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「ねえ。王太子がわたしに惚れやすいはずって話だったけど」
上級生に案内された寮の自室。
実力主義の学校でトップレベルの実力を示したララウィンの部屋は広く、最高級クローゼットは魔術収納で容量無制限、ベッドはキングサイズだ。
柔らかな絨毯に座ってトランクケースを広げたララウィンは、ベッドへと視線を送る。
ひとり部屋で、まだ自室に招くような友人もできていないララウィンだが、そこには本を読む青年が腰かけていた。
明かりに照らされると紫に見える髪。明かりがあっても、ひたすらに黒く底のない瞳。体はしっかり大人の男の人だが、顔立ちはまだあどけなさが残っている。
上に見積もれば20代前半。下に見積もれば学校の先輩を名乗っても問題ないだろう。ただし背中からはコウモリのような羽が生えているため、人間である学校の先輩たちと見間違えられることはないはずだ。
「わたしも攻略対象者に惚れやすいとか……あると思う?」
ララウィンが尋ねると、文字を追っていた真っ黒な目がこちらを向いた。
「お前の魂とその体の元の魂は、まったくの別物だ。感情がリンクすることはない……はず」
甘やかなテノール——その声は、ララウィンの頭のなかで度々響くものと同じであった。
「じゃあ、もしかして……あんなにドキドキしたのは、ムードのせい?」
さらに重ねられた問い。青年は眉根を寄せ、あからさまに不機嫌そうな顔をした。
「王太子にたぶらかされたのは、オレじゃない」
「わたしだって、あんなにチョロくない。ちょっと綺麗な見た目してて、本物の王子様で、優しくされたからって……」
「12で死んだお前は、どうせ男と付き合った経験もないんだろう。免疫のないお前が容易く堕ちたとしても不思議じゃない」
「12じゃなくて13歳。悪魔のあなただって、人から優しくされた経験ないんでしょ。免疫ないんだからドキドキしたって不思議じゃない」
ララウィンと青年は睨み合う。
根負けしたのは青年だった。苛立たしげに羽を上下に動かしてから、本へと視線を落とす。
——青年は、悪魔である。愛称はムード。本名は長すぎて、本人が口に出すのを嫌っているし、一度聞いたことがあるララウィンももう覚えていない。
悪魔がこわくないのかと問われたら、ララウィンは『ムードをこわがるなんてありえない』と答えるだろう。
14年以上の付き合いだ。そのうえムードは、悪魔としての力をほとんど失っている。
現在の彼にできることと言えば、ただの人間とさほど変わらない。強いて挙げるなら、空を飛べることと、一方通行ではあるがララウィンの頭のなかに直接語りかけられること。そして、ネコのぬいぐるみに変身できることくらいだろうか。教室でララウィンが膝上に乗せていたものこそが、ぬいぐるみ形態のムードである。
かつては世界を滅ぼす大悪魔とも恐れられていたという彼。なぜいまは少女との睨み合いに根負けするような事態になっているのか————それはひとえに、一度死んだからである。
「……絶対にオレじゃない。自分を殺した男に好意を抱けるほど狂っているように見えるか?」
本を見つめたままのムードに、ララウィンも荷物整理をしながら答える。
「……狂ってはいるんじゃない? 自分を殺した男を惚れさせようとしてるんだから」
大悪魔を討伐せしめしセストセール殿下——そう謳われる時代は、ムードにとっての過去で、ララウィンにとっての未来だ。
ララウィンとムードが出会ったのは、ララウィンがまだ母親の胎内にいたころ。さらに言えば、ララウィンの現在の魂が13歳の肉体を失った直後であり、ムードの魂が別世界軸の肉体を失った直後である。
ララウィンは過去、日本生まれの日本育ち、中学校に通う女生徒だった。不運な交通事故で死ぬまでは、ごくごく普通の人間だった。
それがなにやら奇妙な縁あって、生まれる寸前の胎児の体を乗っ取り、勝手に悪魔の契約者——悪魔と命を共有する、まさしくムードの運命共同体としての道を歩むことになっていた。
「とにかく、オレたちの目標は王太子とその取り巻き——女神のしもべどもを籠絡して生き延びることだ。間違っても籠絡されるなよ」
「そっちこそ。何年あなたに躾けられて魔術と知識を磨いてきたと思ってるの。わたしの努力、無駄にしないでよね」
「……その小賢しくてかわいげのない口も、どうにか矯正しておくべきだったかな」
