女王様と夜のお散歩
午後八時過ぎ。
陽も落ち、薄暗い街をバイクに乗って目的の場所へと向かう。
夏真っただ中。日中にアスファルトへ蓄積された熱が放出されているのか、夜になっても涼しいとは感じることはなく、蒸し暑い夜だと思いながらアクセルを捻る。
目的地は陽代美から指定された隣町にあるコンビニ。
こんな夜遅くにバイクでお出かけしたいとは、我らが女王様も困ったものだ。
そして指定されたコンビニに到着して、陽代美に連絡をしようと携帯を取り出す。するとコンビニの影から一人の少女がヘルメットを持って姿を現す。
「こんばんは」
「こ、こんばんは。もしかして、ここでずっと待っていたのか?」
「ううん、違うよ。キクが来るのわかったから、今出てきたところ」
「まさか、陽代美って超能力者だったのか?」
「フフッ、キクも無用心だね」
なぜ俺がコンビニに到着する時間帯がわかったのだろうかと不思議に思っていると、陽代美は携帯を取り出し俺に画面を見せてきた。
そして画面には赤と青の矢印のアイコンが重なり合っている。
「これは?」
「この前の事件の時に、一緒にインストールした位置情報追跡アプリ。キク、あの事件以来ずっと位置情報オンにしたままでしょ? これだと私からキクの居場所がすぐにわかっちゃうよ?」
この前の事件とは盗撮魔事件のことだろう。
得意気に俺へ向けて注意をする陽代美だが、こちらとしては連絡をいれる手間も省けるため便利な機能だなとしか感じない。
「別に、俺は陽代美から居場所が知られても困らないぞ」
「もう、すぐそういうこと言うんだから……」
「そのアプリって俺の方からでも陽代美の位置がわかったりするのか?」
「うん、わかるよ」
「陽代美も不用心じゃないか。俺から居場所が知られるのは嫌だろう」
「別に、私はキクから居場所が知られても困らないんですけど?」
「む……」
言い返されてしまった。
そして、陽代美はヘルメットを被り、グローブを着用する。
「それじゃあ誘拐犯さん、よろしくお願いします」
「ヘルメットを持参してくるとは、準備のいい標的だな」
「でしょ?」
そう言って陽代美は、俺の肩に手を乗せバイクの後ろに搭乗する。
二回目ということもあり、速やかに正しい搭乗姿勢をとる彼女に思わず感心する。
そして、少しばかり呆れる。
陽代美は俺がバイクを出すことを期待して、義父の実家にわざわざバイク用品を持ち込んでいたのだ。もし俺が断っていたらどうするつもりだったのだろう。
駐車場からバイクを発進させ、再び夜の街へ繰り出す。
目指すのは近くの海岸沿いの道。我らが女王様を連れた夜のお散歩の始まりだ。
交差点を幾つか抜け、海岸沿いの道に出てひた走る。
海から香る潮風を感じつつ、一定の間隔である街灯と月明かりが照らす夜道を疾駆する。
直線で走りやすい道についアクセルを回したくなる衝動に駆られるが、己を強く諫める。今は後ろに乗る彼女の命を預かっている。
恐らく陽代美は、両親に外へ出ることを伝えずに俺のところまで来た。そんな時に、事故や交通違反なんてしたら目も当てられない。
夜の道には危険がいっぱいだ。安全が過ぎるくらいの安全運転で丁度いい。
海沿いの道は高低差があり、上り坂を過ぎたと思ったらすぐに下り坂。そしてまた上り坂に差し掛かりアクセルの操作が忙しい。しかし、ギアを大幅に変更することはなく、小気味よく走りごたえのある道だと感じた。
幾つかの信号を過ぎ、ニ十分ほど走ったところで海岸沿いにある駐車場へ入る。
駐車場には白いミニバンが一台停まっており、その車から少し離れた位置でバイクを停車させた。
どうやらこの駐車場は、海水浴や観光客向けの場所らしく、海の家やスキューバダイビングを宣伝する看板が複数設置されていた。
そこでバイクを降りてヘルメットを脱いだ陽代美は、満足そうに感想を述べる。
「夜風が気持ちいいね。暗い道を走るのってちょっとドキドキする」
「そうだな……陽代美、一応言っておくが誘拐とは言葉のあやで、あとでさっきのコンビニまでちゃんと送るからな」
