#7「勇者抹殺計画」【3】
「来てたの?」
リリエムは露骨に眉をひそめた。ミリアムのことは好きではない。正しいことしか言おうとしない人のことは警戒するし、それ以上にミリアムには詭弁で人を動かそうとするところがあって苛立ちを覚える。リリエムはドア付近に立つミリアムのわきを通り過ぎ、部屋の奥の椅子に座るセリムに「ただいま」と笑いかけた。
セリムは少し困ったような顔でリリエムを見た。ショートボブにカットした癖のないストロベリーブロンドが揺れた。やっぱりセリムもこの女の態度に困っているのね。娼婦から生まれたチェンジリングのあたしたちを内心で見下しているくせに、公正な人間のフリをして近寄ってくる嫌な女。他人を踏み台にすることしか考えていないくせに。リリエムは内心で吐き捨てた。背後からミリアムの声が聞こえる。
「リリエム。レイから聞きました。フラムディーヌ討滅戦のパーティーメンバーに選ばれたと……。あなたも『旅の仲間』に登録していたのですね」
旅の仲間。それは勇者のパーティーメンバーの志願者を登録する制度だった。名簿は非公開となっており、閲覧を許されるのは勇者のみ。勇者は旅に出る際に登録者の中から同行者を選択する仕組みになっている。志願者は登録時に居住地を記載しなければならず、パーティーメンバーに選ばれた際には勇者本人ではなく役人が通達に訪れる。その際、他のメンバーの情報は公表されない。ミリアムの言葉は彼女がレイと親しい関係にあることや、それを異母妹に誇示しようとしていることを意味していた。本当に嫌な女。ブスのくせに。
リリエムは振り返り、片手を腰に当てて挑発的な笑みを浮かべた。
「当然でしょ。そのために武術を習ってるんだから」
「当然のこと……、なのですか? レイのために強くなることが?」
「そうよ。あたしたちはレイのいとこだもの」
あたしたち。連帯感などお互いに抱いていないことを知った上でリリエムはそう言った。ミリアムとの関係など、同じ男とファックした別々の女から生まれただけの赤の他人でしかなかった。そしてミリアムもまた、そのように思っているのだろうか。ミリアムは不快そうに眉根を寄せ、異母妹に抗議した。
「いとこだからといってレイのために人生を捧げる義務はありません。わたしの人生は誰のものでもない。あなたの人生だってそうでしょう?」
「……ミリィ姉さんは冷たいんだね」
口を挟んだのはセリムだった。セリムは椅子から腰を上げ、穏やかな歩調で二人の姉に近づきながら言葉を続ける。
「レイは世界中の人々のためにその人生を捧げているのに、僕らはレイのためじゃなくて自分のために生きていいの? レイ一人に責任を負わせて、そんなの不公平だよ」
ミリアムはしばらく答えなかった。セリムの顔をじっと見ながら熟考しているようだった。そんな態度がリリエムの神経をまた、逆撫でする。ミリアムはリリエムに対しては、よく考えてから答える、ということを決してしなかった。
ミリアムが口を開いたとき、その声は落ち着き払っていた。
「セリム。あなたの言いたいことはよくわかります。ですがその孤独こそが力を持つ者の宿命なのです。そしてその宿命はレイ一人のみに降りかかるものではありません。程度の差こそあれど、いつ誰の身に降りかかったとしてもおかしくはないのです」
ミリアムはドアを離れ、セリムへと歩み寄る。そして異母弟の手を取ると、両手でそっと包んだ。
「いいですか、セリム。あなたは孤独で不公平な運命を覚悟しなければなりません。もしもレイが死ぬことがあれば、あなたが聖剣に選ばれるかもしれないのですから……」
「僕は勇者になりたくない。僕はレイのようにはなれないよ」
「レイのようになる必要はありません。レイの真似などしなくても、あなたなら人々に愛される立派な勇者になれるのですから。あなたが勇者になればわたしは、いいえ、わたしたち二人の姉はあなたに人生を捧げます。救世主は孤独なもの。ですがあなたはレイほどは孤独な勇者にならずに済む……」
リリエムは直感した。ミリアムはレイを殺そうとしている。セリムを勇者にするために。