「残念でした。あなたの影響でこうなってるんだから、あなたが近くにいる限り無理な話よ。このかわいげのない口のせいで王太子に嫌われたら、あなたのせいだからね」
——ずきん、と胸が痛んだ気がした。
なぜ、と考えるより先に、己で吐いた『王太子に嫌われたら』という言葉のせいだと自覚する。
ララウィンが思わずムードを見ると、ムードもわずかに目を丸くして、自分の胸に手を当てていた。
気まずい沈黙が部屋を支配する。
ララウィンとムード、ふたりが先ほどから妙な口論をしている理由がこれだ。互いの命を共有し、魂を重ねているせいで、互いに互いの心の影響を受けやすいのである。
ララウィンが楽しいと感じればムードの気分も上向き、ムードが殺意を抱けばララウィンも思わず魔術を行使しそうになる。そして、どちらかが王太子に好意を抱けば、もう片方も好意を抱くというわけだ。
どちらが先に好意を抱いたのか——それはもはや重要ではない。『王太子に嫌われたら』と想像するだけで胸が痛むほど、すでにどちらも好意を抱いてしまっているのだから。
「……ねえ。この籠絡作戦、本当に大丈夫なのよね……?」
不安のにじむララウィンの声には、だれも答えてくれなかった。
◇
『いいか。オレたちの性格は、人間に好かれるものじゃない。機嫌が乱高下しやすく、暴力的で、衝動的で、自己中心的。嫌われない方がおかしい』
学校生活初めての夕食。寮の食堂に足を踏み入れるなり、ララウィンの抱くネコのぬいぐるみが、ララウィンの脳内に話しかけてきた。
『だから素の性格はできる限り隠して接触するんだ。すべてはお前の演技にかかっている。その顔面を最大限活用しろ。……おい、ちゃんと聞いてるのか?』
ララウィンは軽く顎を引いて、他人からは気づかれない程度の頷きを示す。
さっと見渡した食堂は、日本の感覚で言うと食券式だった。席はフリー。早い者勝ちだ。
入り口横に並べられていたメニューカードのなかから手早くグラタンのセットを選び取ったララウィンは、奥へと歩みを進める。
セストセールはすぐに見つかった。オーラ、とでも言うのだろうか。とにかく目を引くのだ。
しかし、彼の周りの席はすでに埋まっている。セストセールに接触する気満々だったララウィンは、どうしたものか、と立ち止まってしまった。
『お前が荷解きなんぞに時間をかけるからだ』
うるさい、という抗議のため、ララウィンはぬいぐるみを抱く腕に力を込める。「うっ」とぬいぐるみの口から直接呻き声が漏れたが、すぐに『やめろ』という脳内に響く声に切り替わった。
『……王太子が無理なら仕方がない。ほかを狙うか。攻略対象者の特徴は教えただろう。探せ』
——そう言われても。
ララウィンは、以前ムードから聞いたこの世界の情報——乙女ゲームの内容を記憶の棚から引っ張り出す。
肉体を失う寸前、油断した世界管理者——女神とやらからムードが辛うじて掠め取った【データ】によると、攻略対象者は少なくとも四人。
女神の愛し子である『ララウィン・アートブレス』は学校に入学し、彼らと絆を深めることになる。絆の深さに応じた分配で、対象者へと女神の力を譲渡し、そうしてできあがった女神のしもべ一行は大悪魔を討伐。無事に世界の平和は守られる——そういうストーリーが、この世界の基盤であるらしい。
ムードが得られた【データ】は、それだけ。
実際に相対した女神のしもべ一行の顔は知っているけれど、名前はあやふや。命は共有していても記憶を共有しているわけではないララウィンは、顔すら知らないのだ。
せめて前世で乙女ゲームを嗜んでいれば、と後悔している。そういう恋愛要素のあるソシャゲなら、うっすら触ったことがある程度。自分——主人公である『ララウィン・アートブレス』の容姿は、広告イラストかなにかで見たことがあるような、ないような……という具合で、攻略対象者のことなどほとんど把握できていない。
『まさか忘れたのか? ひとりは茶髪で、ひとりは赤髪……いや、赤よりもう少し明るかったか……? で、あとは背の高い黒髪。学校入学時から絆を深めることが定められているなら、王太子以外のやつももうここにいるはずなんだ』
それっぽっちの情報で人探しができたら苦労しない。特徴とも言えない特徴を挙げられても、当然ララウィンは立ち尽くすしかなかった。
セストセールだけは王太子で肖像画も出回っているから、顔と名前がすぐに一致したが……これでは先が思いやられる。