「はぁい」
最近、陽代美が不良化していないか心配になる。なにせ悪い見本が近くに二人もいるのだ。
バイクから降り、ヘルメットをバイクのミラーに置いて身体を伸ばす。そんな俺を真似して陽代美も身体を伸ばす。
「そういえば、今日は体操しなかったね」
「まあ、あの時は寝起きだったしな。陽代美も朝が弱そうに見えたから」
「そんなことないもん……」
と、陽代美はそっぽを向く。
彼女に続いて海岸線を見れば、微かに波の音が聴こえてくる。そんな音の中に僅かに混ざる機械物が軋む音。
『ギッギッギッギッ』
「……陽代美、ここから離れるぞ」
「え、どうして?」
「いいから、早くっ」
不思議そうにする彼女の腕を掴み、強引に海岸へ向けて歩く。
人気のない夜の駐車場で、車の中で何をしているのかは知らないが、駐車場に停まっていた小刻みに振動している車から彼女を引き離す。
どうやら我らが女王様はお気づきではない様子。
陽代美の教育上よろしくないと俺は判断した。
そして、砂浜に入る手前にある堤防まで来て、後方にある車との距離を確認する。
これぐらい離れていれば問題はないだろう。
「キク、どうしたの?」
「あ、ごめん。腕、痛かったか?」
「ううん、大丈夫。それに私は今、キクに誘拐されてるんだから」
「あのな……」
「誘拐っていいね、なんかワクワクした」
「冗談でもやめてくれ」
陽代美の腕を離し、軽口を言いつつ二人で堤防に腰かける。
目の前には夜の海が拡がっている。暗い水面が揺れ、満月に近い少し欠けた月が辺りを照らす。街中ではお目にかかれない星々も、今夜は綺麗に夜空を彩っている。
「ねえ、キク」
「うん?」
「こうやって二人だけで落ち着いて話すの、久しぶりだね」
「そうだっけ?」
「そうだよ。ツーリングに行った時以来じゃない?」
「張り込みをしていた時も二人だったと思うが」
「あれは仕方なくだよ。でも、今はなにもないよ」
言われてみればそうだ。
これといった目的もなく、陽代美と二人でいるのは久しぶりだ。
そして、海を眺めつつ二人で他愛のない雑談をする。
「陽代美のお爺さんって漁師なんだ」
「うん。張り込みの時に一緒に行った定食屋、覚えてる?」
「ああ、じゃこ飯を食べに行った店だよな」
「あのお店にね、おじいちゃんが捕った魚を卸してるんだって」
「なるほどな。魚料理が中心だったのはそのためか」
月夜に照らされる彼女の横顔は、とても穏やかだった。そして彼女は長い髪をくるくると指に絡めたりしている。
そして彼女との会話の端々にも退屈さは感じられない。どうやら、我らが女王様の退屈は解消されたようだ。
「キク、手、見せて」
唐突に陽代美から要求され、左手を差し出す。
こんな暗い中、手相でも見るのかと思っていたら、彼女は俺の手を両手で掴みぐにぐにと触り始めた。
「マッサージでもしてくれるのか?」
「ううん、キクの手って大きいなって思って。ほら、私の手の一回りは大きいよ」
そうして彼女の小振りな手と俺の手が重なる。
彼女の指は細く、お互いにバイク用のグローブをつけていた影響か、少し湿った手が密着する。
そして、彼女の細い指が俺の指の隙間に滑り込み一方的に捕まれる。いわゆる恋人つなぎの状態になり、緊張をしてしまう。
今夜の女王様はどこかおかしい。
指を絡ませたあとも、俺の手は解放されず、再び彼女の手に弄ばれる。
「キクの手、なんか分厚いよね。なんでかな?」
「さ、さあ。自分ではわからないが……そろそろ放してくれないか?」
「どうして?」
「その……少し恥ずかしいのだが」
「キク、恥ずかしいの?」
「う、うむ」
「フフッ、そっか」
抵抗むなしく、俺の左手は彼女の両手に包まれたまま、ぐにぐにと筋肉の状態を確かめるようにいじられる。
俺の手を触ってなにが楽しいのやら。それでも彼女が笑みを浮かべているのを確認し、俺は海を眺める。陽代美が笑ってくれるのであれば、俺の手が犠牲になるのも致し方なしである。
