第1話 勇者に夫を殺されました
「今日も夜遅くまで頑張ってるねぇ。ご苦労さん」
気づけば今日も時計は夜の8時を回っていた。
「あ、廣田先生。お疲れ様です」
「ぼくはもう帰るよぉ。あんまり遅くならないようにね」
「はい。ありがとうございます。ちょっと終わらせたい起案があるので、それが終わったら帰りますよ」
廣田尚正先生は、ここのいわゆる「ボス弁」、要するに所長だ。おれは弁護士5年目。新人……とはもう言えないかな。この事務所で「ノキ弁」をやらせてもらっている。「ノキ弁」というのは、「軒先弁護士」の略で、事務所経費負担はなく、机を置かせてもらって仕事と勉強をさせてもらっている、という立ち位置になる。
「キミももう一人前に仕事ができるようになっているから、そろそろ独立を考えていいんじゃないかなぁ」
廣田先生からは最近よくこんな風に言われている。廣田先生は、もう70代後半くらいで、いつも柔和な笑顔を絶やさない人だ。うちの業界は、法廷闘争を代理人として務める仕事だから、いつも眉間にしわの寄った顔をしている人もいるけれど、廣田先生は、そんなことはない。そんな表情をしていることを見たこともない。廣田先生がおれに独立を勧めるのは、おれと廣田先生の間に何かトラブルがあって、追い出そうとしている、とか、そういう理由ではない。シンプルに、廣田先生自身、年齢的なこともあって、そろそろ引退を考えているし「弁護士たるもの、最後は一国一城の主として自らの信念に基づき、事務所を構えるべきだ」というのが先生の哲学なんだ。独立を勧められるのは、ある意味では、廣田先生から実力を認められている証とも受け取れる。嬉しい反面、そうは言ってもまだひとりで事務所を構える勇気が持てていない。だって、事務所を構えたら……「経費」つまり、お金がかかるもんね。
正直、ここまで弁護士をしていたが、大きな貯金ができているわけでもない……一昔前であれば、「医者」と「弁護士」は「儲かってそうな仕事」の代名詞のような位置づけだった。実際、おれも学生時代はそんなイメージを少しばかり持っていた。でも、実際自分が弁護士になってみると、そこまで大儲けできるわけではないというのが現実だった。いや、大儲けしている同業者がいるのも間違いはないのだが……
「儲かってそうな仕事」のイメージとは程遠く、今日も質素なコンビニ弁当をレンジで温め、少し遅い夕食を済ませる。食事を済ませてから、終わらせようと思っていた交通事故案件の準備書面の起案に取り掛かる。
「よし。できた。これで明日には提出できるかな」
結局作業は深夜にまで及んでしまった。でも、明日には提出できそうだ。そろそろ帰ろうかと帰り支度をしていると……
「……さぃ」
ん?誰かの声がする?こんな時間に?
聞き間違いかな……?
コンッ、コン!
今度はノックの音。
「ごめん下さい」
聞き間違いではない。こんな時間に来訪者?事務所の入り口の扉の方から聴こえてくる。
「……こんな時間に誰だよ」
そう思いながらも、事務所の入り口の扉を開ける。
黒装束のフードを被った背が高い美しい女性が立っている。
「えっと、ご相談をしたいのですが」
こんな時間に?廣田先生のお客さんだろうか……
でも、先生はもう帰っちゃったしな。
飛び込みのお客さん??
「……ご予約は、されていますか?」
「いいえ」
「今日はもう受付時間を過ぎていますし、だいぶ遅いので――」
「夫を殺されました」
「え!?」
え、殺人事件?こんな夜中に??
「……警察には?」
「ケーサツ?」
「誰に殺されたんですか」
彼女が答える。
「勇者です」
「……は??」




