17
「ララウィン・アートブレス、モルモ・ハーティ。前へ!」
教師に名を呼ばれたララウィンは、席を立った。ムードをデスクに置き、代わりに杖を手に取る。
教室前方の開けた空間は、教師が魔術で拡張し作り上げたステージだ。段差をあがり、ララウィンがステージの右端で足を止めると、モルモは逆の左端で足を止めた。
「さあ、杖を構えて! 準備はいいですか?」
ララウィンは両手で杖を握りしめる。対面のモルモも、杖をぎゅっと——少し力を込めすぎじゃないかと思うくらい握りしめている。彼女の瞳と同じピンク色の杖から、軋むような音が聞こえてきそうだ。
「——始め!」
先手はララウィン。まずは軽く、とモルモの足と床を凍らせて接着させた。
「わ、わっ」
後手に回ったモルモは、反射的に足を動かそうとしてバランスを崩し、しかしなんとか膝をつくことなく持ちこたえる。
「えっと、えっと、魔術解除、解除解除解除——できないぃ~! じゃあ、えっと、ええっと、これでどうだあ!」
やけっぱちともとれる動きでモルモが杖を振ると、床から炎の大渦が立ち昇った。
追撃しようとしていたララウィンは、すかさず盾を展開する。自分を包むドーム状の盾は、魔術を通さない。大渦の範囲が広がって炎が迫ってきても、熱すらララウィンに届くことはなかった。
逆にモルモは、己の生み出した炎に苦慮しているようだ。
「あっ、あつっ……あっつい!? やりすぎたぁ!」
ララウィンの張った氷は溶けたが、炎に囲まれて身動きがとれなくなっている。
ララウィンはこれ幸いにと、盾を展開したままじっくりと魔力を練り上げる。
「えっ、ちょ……待って待って、なんかすごいの来そうなんだけど……! お願い待って、火が消えるまで待ってぇー!」
「大丈夫よ、モルモ。火は消してあげる」
大渦の中心にいるモルモの頭上。そこに巨大な水塊を生み出す。
なにをされるかわかったようで、モルモは顔を引きつらせながら、うすっぺらい盾を展開した。
「それじゃあ、がんばって防いでちょうだい」
ララウィンが杖先を軽く振ると、水塊が落下。すぐに、ぱりんと魔術盾が壊れる音がして、モルモは水に飲み込まれた。
「ぎょえ————ごぽぽがぽぽぽ」
周囲の炎も舐めとるように、水は回転して範囲を広げる。中にいるモルモも、まるで洗濯機に突っ込まれたかのごとく回転している。
やがて水から放り出されたモルモは、「うべっ」という間抜けな声とともに、べちゃりとステージ下に倒れ伏した。
「そこまで!」
教師のかけ声を受けて、ララウィンは、ふう、と息を吐く。
「モルモ、大丈夫?」
ステージを下りてモルモの横にしゃがめば、微かに「だいじょぶ……」という返事が返ってきた。
「さて、それでは評定です」
教師が杖を振ると、濡れたステージもモルモも、一瞬で元通りになる。さすがはエリート校の教師、それも二年次から始まる専攻科目の担当なだけあるといったところだろう。
いまは専攻科目のひとつである決闘魔術——『決闘魔術を専攻するならこういったことを行いますよ』というお試し体験の時間である。専攻したあとに肌に合わないというミスマッチが出ないよう、決闘魔術以外の専攻科目も順次体験し、そして評定をもらうことができるのだ。
ララウィンは現時点で受けた体験授業すべてで、最高評価である『5』を与えられている。
それは、今回においても同じだった。
「ミス・アートブレス。主席の称号にふさわしい実力です。評定は『5』とします」
「ありがとうございます」
「ただし」
教師のかたい声に、ララウィンは瞬く。
「あの炎に対し、あなたの盾の強度は過剰でした。それでは魔力の無駄遣いとなります。あなたの魔力量を鑑みれば、さほど問題にはならないのかもしれませんが、留意しておくに越したことはありません」
褒め言葉と『5』の評定以外をもらうのは、初めてだった。
ララウィンは返事やアドバイスへの礼も忘れて考え込む。
盾が過剰——自覚はなかった。
『生への執着故だろうな』
ふと頭に響いた声に、デスクの方を見やる。
微動だにしないぬいぐるみの目が、まっすぐにララウィンを見つめていた。
『感情や願望は、ときに魔力にも影響を及ぼす。お前は産まれたときから、死を意識しているだろう。自分を害する可能性は排除したい——過剰防衛は、その願望の現れだ』
なるほど、とララウィンは人知れず頷く。
ムードはララウィンよりもララウィンについて理解している部分がある。ムードがそう言うのならば、きっとそうなのだろう。
万が一、本当の決闘をすることになったとき、身を守りたいがあまりに過剰に魔力を使い、結果的に身を守る魔術を使えなくなっては困る。本末転倒だ。心のメモ帳に『盾の魔術を練習する』と書き記しておく。
「次にミス・ハーティ。評定は『2』です。理由はわかりますね?」