「キク、今から変なこと言うね」
「ん?」
「私、今世界で一番幸せかも」
「それは、随分と大げさだな」
「うん、でもいいの」
人による幸せの尺度は様々である。
美味しいご飯を食べて幸せを感じる人もいれば、巨万の富に囲われながらも幸せを感じない人もいる。
彼女が俺の手を弄んで幸せと言うのであれば、コストパフォーマンスに優れた幸せなのだなと思う。
そして、ようやく左手を解放され、再び夜の海と空を二人で眺める。
「キクは夏休みに、バイクでどこかに出かける予定はあるの?」
「いや、夏の昼間は暑いから、バイクで出かけるとしたら、秋頃にソロキャンプでもしようかと考えている」
「秋? 夏じゃなくて?」
「ああ、夏のキャンプ場は人も多いいし、虫も少ない秋ごろがいいかなと思ってさ。父ちゃんがキャンプ道具を持ってるから、借りて行こうかなって」
「キャンプかあ、いいなあ……ねえ、その秋のキャンプ、私も一緒にいっちゃダメ?」
「陽代美も?」
「うん、道具とかもそれまでに揃えたら一緒に行っていい?」
「それは、構わないが……」
「じゃあ約束ね。秋になったら二人でキャンプ」
「ああ、わかった」
安請け合いをしてしまった。
二人分のキャンプ道具となると、そこそこの積載量になる。バイクに取り付けるサイドバッグの購入を検討する必要がある。しかし、まだ数ヶ月先の予定なため、のんびりとあれこれ考えるとしよう。
そこで、駐車場に目を向ければ先ほどの車は姿を消していた。時間もいい具合に経過し、そろそろ頃合いだろう。
「そろそろ帰ろうか」
二人で立ち上がり、駐車場に停めてあるバイクへ向かう。
ヘルメットを被りグローブの具合を確認してバイクに跨り、陽代美がその後に続きバイクに搭乗する。
だが、
『ギュウウウウ』
陽代美が俺の腹部に抱きついてきた。
ここへ来るまでは、正しい搭乗姿勢ができていたはずの陽代美が急に悪い子になってしまった。
お互いにプロテクター入りのジャケットを着ているため、彼女の女性的な柔らかさを感じることはなく、プロテクター同士がぶつかり合い、若干の痛みを感じつつ彼女に苦言を呈す。
「陽代美、わざとやってるだろ?」
「うん……わざとやってる」
「そんなに帰りたくないのか?」
「……うん」
困った。
このままでは、俺が本当に誘拐犯になりかねない。だが、陽代美はまだ義父の実家に帰りたくはないようだ。
思考を巡らせる。が、そこまで難しい話でもないのだ。
「陽代美は、母親とは仲がいいのか?」
「え? 普通だと思うけど」
「それなら母親の携帯に『夜のお散歩中です。あと少しすれば帰ります』とでもメッセージを送っておいてくれ」
「うん……わかった」
彼女は俺の要請に素直に応え、腹部からは手を離し携帯の操作を始める。
俺はこれから向かう道を、駐車場に設置されていた簡易的な地図を遠目に確認した。
「送ったよ」
後顧の憂いは絶った。
これでもう少しの間は大丈夫だろう。
「実はこの辺り、近場のライダーからは有名なツーリングスポットでもあるんだ」
「そう、なの?」
「ああ、アップダウンがあって、この先は信号がほとんどなくて走りやすい道だと昔バイク屋で聞いたことがある」
「うん?」
「だけど問題があってな、普段この道は観光客や海水浴の人で溢れかえっていて、車の通りが多くてさ。それに海沿いで風も強い日が多くて、なかなか走りに行こうとは思えなかったんだ」
「……」
「だがしかし、今はほとんど車も走っていないし、風も弱い、さらには月も出ていて視界も良好。つまり心地よく走りやすい環境だと言える」
「キク……」
「ナイトツーリング、付き合ってもらえるか?」
「うんっ」
夜のお散歩延長だ。
彼女が肩に手を置いたのを確認してエンジンを掛ける。
本音を言えば、俺が走ってみたかった場所だ。少しの間、我らが女王様にはお付き合いしていただこう。
道に出てアクセルを開いていく。
月とバイクのライトが照らす道路を、俺と陽代美を乗せた二輪は夜遅くまで駆け抜けていった。




