1
「あの新入生代表、妾の子なんだって」
「えーっ、ホント? じゃあ、ファミリーネームは公爵家だけど……」
「そうそう。お近づきになりすぎちゃうのも、ね」
くすくすと女の子たちの笑い声が聞こえた。
ララウィンは表情を崩さぬまま、心のうちで舌を出す。
『新入生代表ララウィン・アートブレス』——その響きは心地よく、気に入っていたのだが……どうやら初日から不愉快な噂を広める効力を持っていたようだ。
ベルデ魔術師養成校。ララウィンは本日めでたく、国一番の難関魔術校に入学した。
家からほとんど出たことのないララウィンにとって、周りは見知らぬ人間ばかり。式での代表挨拶を任されたこともあって、朝からずっと緊張しっぱなしだ。
そのせいか、いつになく周囲の様子を警戒してしまって、余計な話も耳に入ってくる。
「殿下を抑えて主席だろ。才能はちゃんと父親譲りなんだな」
「プライドも父親譲りなんじゃないか? 見ろよ、あの杖」
男子の嘲笑を受け、ララウィンはデスクに立てかけている己の杖にそっと視線を向ける。
学校に通えると判明してから、唯一父親にねだった物品だ。
真っ白で、先端から星のような煌めきが絶えずこぼれる、綺麗な杖。——そして、ララウィンの身長よりも頭ひとつぶん長い杖だ。
杖は、魔術師の必需品。これがあるのとないのとでは魔術の扱いやすさが段違いなうえ、とても優れた魔力タンクにもなってくれるのだ。それ故、杖は長ければ長いほど魔力を貯蔵でき、質がいいとされている。
けれど当然ながら、長ければ長いほど邪魔で扱いにくくなるものだ。現代魔術社会において、『杖は己の身長程度の長さがよい』というのが定石となっている。
そしてそこから解釈が少しばかり捻じれ、ここ数年では杖が身長より長いと『見栄っ張り』『みっともない』という見方をされることも少なくない。
14歳——今年15歳になるララウィンの身長は、ここから劇的に伸びることはないだろう。杖がララウィンの身長より短くなる未来は、きっと来ない。
それでも、どうしてもこの杖がよかったのだ。杖屋で一目惚れした、美しき造形。
「このよさがわからないなんて……」
自分だけなら悪く言われても無表情を貫けただろう。しかし、杖という名の相棒を、揶揄の道具にされるのは我慢ならない。
ララウィンが杖を見つめたまま呟いた声は、どうやら男子生徒にも届いたようだ。
「へえ。アートブレス公爵令嬢サマにおかれましては、随分とご自分の目に自信があるらしい。ニ十センチの差も見えていないくせにな?」
杖を握った男子生徒が、おもむろに立ち上がる。
ララウィンの手も杖に伸びた。——しかし、指先が杖に触れるより早く、ララウィンの頭のなかで声が響いた。
『入学早々、暴力沙汰か? おもしろい見世物ではあるが、退学にでもなったらどうするんだ』
甘やかなテノール。言っている内容はともかく、聞き心地のいい発音、聞き心地のいい声だ。
ララウィンは思わず、ぴたりと動きを止める。
『目的を忘れてもらっちゃ困る。虫ケラなんぞの言葉に煽られるな』
不自然に固まっているララウィンなど気にしていないのか、あるいは気づいていないのか。男子生徒は座っているララウィンを見下ろして、杖を掲げた。
「身の程を弁えろ。殿下に楯突く出しゃばりめ!」
悪意を持った魔力——それを感知したララウィンは、止めていた手をすばやく滑らせ、杖に触れた。
男子生徒の杖から放たれたのは、レベルの低い火焔球。狙いは、ララウィンの膝上だ。
紫色の、ネコのぬいぐるみ。杖が相棒であるならば、こちらは運命共同体とでも呼ぶべきだろうか。
ララウィンにとって、なによりも大事な存在。火焔球はそれに当たる直前で透明の板に阻まれ、解け消えた。というより、ララウィンが消した。
「……ふん。腐っても主席か。その幼稚で気味の悪い人形を燃やしてやろうと思ったんだがな」
『よし。殺そう』
またしても頭に声が響く。同時に、ララウィンの胸中に広がったのは——蠱惑的な殺意。
ララウィンは男子生徒をゆるりと見上げた。