あまり長く立ち止まっていても不自然だ。今日のところは適当な空席に座るか——と考えていたララウィンに声がかかった。
「ミス・アートブレス! よかったらお隣どうぞ!」
黒髪に、ピンク色の瞳。幼く見える少女だ。
学内では、ネクタイとローブで学年とクラスの見分けがつく。ララウィンの学年はネクタイが赤。最優秀クラスのローブは裾にゴールドライン。
顔も名前も知らない女生徒だが、同じクラスであることだけはわかった。
にこにこと笑っている活発そうな少女に若干怖気づきつつ、それでも無視するわけにはいかないので、ララウィンは背筋を伸ばして彼女に近づく。
「いいの? わたし、あなたの名前もまだ覚えていないのだけど」
「ふっふっふー、主席さんもまだまだだね。あたしはクラスメイトの名前、もうばっちりだよ」
得意げに胸を張った彼女は、ララウィンの目をまっすぐに見つめて手を差し出す。
「モルモ・ハーティ。モルモでいいよ。よろしくね!」
「ララウィン・アートブレスよ。……わたしも、ララウィンって呼んでちょうだい。よろしく」
そろそろと手を握り返せば、そのまま引っ張るようにして着席を促される。
ララウィンは抵抗することなく腰を下ろし、膝にぬいぐるみを抱えた。杖はテーブルに立てかけ、メニューカードはモルモに倣ってテーブル中央付近に置く。
「その子、ずっと気になってたの」
モルモがムードを指さした。
まあ、14歳にもなる人間がぬいぐるみを抱え歩いていたら、気にならないわけがないだろう。ララウィンは予め用意しておいた答えを口にする。
「魔術人形なの。一応、わたしのお手製」
「えっ、うそ! すごい!」
思惑通り、目を輝かせて食いついてくれた。周囲の生徒も、興味深そうにこちらを見ている。
「まだまだ拙くて……抱えていないと、魔力がうまく浸透しないの。この子を完璧に仕上げるのが、この学校での第一目標。いまできるのは、これくらいよ」
ララウィンが言い終わるのと同時に、ぬいぐるみがひとりでに立ち上がる。そして、ぴょんとテーブルに飛び乗り、モルモへと手を差し出した。
「わ、わ、握手? 触っていいの?」
「乱暴にしないなら。名前はムード」
「かわいいお名前! よろしくね、ムードちゃん!」
『……そういう設定とはいえ、殺したくなるな』
モルモと握手を交わしたムードは、すぐさま手を引っ込めて、ララウィンの膝に戻ってくる。
ピンク色の瞳は、なおも輝き続けている。
「本当にすごい……! まだなにも習ってないのにここまでできるなんて……ますます仲良くしたくなっちゃった!」
「……わたしと仲良く、ね。噂、聞いてないの?」
「生まれがどうとかって噂?」
あっけらかんとした顔で言われて、ララウィンの方が面食らう。
「もちろん聞いてるけど……でもあたし、この学校に通うからには、学業に全力投球するって決めてるんだよね。勉強を教えてくれる友達は、あたしより優秀な方がいいに決まってると思わない?」
にんまりとモルモの口角が持ち上がる。よく表情が変わる子だ。けれどその変化は、素直な感情表現に基づくものというわけでもないらしい。
明るくて、親しみやすくて、しかしながら打算的。——そういう性格は、嫌いじゃない。
「あっ」
モルモの表情がまた変わる。目を瞬かせて彼女が興味深そうに見つめる先は、メニューカードだ。
カードがランチョンマットに変身し、かと思えば一拍後には湯気の立つ食事がマットの上にお行儀よく置かれていた。
「おお~、変形魔術と移動魔術の応用かなぁ? あ、ララウィンもグラタン選んだんだ!」
眼前には、全く同じグラタンセットがふたつ、仲良く並んでいる。
「もしかしてあたしたち、すっごく気が合うんじゃない? ねっ、ぜひぜひ卒業まで仲良くしてくださいな!」
『一応言っておくが、こいつを籠絡しても意味ないぞ』
ムードから空気の読めない横槍が入る。悪魔には、学校生活における友人の重要性がわからないのだろう。
ララウィンはムードを無視して、モルモへと微笑んだ。
「ふふ。卒業までなら、よろこんで」
あえて『まで』を強調したことに、彼女は気づいただろうか。
前回ムードが殺されたのは、セストセールが三年生のとき。
ララウィンが卒業するまで生きていられるかどうか——それは、籠絡作戦が成功するか否か、運命共同体のムードが今回も殺されてしまうか否かにかかっている。




