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父の形見は美少女Vtuber  作者: 伊阪証


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ショート動画:臭いには上限はあるけど下限が無いのでやばい。

「今日は平和な交流戦です」

斎太がそう言った時点で、コメント欄の半分は既に疑っていた。画面には大学の体育館が映っている。床は磨かれていて、ラインはきれいに引かれ、ネットも張られている。バトミントン部の面々はいつも通りの軽装で、ラケットを持ち、軽くステップを踏みながら肩を温めていた。対する野球部側は、なぜか全員ユニフォームだった。しかも手にしているのはラケットではない。バットだった。

「待って」

バトミントン部の主将が、開始前から手を上げた。

「何?」

赤花芯は平然としている。ユニフォームの背番号は三三四。配信上ではバ美肉腐女子系野球Vtuberとして通っている彼女だが、画面に映る実体は完全に野球部だった。可愛いサムネから入った初見は、この時点で何かを間違えたような顔になる。

「ラケットは?」

「ない」

「なんで?」

「野球部だから」

「バトミントンしに来たんだよな?」

「する」

「それで?」

赤花芯はバットを軽く振った。木製ではない。練習用の金属バットだった。体育館に軽い風切り音が走り、バトミントン部の一人が一歩下がった。

コメント欄が騒ぐ。

『怖い怖い怖い』

『バドミントンの道具じゃない』

『初手からルールが泣いてる』

『赤花芯、顔が本気』

審判役の学生が困った顔をしたまま、「危なくない範囲で」とだけ言った。既に危なかったが、誰も止めなかった。配信企画というものは、止めるべきタイミングを逃すと、そのまま地獄の床板を踏み抜く。

最初のサーブはバトミントン部からだった。白いシャトルが軽く上がり、ネットを越える。赤花芯はそれを見て、バットを短く持った。

カンッ。

音が違った。

シャトルはありえない速度で天井近くまで跳ね上がり、照明の下で一瞬だけ白く消えた。観客席にいた野球部が「おお」と声を漏らし、バトミントン部は全員で天井を見上げた。

「ホームラン判定は?」

「ありません」

「惜しいな」

「惜しくない」

だが、試合としては妙に成立した。最初は当然、バトミントン部が圧倒した。軽さ、細かい角度、ネット際の処理、後方への逃がし方、全部が違う。野球部は一発の威力だけならあるが、小さく落とされると間に合わない。ラケットの面で拾う競技に、バットの棒で対応している時点で無茶だった。

それでも赤花芯の適応は早かった。フルスイングをやめ、バットを短く持つ。グリップエンド近くで細かく操作し、ネット際に来たシャトルを、バントのように落とした。

ぽとり、とネット手前に白い羽が落ちる。

バトミントン部が硬直した。

「……今の、何?」

「バント」

「バトミントンにバントを持ち込むな」

赤花芯は無表情でバットの角度を変えた。

「あるだろ。今できた」

「できたからってあることにするな」

コメント欄は盛り上がっていた。

『なんで善戦してるんだよ』

『バント適用するな』

『棒でここまでやるの怖い』

『バド部が普通に困ってる』

だが、善戦止まりだった。バトミントン部は競技者だ。相手がバットを持っていようが、シャトルの速度と軌道を読めば対応できる。赤花芯が一球ごとに慣れていく一方で、バトミントン部もまた、野球部の荒さへ適応していく。フルスイングには逃げ、バントには前へ詰める。野球部の打球は強いが、打点が大きいぶん、癖が見える。点差はじわじわ開いていった。

赤花芯はスコアを見た。

「まともにやると勝てないな」

「ようやく気づいた?」

バトミントン部の主将が汗を拭きながら笑った。赤花芯はバットを肩に置き、少し考えた。

「じゃあ邪魔するか」

「何を?」

次のラリーで、赤花芯は高く浮いたシャトルを待った。バトミントン部の返球はきれいだった。彼女は足を開き、腰を落とし、バットを引いた。打つ瞬間、体育館中に響く声を出した。

「ウォオオオオオオオオオオオオッ!!」

カンッ。

シャトルが返る。技術的には大した球ではない。だがバトミントン部の前衛が、完全に肩を跳ねさせた。反射で一拍遅れ、シャトルは床に落ちた。

沈黙。

審判が笛を吹いた。

「……得点」

バトミントン部が抗議した。

「今の何!?」

「声」

「声で邪魔しただろ!」

赤花芯は首を傾げる。

「野球では声出すだろ」

「ここバトミントン!!」

コメント欄が爆発した。

『最悪』

『威嚇するな』

『甲子園を体育館に持ち込むな』

『反則じゃないのが一番嫌』

野球部側は手応えを掴んだ。次から、打つ瞬間だけ絶叫する。最初は赤花芯だけだったが、ベンチも乗り始めた。バトミントン部がサーブを打つ。ラリーが続く。赤花芯がバットを引く。全員が息を吸う。

「ウォオオオオオオオオオ!!」

「かっとばせー!」

「赤花芯ー!」

体育館が完全に別の競技になった。バトミントン部は技術で返すが、精神が削られる。シャトルを見ている瞬間に、横から夏の野球場が殴り込んでくる。しかも野球部側は真剣だった。勝つためにやっている。悪ふざけの顔ではないのが最悪だった。