「ふぁい……」
のろのろと起き上がったモルモは、「焦りまくってましたぁ……」とうなだれる。
「そうですね。冷静さの欠如。これは決闘において致命的です。格下相手にも負ける可能性があるほどに」
「はいぃ……」
「それに加えて、魔術行使があまりに粗雑。才能があるからやたらめったら杖を振ってもなんとかなっていますが、そのやり方が通用するのは一年生のうちだけだと知りなさい。矯正しなければ、いずれクラス降格もありえますよ。以上です」
「ぐうぅ……ありがとうございましたぁ……」
がっくりと肩を落としたモルモを伴って、ララウィンは席に戻る。
ララウィンの隣に腰を下ろしたモルモは、ため息をつきながらデスクに上体を預けた。
「決闘こわぁ~……。あたしがこれを専攻するのは、自殺行為だわ……」
「苦手だからこそ選んで訓練をするという方向性もあるけれど」
「いやいやいやむりむりむり。か弱い貴族のご令嬢を戦わせようとしないでぇ……!」
教師が次の生徒の名前を呼び、また教室前方で決闘が始まる。
それを眺めながら、モルモがデスクの上のムードをつついた。
「ララウィンは前に、ムードちゃんを完璧にするのが第一目標って言ってたよね。そしたらやっぱり、専攻は創造魔術?」
「そう言ったけど……いまは迷い中。防護魔術も興味があるし、生物魔術もとくに治癒系を学べば将来お金に困ることはなくなるだろうし……悩みどころね」
「あー、生物魔術いいよね。あたしもギリ評定『4』もらえたし。センスがあれば、芸術魔術も楽しそうだったんだけど」
「ふふふっ……モルモ、ある意味センスあったと思うけど」
「先生に『呪われる!』って叫ばれた絵が?」
「ふ、ふふふふっ」
ララウィンがくすくす笑っていると、ほかの場所からもくすくす笑いが聞こえた。
会話が耳に入ったクラスメイトも、そのときの授業を思い出して笑っているようだ。見れば、うしろの席にいたセストセールとミッドミンも笑っているではないか。
しかしそれらの笑い声は、教師の「静粛に!」という鋭い注意でぴたりとやんだ。
ララウィンは背筋を伸ばして、反省が伝わりそうな真面目な顔を作る。
専攻科目——モルモにはああ言ったが、ララウィンはすでに決めていた。少しでも好感度を稼ぐチャンスを増やすため、セストセールと同じ授業を選択すると。
◇
「いやあ、セスが思っていた以上に気さくで嬉しいよ。ニックネーム呼びなんて冗談のつもり——というか、ちょっと試してみようと思っただけだったってのに」
「言っておきますけど、僕はちょっと怒ってますからね。性格を知るためだったとしても、わざわざ僕の幼馴染に無礼な態度をとったこと」
「お前もイイコだな、ミッド」
「あっ、ちょ、ほっぺつつかないでください……!」
放課後の自習室。その隅でわちゃわちゃと戯れているジージャとミッドミンを見て、セストセールが和やかに微笑んでいる。そんなセストセールを見て、ララウィンも口角をあげる。
ジージャとふたりの初対面がうまくいってよかった。オルカルとの初対面時は、空気が悪くて仕方がなかったから。
ただ、三人を眺めていて穏やかな気持ちになったのはララウィンだけだったらしい。ララウィンの隣に立つオルカルが、ひどく不機嫌そうに口を開いた。
「騒ぐのであれば出て行ってもらえますか? 目障りです」
「はは、おもしろいこと言うなぁ。キミの目障りになろうと、ララウィンの目障りにさえならなければ問題ないはずだろ? むしろ、キミがそうやって機嫌を悪くしていることこそ、ララウィンの集中を削ぐかもしれない。もう手伝いは必要ないんだし、キミが出て行ったらいいんじゃないか?」
そして、オルカルが口を開けばこの通りだ。売り言葉に買い言葉。オルカルとジージャは、とことん相性がよくないらしい。
「えっ、なんで喧嘩腰……!? お、落ち着いて、ふたりとも!」
そんなオルカルとジージャの間に、果敢にもミッドミンが割って入った。
すかさず、セストセールがララウィンに近づいてくる。
「準備はどうかな。始められそう?」
「うん、大丈夫」
「よかった。——ほら、もう始まるよ」
セストセールの静かな声は、どうやらオルカルとジージャが口を閉ざすに足るものだったらしい。おとなしくなったふたりに胸を撫で下ろしたミッドミンも、こちらへと近づき、セストセールの横に並んだ。
本日、このメンバーが集っている理由は、ララウィンの目の前——テーブルに鎮座するガラスペンにある。とうとう魔術付与を実行する準備が整ったのだ。
魔術付与の見学を約束していたセストセール。ガラスペンを贈ってくれたミッドミン。虫の知らせなのかなんなのか、タイミングよく現れたジージャ。そして、ずっと手伝ってくれていたオルカル。
