第十章 夜中の森で
わたしと雄太、山津見たちは、無事に信夫パックの縄張りを抜けて、元の山津見の領域に入った。
「ふう、なかなか疲れるな」
雄太が息をつくと、倒木に腰を下ろした。
リュックサックの中身を確認する。
「食料が少し少なくなってきたな・・・・・・・・・・・」
そういうと、肩に担いでいる短槍を手に握った。
「少し食糧調達に行ってくる」
《俺もご一緒させてもらおう》
片曽根も立ち上がると、ブルブルッと体を震わせた。
「おし、じゃあ行くか!」
二人が暗闇の中に消えていく。その姿を見送ると、わたしは地面に寝っ転がった。
「ふう・・・・・・・・」
倒木に頭をもたせかけると、今日の山歩きの疲労が一気に襲い掛かってくる。
「クゥ~ン・・・・・・・・」
オオカミのみんながわたしの周りに集まってきた。わたしに体を密着させるように周りで丸まる。
「うう、すっごいポカポカ・・・・・・・」
この辺りの山中は、夏でも夜には大分冷え込む。深呼吸をすると、オオカミたちの臭いがわたしの鼻腔を気持ちよくくすぐった。
「眠・・・・・・・・・」
わたしの意識がだんだんと遠のいていく。そして、夢の中に引きずり込まれていった。
「愛美・・・・・愛美・・・・・・・」
どこからか聞こえるわたしを呼ぶ声。
「おい、愛実。起きろって・・・・・・・」
「んんんんん・・・・・・・」
瞼を開けると、そこには見慣れた雄太の顔。
「帰ったぞ・・・・・・・・」
雄太がわたしの隣に腰を下ろす。一緒にいた片曽根もみんなの中で丸まった。
「ミナグロの痕跡はあった?」
わたしが訊くと、雄太は首を縦に振った。
「クマの糞があった。中身をほぐしたら、人の髪の毛が見つかった」
「状態は?」
「まだまだ形も残ってるし、においも強い。だいたい三日くらい前だな」
「わかった」
(三日くらい前ね・・・・・・・・・)
クマの移動範囲は広い。ミナグロもかなりの距離を移動しているでしょ。
《いや、そうとは限らないぞ》
山津見が言う。
《あいつは足を怪我しているからな》
確かに、伊三郎さんも「撃ったが致命傷にはなってない。手負いにしちまった」って言ってたもんね。
「了解」
わたしはそう言うと、むくりと起き上がった。
「雄太。獲物はいた?」
「全然いない。野兎一匹もいやしないね」
「やっぱり・・・・・・」
動物たちもミナグロに恐れをなしてるのかな?
「わかった。今夜は食事抜きでも大丈夫」
わたしと雄太は普段の生態系調査で山歩きすることもあるから空腹には慣れてる。オオカミたちも普段から獲物が捕れる訳では無いから空腹に強い。
「じゃ、雄太も寝なよ」
「お、おう・・・・・・」
わたしが自分の隣の地面をポンポンとたたくと、雄太がちょこっとぎこちない返事をして入った。
「わたしとみんなの体温であったかいでしょ?」
「あ、あぁ・・・・・」
さっきから雄太の返事がぎこちないけど、どうしたのかな?
「昔はよくこうやって一緒に寝てたよね」
「お前が躊躇なくオオカミの群れに入ってったのには肝を冷やしたがな」
雄太が声を震わせながら言う。
「だって、オオカミたちが話しかけてきたんだもん」
「ああ、最初はお前が嘘ついてると思ったが、最近では信じられるよ」
雄太は落ち着いた声色で返した。
「それより、今は寝ろ。俺と安達太良で見張っとく」
「はぁい」
わたしは返して、瞼を閉じた。安達太良をモフりながら。
チュンチュン・・・・・・・・チュン・・・・・・・・・
ヒヒョロロロ・・・・・・・
キンと澄んだ空気の中を野鳥たちの声が渡っていく。
「いい朝だ」
俺―春野雄太はそう呟くと、腰にマタギナガサをつるした。
「この声はスズメとアカショウビンだな」
俺は手近に生えてる柿の木に近づくと、その枝に手をかけた。
「よいしょっと!」
枝に足を乗せると、その上の枝を手でつかみ、懸垂の要領で体を引き上げる。
「さて、奴さんはお出ましかな?」
枝に座ると、首にかけた双眼鏡を手に取った。
「ほほう、昨晩のうちに少しは何かに食べられてるな」
双眼鏡の先には殺されたばかりのシカの死体。おそらくオオカミかクマによるものだろう。
「奴さんらは嗅覚が鋭いからな。ミナグロがこの近くにいるなら絶対出てくるに違いない」
双眼鏡に映し出されるシカの死体。腹が大きく引き裂かれ、何者かに食われた跡がある。
「さてさて、今のところ足跡はキツネやタヌキ、アナグマ・・・・・・・・腐肉食動物ばかっりだな」
バタタタタタタタ・・・・・・・・・!
