっとこっちが北?いや、南?だから、えーっと」
「方向を指差して!」
「あ、あっちです!」
私は右斜前方の遠くに見える茂みを指差す。
「あの茂みの中から聞こえます」
「わかりました」
メイド長は馬車の窓から身を乗り出して、御者の方に『戦闘です。加勢に行きますのであの茂みに向かってください』と伝える。
「ミラ、その音に集中しながら聞こえる内容を言葉にできますか?」
「は、はいやってみます」
集中しながら目を閉じる。
あれ?目を閉じてるはずなのに、白黒の世界が見える。音の大きな場所が水たまりの波紋のように丸く広がっている。これは……音が見えてるのかな……?
御者の方に視線を合わせると、馬車の籠が透けて、御者の方が見える左の胸のあたりに小さな赤い波紋が広がっている。
不思議な感覚だけど、今はそれどころではないので、さっきの叫び声の方向に目を合わせると詳細の映像が白黒で見え始めた。
「四名の騎士様が何かと戦っています。人よりも大きいです」
「見えているのですか?」
これを見えると言ってもいいのでしょうか?
「わかりません。ただ聞こえます」
「続けなさい」
剣と大きな斧がぶつかり、ひときわ大きな波紋を作る。その波紋のせいか騎士様達の胸あたりの小さな赤い波紋が一瞬乱れる。
斧を持つ大きな人のようなものの胸には青っぽい波紋が広がっている。この色の違いは何なのだろうか?
騎士様にその斧を振り回しているが、騎士様は後退することなく立ち向かっている。
「騎士様たちが何かを守ってます。この籠みたいなのは馬車でしょうか?中には二人います」
「……先に行きますので、ミラは馬車と一緒に追って来てください」
「わかりました。……えっ?」
風が一瞬吹いたと思った瞬間、ストンッとさっきまで座っていたお膝が無くなり、馬車の椅子へと落ちる。目を開けるとそこにはもう誰もいなかった。
「メ、メイド長……?って、もういない」
急にいなくなったことに驚きすぎて、集中できない。私はその後もソワソワとあたふたし過ぎて、音のない世界に入ることはできなかった。
茂みを抜けると、ぬかるみに車輪を取られている馬車とその近くで座り込み、メイド長の手当てを受ける騎士様達の姿が見えた。その近くには緑色をした巨人のような化け物が倒れている。
「メイド長、ご無事ですか!」
「意外と早かったですね」
「メイド長は早すぎますよ!もう、びっくりしたんですからね!」
「それは失礼しました。でも、ミラノおかげでこちらの方々の命は救われました。お手柄でしたね」
「お助けになったのはメイド長ですよ?」
「ミラが早く気づいてくれたおかげです。気づくのがあと少し遅ければ、何名かは犠牲になっていたことでしょう」
そう言って私の頭を撫でてくれる。自分の手柄を私へと譲ろうとするメイド長はやっぱり優しい人だな。
頭を撫でられていると、メイド長の後ろから甲冑が擦れる金属の音が近づいてくる。
「失礼、そちらがお話にあったメイド見習いの方でしょうか?」
兜を小脇に抱えた左目に大きな傷のある。金髪の男性がメイド長に声をかけてきた。口元にはうっすらと髭が生え始めている。
「ええ、そうです。あなた方の異変を私に知らせた。優秀な部下です」
優秀。…優秀。私が優秀……?私が!?
「えへ、えへへ、えへへへ……」
「あまり褒めると調子に乗ってしまいますので、この辺にしておきましょう」
「大変仲がよろしいのですね。ご挨拶を宜しいでしょうか?」
「もちろんです。ミラ、失礼のないように」
「私が……優秀……えへへ」
「ミラ?」
「は、はい!」
「ご挨拶してください」
「はい!デアドラッヘン伯爵家のメイド見習いをさせて頂いております。ミラと申します」
噛まずに言えた。突然声をかけられてびっくりしたけど、メイド長が厳しく指導してくれたおかげで、挨拶だけは噛まずに言える。今でも脳裏に映る練習風景……。
川の前に立ち大きな声で挨拶をする私。
森の中で木の上に立ち大きな声で挨拶をする私。
山を登り、クマを抑え込むメイド長を見ながら挨拶をする私。
メイド長が本気で剣を素振りしている目の前で挨拶をする私。
あの練習の全てがきっとこの日のためにあったのだと思う……そう思いたい。
「私を前にしっかり挨拶ができるお嬢さんも少ないと言うのに大した胆力ですね。丁寧な挨拶ありがとうございます。ではこちらも、私はツェルベルス公爵家で騎士をしております。アルスと申します」
「公爵様の……騎士様……?」
「本日は王都へと公爵家の御息女であられるリーファお嬢様を護衛していたところ、トロールに襲われてしまいまして危ないところをニーナ様に助太刀いただきました。この度はお助け頂きありがとうございます」
「公爵様の……お嬢様……?」
「つきましてはお嬢様が直接お礼をと申しております」
直接お礼……?公爵家のお嬢様が私に直接お礼?きっと何かの間違えなのだろう。メイド長に聞いてみましょう。
「メイド長、私は耳がおかしくなったのでしょうか?公爵家のお嬢様が私に直接お礼がしたいと言っているように聞こえました」
「ええ、そう仰ってますね」
「誰がです?」
「公爵家のお嬢様が、ですね」
「誰にです?」
「あなたと私です」
「これは……夢ですか?」
「ほら、行きますよ。お待たせしては失礼ですから」
メイド長にズルズルと引きずられる私を騎士の方々とアルス様が楽しそうに笑って見ていた。