四人の視線を受けて——否、ぬいぐるみのムードも含めた五人の視線を受けて、ララウィンは杖を握りしめる。
失敗すれば、ガラスペンは壊れてしまうかもしれない。その不安を振り払い、慎重に、正確に魔力をガラスペンへ注ぎこんでいく。
「わあ……」
小さなガラスペンに集まる魔力は、高密度に凝縮されたことで僅かなきらめきを発し始める。
聞こえた感嘆は主にミッドミンのものだったが、ほかの人の声もまざっていたように思えた。
きらめきは徐々に増し、やがてガラスペン本体が視認できないほどの光になる。
「——できた!」
ララウィンが声をあげたのと光が霧散したのは、ほとんど同時だった。
見えるようになったガラスペンは、元の姿を保ったまま鎮座し続けている。
「できた……ってことは、成功?」
「少なくとも、壊れてはいないようだね」
ミッドミンとセストセールは首を傾げたが、上級生であるジージャには、その成否が瞬時にわかったらしい。
「やったな! マジで独学で、しかもこんなにはやくやり遂げるとは」
褒めるようにジージャがララウィンの頭を撫でる。
まさか撫でられるとは思っていなかったララウィンが目を見開くと、すぐさまジージャの手はオルカルによって払われた。
「念のため、試してみましょう」
オルカルが白紙のレポート用紙を取り出す。ララウィンはそれに、ペン先を滑らせた。
本来、インクに浸さなければ使い物にならないのがガラスペンだが、用紙にはまっすぐな黒線が残った。続けてララウィンは自分の名前を記してみたが、字がかすれることはなく、無駄に黒い液があふれることもない。書き心地も、以前とまったく変わらない。
壊れないかどうかは、わざと壊れるようなことをしなければならないので試す気になれないが、これはひとまず大成功と言って差し支えないだろう。
「……えへへ」
自分の笑い声を聞いて、自分がにやけてしまっていることにララウィンは気づいた。いまの笑い方は、首席で神秘的な見た目をしたララウィン・アートブレスに相応しくなかったかもしれない。
少し恥ずかしくなって頬を押さえると、背の高いオルカルがその顔を覗き込んできた。
「やりましたね、ララウィン。さすがです」
そう言ったオルカルの目がひどく優しげで、ララウィンはますます恥ずかしくなって顔を背けた。「ありがとう」を忘れずに言えただけ及第点だろう。
「ぐうう……僕も見たかった……。絶対いま、珍しい表情してたのに……」
「……へーえ。なるほど、そんな感じ? ふーん?」
「ジージャ。あまりからかわないであげて」
「おや、残念。セスの頼みとあれば、従わざるを得ないな」
背後で交わされている会話を聞きながら、ララウィンは手のなかのガラスペンを見つめる。
やはり、色がいい。ララウィンの瞳と同じバイオレット。ララウィンは自分の外見が好きなので、自分の瞳の色も好きなのだ。
ただでさえ見た目だけでも最強なガラスペンだったのに、ここに実用性まで付与されてしまった。もう絶対に手放すことはないだろう。
「ミッド」
ララウィンが名前を呼ぶと、ミッドミンは喜色の滲む声で「なに?」と応える。
「これ、本当にありがとう。一生大切にするから」
「うっ……!」
ミッドミンが心臓のあたりを押さえてしゃがみ込んだ。直前までの喜色の滲む声はどこへやら。続けて「ううう……!」と苦しそうに呻いている。
「ミッド……?」
「気にしなくて大丈夫だよ、ララウィン。それより、成功して本当によかったね」
セストセールに言われて、また嬉しさが込み上げてくる。にやけそうになる顔を必死に堪えていると、さらにセストセールが言葉を続ける。
「とくに、試験前に完成したのがね。インクの補充が必要かどうかというのは、時間制限のある試験にかなりの影響を及ぼすと思うから」
「……試験?」
思わずララウィンは復唱する。
試験。この学校での試験といえば、ひとつしかない。
全科目の実技と筆記、すべてをテストされる学年末試験。来年度のクラス編成にもかかわる——そして、主席の座を得られるかどうかの試験だ。
ここ最近の放課後は、ずっとガラスペンのことにかかりきりで、すっかり頭から追い出されてしまっていた。
「し……試験って、いつだっけ」
「ひと月後ですね」
答えたのは、オルカルだ。
一番の脅威。主席を奪う可能性のある人物。少なくとも、彼より努力しなければならなかったというのに。
あとひと月と侮るなかれ。オルカルはララウィンと違って、早熟の恩恵を持たぬ本当の天才だ。本を読む速度、理解力、レポートの出来——しばらくともに行動していたからこそ、それらがララウィンより上回っていることは確実だった。
実技はともかく、筆記は負ける。主席を奪われる。——オルカルの好感度がゼロになる。
魔術付与成功の喜びも束の間、ララウィンの顔は真っ青になっていた。