上空から聞こえてきたエンジン音。見上げると、カーキ色と黄土色で塗られたヘリコプターが上空を旋回していた。
「あれは、陸自のOH-1偵察ヘリだな・・・・・・・自衛隊さんも大変なことだ」
今回は災害派遣扱いで陸上自衛隊の山岳レンジャーと偵察ヘリが投入されている。県警と陸自のヘリで上空からミナグロを探し、見つけ次第山岳レンジャー部隊とハンターで仕留めるって寸法らしい。
「おっ!」
シカの死体の近くにある藪が動いた。こんもりとした黒い背中が見える。
「奴さんのお出ましか?」
俺は双眼鏡を覗くと、眼下の愛美に合図した。陸自の払い下げ品でもある狙撃銃改造の猟銃「M24-SWS」を手に取る。
ガシャン
ハンドルを引いて弾丸を装填。銃床を肩に当てる。
(ミナグロはツキノワグマにしては破格のデカさ、片方の耳がない・・・・・・)
脳内で標的の特徴を反芻した。
ガサガサ・・・・・・・
山津見たちがミナグロの方に移動を始める。愛美は俺と同じ木に登ってきた。
「いるね・・・・・・・」
愛美が双眼鏡を覗いて言った。
「ツキノワが一頭、デカいな・・・・」
俺は銃のスコープを覗き込んで返す。
「顔がまだ見えない。特徴がまだつかめないね」
愛美が言った瞬間、クマが動いた。
「!!」
片方の耳がない・・・・・・・。
「ミナグロだ」
愛美が小声で言う。
「一発で、仕留める」
俺はしっかりと銃を構えると、スコープを覗き込んだ。ミナグロの額に真ん中の十字線を合わせる。
「今だ・・・・・・!」
だけど、俺は引き金を引くことができない。ミナグロは、こっちをまっすぐ見つめているのだ。シカには目もくれずに・・・・・・・・
「もしや、気づかれている・・・・・・・?」
背中がぞわっとした。
(そんなわけない。あってたまるか!)
ミナグロの方向から風は吹いているから匂いで気づかれていることもない。銃の動作音や俺の息遣いだって聞こえる距離ではないはずだ。
(でも・・・・・・・)
スコープの中の獲物はこちらをじっと見ている。いや、睨んでいる。
(とにかく一発だ・・・・・・!)
カチッ
俺は引き金を引いた。
ダーーーーーーーン!
銃声が響くと同時に、銃身の先が跳ね上がる。
「しまった・・・・・・!」
俺ともあろうものが、マズルジャンプを考えていなかったとは・・・・・・!
「あり得ない・・・・・・・・」
双眼鏡を覗くと、弾丸はミナグロのはるか上にそれて木の幹に食い込んでいる。
「俺が外すなんて・・・・・しかもマズルジャンプと言う初歩的なミスで・・・・・・」
ダメだ、アイツにみられるとすごい悪寒がする。
ガサガサ・・・・・・
ここは危険と悟ったのか、ミナグロはやぶの中に消えていった。
「あいつは本当にただのツキノワなのか・・・・・・・?」
いや、アイツは・・・・・・・・・
「・・・・・・悪魔だ」
俺はそう呟くと、銃を下ろす。
銃身から排出された薬莢が、チャリンと鳴った。