勇者に対する暗殺計画は決して珍しいものではない。しかもその大半は、魔王軍の刺客ではなく勇者の座を狙う人間の手によっておこなわれてきた。先代勇者ターシャはレイやリリエムの祖母に当たる女性だったが、生涯にわたって暗殺未遂事件が絶えなかった。若く可憐であることを理由に、子供を産んだことを理由に、老婆となったことを理由に、名誉欲に取り憑かれた者が武力にものを言わせて彼女から勇者の地位を奪い取ろうとした。そんな事件の影で人知れず死んでいったのがレイの妹のメイシャだった。
勇者レイに対しては、その座を狙う人間による暗殺未遂事件は起きていない。素行こそ悪辣だが、レイは戦士としても軍略家としても学者としても優秀で、魔王軍に対しては高い戦果を挙げていた。彼から勇者の地位を奪い取ったところで、彼以上の結果を出さなければ大恥をかくだけだ。名誉欲に取り憑かれた者たちは、その事実に恐れをなした。
そんなレイを死地に追いやり、セリムを勇者に据えるなど、愚策にしか思えなかった。セリムが勇者になればまた、祖母の時のように暗殺未遂事件が頻発するだろう。名誉欲に憑かれた者の狂気はギデオンを見ればわかる。あのような者があと何人、社会に潜んでるのだろう。リリエムは恐怖を感じた。底なしの虚無が背後でぽっかり口を開けているような気がした。
「姉さんはレイを殺すつもりなのね」
「わたしはただ、セリムに未来の勇者としての自覚を促したかっただけです」
「勇者を選ぶのは聖剣よ。選ばれなかった者は聖剣を持ち運ぶことすらできない」
ミリアムはセリム手を両手で包んだまま、リリエムを振り返り、一呼吸置いてから慎重に答えた。ミリアムが異母妹に対してそのような態度を見せるのは、記憶にある限り初めてのことだった。
「……もしも任意の者を聖剣の主にする方法があるとすれば?」
「そんな話、聞いたことない」
「確かにあなたはそうでしょうね」
ミリアムの無神経な言いぐさにリリエムはむっとした。
「ものを知らないと思って出任せを言わないで。姉さんには言ってなかったけど、あたしは優秀な先生に個人授業を受けてるんだから」
「リリエム、冷静に考えてごらんなさい。こんなときに出任せを言うと思っているのですか? そんなことをしてもあなたやセリムのなけなしの信用を失うだけです。わたしはあなたたちに信用されていない。何も言われなくてもそれくらい理解しています」
ミリアムはセリムの手をそっと離し、改めてリリエムに向き直った。
「わたしは宮廷魔術師エリオの遺した『エリシャの書』を解読したのです。竜言語魔法の研究の一環として。そして見つけました。聖剣との契約術を……」
「つまり姉さんが竜言語魔法を使えば、レイの死後に確実にセリムを勇者にできるのね」
「物わかりのいい妹を持って心強いわ」
ミリアムはすっと目を細め、うっすらと笑った。狡猾そうな微笑みだった。
それだけ言うとミリアムはセリムの部屋から去っていった。扉の向こうに響く異母姉の足音が完全に聞こえなくなるのを待ってから、リリエムはセリムに言った。
「もしもレイとミリアムが対立するようなことになれば、あたしの言うことを聞きなさい」
「リリィ姉さんって最近なんだかミリィ姉さんのような言い方をするようになったね」
「そのリリィって呼び方はやめなさい」
「どうして? 子供の頃からずっとそう呼んでるのに……」
「子供っぽくて好きじゃないの」
リリエムは髪をほどきながら言った。腰付近まで伸ばした赤毛を耳の上で二つに束ね、さらに三つ編みにした上で、お団子を作ってセミロング程度のツーサイドアップに結わえていたので、ほどき終わるまで時間がかかった。長い赤毛がふわりと広がり、髪にこびりついた空気がリリエムをそっと包んだ。ディアスの部屋の空気だった。出会った頃に比べると今の彼は別人のようだ。酒に溺れるかつてのディアスの姿が脳裏を去来して、リリエムの胸の奥が痛んだ。
「……いいわね、セリム。レイでもミリアムでもなくあたしの言うとおりにするのよ」




