表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
思春期スイッチ  作者: せせり
タマゴ
23/26

4

 もうすぐ二月になる。母のブログはずっと更新がない。イケメンが買い物に来なくなったのかもしれない。

 毎日、ひどく寒い。登校中、道路のあちこちにうすい氷が張ってて、うっかりすべってしまわないように気をつけなければいけなかった。

「もうすぐあたしたちも受験生だね」

 ほのかがしんみりと言う。

 ホームルームで、担任に配られた「進路希望調査」。提出期限は明日。

「唯ちゃんも茅野さんも、若葉台?」

「ほのかも、だよね」

 唯が返すと、ほのかは「うん」と笑った。

 高校再編が進み、この町の中学生が進む学校はかぎられている。選択肢がないのだ。みな、普通科ならば最寄の若葉台高校へ進む。私立は遠方にしかないから、行くなら学費だけでなく交通費や下宿代などもいるし、経済的なハードルが高い。いっぽう、となりの市にある公立普通科高校は、学力的なハードルが高い。商業高校と工業高校もあったが、何年も定員割れがつづき、廃校となった。

 たぶん哲也と蒼も若葉台を受けるだろう。ふたりとも陸上の成績は悪くないようだけど、私立からスポーツ推薦の話が来るほどではないはずだ。

 三年生になっても、高校生になっても。今のみんなのまま、変わらずにいられますように。そう願わずにはいられない。その先のことはわからない。将来なにになりたいか、何を生業に生きていくのか、そんなことはまだ、唯には見えない。考えられない。

 窓の向こうに見える空は、どんよりと曇っていた。雨が降るかもな、と思った。

 だけど、降ったのは雨じゃなくて雪だった。昼休みにはちらほら舞い始め、帰りには、視界いちめんが白い綿毛のような雪で覆われるほどになった。

 ニュースで「この冬いちばんの冷え込みです」と気象予報士が告げている。ソファに座ってテレビを眺めていた母が、ぽつりと「積もるかもね」と言った。無視した。

 母に「うざい」と言ったあの日から、会話をしていない。

 お父さんがいればいいのに、と思う。お父さんと一緒に暮らせたら。あの、のんびりした口調で、「なーに喧嘩してんだ」とか「反抗期か?」とか言って。おおらかに笑ってくれたなら。お母さんだってきっともう、妄想恋愛なんて妙なことしない。

 夕ごはんの後、傘をさして外へ出た。凍えるような夜。堤防まで歩いて、海に降る雪を見ていた。

 波の音がする。時がとまったような静けさのなかで、それでも波は寄せて、引く。

 翌日の早朝。雪は積もり、カーテンを引くとまばゆいばかりの白い世界が目にとびこんできた。そして、電話が鳴った。

「はい、石田です。……ええ、主人ですが。……え?」

 コードレスの子機を持つ母の声色がかわった。

「病院に? 救急搬送? え、手術? 待ってくださ……、え? ええ?」

 お父さん、が?

 全身の血が、すうっと引いていく。自分の足がふるえているのに気づく。

 お父さん。お父さんが、病院に運ばれた?


 週末。母の運転で、父のいる県北の町へ向かう。県境に近いところで、唯の町からはひたすら遠い。

「命にかかわるような病気じゃなくて、よかった」

 そう言いつつも、ハンドルをにぎりしめる母の顔はこころなしかこわばっている。

 雪が降った日の深夜、父は激痛を訴えて搬送された。尿路結石だそうだ。石が大きく手術が必要だそうで、五日ほど入院することになったらしい。

「男の人には多いらしいの。すっごく痛いんだって。うちの社員の藤田さんのご主人も、なったことあるんですって」

 視線の先にある信号が黄色に変わり、母はゆっくりとブレーキを踏みはじめた。

 父の病院までの長い長い道のりを、唯は、ほとんど無言でやりすごす。母のことばは耳に入ってくるけど、脳まで到達しなくて、なかなか意味をかみしめられずにいる。

 病気については、自分でもネットで調べた。ありえないほどの激痛があるらしい。父が深夜ひとりで耐えるすがたを想像すると胸がつまる。それに。

 適切な処置をすれば、死にいたることはないし、すぐに以前の生活にもどれる。それはわかっているけど。早朝の電話での母の慌てようや、搬送、激痛、手術、などの不穏な単語が耳に入ったときの、心臓が止まるような感覚が、まだ、なまなましく唯の中に残っているのだ。

 とにかく早く父の顔が見たい。

「じれったい。こんなに離れているのが。いくら大丈夫だって聞いても、実際に様子を見るまでは安心できないじゃない?」

 ぺらぺらとひっきりなしにしゃべりつづける母も、唯と同じ気持ちのようだ。

 午前中に家を出たのに、病院に着いたのは夕方近くだった。

 いちもくさんに父の病室に向かい、ベッドに横たわる父の顔を見たとたん、唯の目から涙がこぼれた。父は顔をくしゃっと歪ませてほほ笑むと、大きな手で、唯の頭を撫でた。だけどやっぱりいつもと違ってしんどそうで、点滴の管も刺さっていて、胸が痛む。

 あとからあとから、涙はあふれてとまらない。

――お父さん、ひとりでこわかったね。痛かったね。ごめんね、あたしもお母さんも、力になってあげられなかった。


 その日の晩、唯と母は父の暮らすアパートに泊まった。

 母は無言で、書類や教材やらでごちゃごちゃと散らかったせまい部屋を片付けていた。

 冷蔵庫にはしなびた野菜と缶ビールがあるだけで、夕食は弁当を買ってきて食べた。

 単身赴任する前、父はよく休日に料理をふるまっていたのに、忙しいのか面倒くさいのか、ひとり暮らすこの家ではほとんど何もつくっていないようだ。

 六畳間にふたつ布団を敷いて、母のとなりに横になる。母には背中を向けて、掛布団を頭からかぶる。かちこちと、掛け時計の秒針の音が、このわびしい部屋にひびきわたる。

「唯、もう、寝た……?」

 くぐもった母の声。ねむれない、と返す。

「お母さんも、眠れないの」

 鼻をすする音。ひどく冷える夜だ。

「あのね、唯。お母さん、ずっと考えてることがあって。お父さんが倒れたって聞いてから、ずっと」

 ぼそぼそと、母は、話をはじめた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