『目的』を忘れ、視界がその人間だけになる。
人間ひとりにつき、ひと呼吸。それだけの労力で、ララウィンは人間を殺せる。
けれど、男子生徒にとっては幸運にも——そしてララウィンたちにとっても幸運なことに、両者の間に割り込む影があった。
「ふたりとも、杖から手を離して」
ひとつに束ねて肩へと流した金髪。特徴的な赤い瞳。目が離せなくなるほど整っている横顔。
その姿を見て、ララウィンは『目的』を思い出した。急速に殺意が縮んでいく。
「上級生が迎えにくるまで、おとなしく待機だと言われていただろう。おとなしくの意味、わかるよね?」
柔らかく細められた赤目に見つめられる。ララウィンは小さくなって、デスクに杖を立てかけた。
「ご、ごめんなさい……セストセール王太子殿下」
囁くようにララウィンが彼の名を呼ぶと、『よくできました』と言わんばかりに頬が緩められる。
「せっかくクラスメイトになったのだから、ぜひセスと呼んで。私を仰々しく扱う必要はないよ。……ララウィン、と呼んでも?」
「は、はい……」
「清麗で魅力的な杖だ。ぬいぐるみも細やかな手入れが行き届いていて……とても大事にしているんだね」
そちらの方こそ、と言いたくなる清麗で魅力的な微笑み。
ララウィンの胸が高鳴った。頭のなかでは『うぉわ』と動揺の声が広がる。
「ララウィンが丁寧に物を扱う子だとよくわかる。私は好ましく思うよ」
——え、うそ。口説かれてる?
頬が熱くなる。どう反応したものかわからず、ララウィンは膝上のぬいぐるみを抱きしめた。
『い、いまのはそういう好ましいじゃないからな!? 勘違いするなよ! ——勘違いするなよ!?』
心なしか、ぬいぐるみが震えているような気がする。頭に響く声も、ララウィンへの忠告というより、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。
明らかな挙動不審に陥ってしまっているララウィンに、セストセールは笑みを深める。そして次に、まだ杖を握ったままの男子生徒へと視線を送った。
「きみはどう? 彼女に言うべきことがあるんじゃないかな」
「うっ……いえ、お、俺は……殿下のために……」
「私にではなく、彼女——ララウィンに言うべきこと、だよ」
「………………すみませんでした」
それは果たして、本当にララウィンに向けた言葉だったのか。判断はつかなかったが、ララウィンはとりあえず頷いて受け入れてみせた。
悔しそうな顔をして離れていく男子生徒には、もう興味がない。殺す気もない。
それよりも——それよりも、だ。ララウィンは好感度を稼がなくてはならない。セストセール王太子殿下の好感度。それこそが、ララウィンたちの『目的』を果たすために最も重要なものなのだから。
「でん————えっと……セス」
「うん?」
セストセールが小首を傾げる。艶やかな金髪が肩を滑る。
そんな些細な動きにすら反応しようとする心臓を抑えつけて、ララウィンは渾身の笑顔を作った。
「ありがとう。あなたみたいな優しい人とクラスメイトになれて、すごく嬉しい」
セストセールの目がわずかに見開かれる。
どこからから、「かわいい」という声が聞こえた。
——それはそうだろう。
言葉にも表情にも出さず、ララウィンは得意げになる。
己の一番の長所はなにか、と問われれば、ララウィンは迷いなく『顔』と答えるだろう。外見には絶対の自信がある。笑顔なんて格別に決まっている。
目鼻立ちははっきりとしていて、完璧な左右対称。肌も髪もまつ毛も真っ白。目だけが鮮烈なバイオレット。まるで妖精か天使のよう、と言われたこともある。
見た目だけで公爵家当主を籠絡した母親の血を存分に引いていて——これは最悪なことでもあるが、実の父親からすら貞操を狙われるほどの可憐さなのだ。
そして、きっとセストセール王太子殿下はこの顔を好きになる、という確信があった。
なにせ、『ララウィン・アートブレス』は乙女ゲームの主人公で、『セストセール・ライフベルデ』は攻略対象者であるらしいのだから。




