第23話:若杉山の赤
車は那賀町の山間部へと入り、やがて舗装もまばらな林道へと差し掛かった。
「もうすぐだ。この先に、若杉山の登山口がある」
名方がハンドルを切りながら言うと、後部座席の里奈が窓の外を覗き込んだ。
「思ったより、山深かとこね」
「ああ。だが、ここが日本の古代史を語る上で、決して無視できない場所なんだ」
車を停め、三人は徒歩で山道を登り始めた。木々の隙間から差し込む夏の日差しが、地面に複雑な影を落としている。
「名方さん、若杉山って、具体的にどんな遺跡なんですか?」
美藍が息を弾ませながら尋ねると、名方は淡々と説明を始めた。
「弥生時代から古墳時代にかけての、辰砂の採掘遺跡だ。辰砂っていうのは、水銀朱の原料になる鉱石でな。ここは、国内で確認されている弥生時代の採掘遺跡としては、唯一にして最古級のものなんだ」
「唯一? 他には無いんですか?」
「今のところ、発見されていない。つまり、当時の日本列島の中で、辰砂を組織的に掘り出す技術を持っていたのは、この阿波の集団だけだったということになる」
里奈が興味深そうに口を挟んだ。
「辰砂って、確か古墳の石室とか、棺の内部に塗られとったやつよね。魔除けとか、防腐の意味で」
「その通り。畿内の古墳から出土する大量の水銀朱、あれの少なくとも一部は、この若杉山産だという分析結果が出ている」
三人は登山道を進みながら、やがて開けた採掘跡地に辿り着いた。赤みを帯びた岩肌があちこちに露出し、当時の採掘の痕跡と思われる窪みが、地面のそこかしこに残っている。
「うわぁ……」
美藍は目の前の光景に、思わず息を呑んだ。
「これが、二千年近く前に、人の手で掘られた跡……」
赤茶けた岩肌に触れながら、美藍は静かに呟いた。土に混じって、ところどころ、鮮やかな赤色の鉱石の欠片が顔を覗かせている。
「里奈、これ見て。この赤、本当に綺麗な色してる」
「本当ね……。まるで、血みたいな色」
三人はしばらくの間、無言でその光景を眺めていた。夏の蝉の声が、周囲の山々に反響している。
「名方さん」
美藍が静かに口を開いた。
「これだけの規模の採掘技術、弥生時代の阿波に、本当に独自に存在してたんでしょうか。それとも……」
「それとも?」
「もっと、外から来た技術だったのかもしれない、って」
美藍は赤い岩肌を見つめながら、続けた。
「ソロモン王の伝説に、莫大な富を生み出した隠し鉱山の話がありますよね。あれと同じような、高度な採掘・精錬技術を持った集団が、海を渡ってここに辿り着いたとしたら……」
「また、突拍子もない話を始めたわね」
里奈が苦笑しながら口を挟んだが、その口調には、頭ごなしの否定はなかった。
「でも、正直に言うと……。この規模の遺跡が、他に類を見ない形でここにだけ存在してるっていうのは、確かに気になる話ではあるとよ。純粋に、考古学的な視点から見ても」
「里奈もそう思う?」
「思う、というより、"なぜここだけなのか"っていう問いは、ちゃんと立てる価値があるってこと。答えがユダヤの技術者集団かどうかは、また別の話やけど」
美藍は嬉しそうに頷いた。
「うん、それでいい。まずは、ちゃんと"なぜ"を問い続けること。それが第一歩だもんね」
三人は採掘跡地を離れ、さらに山を登っていった。眼下に広がる那賀町の緑濃い山並みを見渡しながら、美藍は改めて、ノートにこの日の記録を書き加えていった。
「若杉山:国内唯一・最古級の弥生辰砂採掘遺跡。畿内の水銀朱の少なくとも一部の供給源。政治の都(奈良)の前に、資源の故郷(阿波)があった、という説の最も硬い物証」
書き終えたところで、美藍はふと顔を上げ、遠くの山々に視線を移した。その向こうに、剣山の稜線が、うっすらと霞んで見えていた。