それでもバトミントン部は崩れ切らなかった。耳を慣らし、絶叫のタイミングを読んで返し始める。点差は詰まらない。赤花芯はまた考えた。

「構え変えるか」

彼女はバットを上段に掲げた。剣道でも野球でもない。蜻蛉の構えだった。薩摩の何かを見てきたような、よく分からないが圧だけはある持ち方である。バットの先端が天井へ向き、赤花芯の視線がネット越しにバトミントン部を射抜く。

バトミントン部の主将が固まった。

「何それ」

「蜻蛉」

「バトミントンにあるの?」

赤花芯は答えない。

体育館が静かになった。赤花芯は動かない。バトミントン部もなぜか動けない。サーブ前なのに、互いに見合いが始まった。ラケットとバット。シャトルと白線。体育館のはずなのに、空気だけが殺陣のそれになっている。

審判が困った声を出す。

「……続行してください」

誰も動かない。

コメント欄が震えていた。

『何を見せられてるんだ』

『バドミントンで見合い発生することある?』

『圧があるの腹立つ』

『薩摩バドミントン』

数秒後、赤花芯が踏み込んだ。

「チェストォ!!」

「怖っ!!」

シャトルは返ったが、バトミントン部の一人が完全に顔を引いた。点は取れない。だが、体育館の空気は明らかに汚染された。技術の競技に、野球部の声と構えと圧が混ざり始めている。

なお、この頃には斎太は「なんか大丈夫そうなので帰ります」とだけ残して既に帰宅していた。

試合が本当におかしくなったのは、その後だった。

バトミントン部の一人が、ラリーの途中で顔をしかめた。

「……なんか臭くない?」

全員が一瞬だけ止まった。赤花芯は止まらない。バットを短く持ち、ネット際へ落とす。得点。しかしバトミントン部はスコアどころではない。

「いや、臭い。何これ」

「何が」

赤花芯は自分のユニフォームを少し引っ張った。汗でかなり湿っている。長時間の体育館、野球部の練習量、配信活動、遠征、球場飯、コンビニ飯、深夜編集、ニンニク、エナドリ、プロテイン、洗濯タイミングの悪さ。そのすべてが、彼女の身体とユニフォームを通って、得体の知れない「夏の野球部」になっていた。ワキガではない。健康診断にも異常はない。だが、食品関係と運動関係と生活の乱れが奇跡的に噛み合い、なぜか分からないほど臭い。

バトミントン部の主将が叫んだ。

「窓開けろ!」

野球部が即座に反論する。

「風向き変わるだろ!」

「知るか!!」

コメント欄は何も分かっていない。配信では臭いが伝わらないからだ。画面越しには、バトミントン部が突然騒ぎ始めたようにしか見えない。

『何が起きてる?』

『臭いって何』

『バド部が急に壊れた』

『赤花芯は可愛いだろ!』

バトミントン部は本気で対策を始めた。制汗シート、消臭スプレー、冷感タオル、携帯扇風機、替えのシャツ。ベンチから次々に出てくる。バトミントン部側の空気が、ミントと石鹸と柔軟剤に変わっていく。

野球部側は、対抗するつもりがあるのかないのか分からない。だが、いるだけで強かった。汗を吸ったユニフォーム、湿ったグリップ、練習後の部室、遠征バス、夏のベンチ裏。そういうものが一つの塊になって、ネットの向こう側へ押し寄せる。

体育館中央に、見えない境界線ができた。

バトミントン部側は清潔だった。野球部側は夏だった。

「押されてる!」

「何に!?」

「空気に!」

バトミントン部は携帯扇風機を投入した。風が中央へ向かう。野球部側の空気がわずかに押し返される。コメント欄には一切伝わらないが、現場だけは本気だった。

赤花芯がベンチへ振り返る。

「送風機」

「ある」

「なんであるんだよ!」

バトミントン部が叫ぶ。野球部は当然のように大型送風機を出した。ベンチ用らしい。スイッチが入る。低い駆動音が体育館に響き、風向きが変わった。バトミントン部側のミント領域が縮む。

「うわっ、来た!」

「夏が来た!」

「夏を押し付けるな!!」

試合はもう、シャトルを床へ落とす競技ではなくなっていた。どちらが体育館の空気を支配するかの戦いになっていた。赤花芯はバットを蜻蛉に構え、ユニフォームから謎の夏を放ちながら、打つ瞬間に絶叫する。バトミントン部はラケットを握り、消臭スプレーで自陣を守りながら、どうにかシャトルを返す。審判は点を数えるのを諦めかけていた。

最終的に、体育館管理側から苦情が来た。

「両チーム失格です」

審判の声は疲れ切っていた。野球部もバトミントン部も、誰も反論しなかった。バトミントン部は消臭シートを握りしめたまま床に座り、野球部は送風機を止めた。赤花芯だけが、なぜか少し納得いかない顔をしている。

「試合は?」

「失格です」

「勝敗は?」

「失格です」

「じゃあ引き分けか」

「失格です」

清掃員が呼ばれた。

彼は体育館に入った瞬間、何も言わずに窓を全部開けた。それから両チームを見た。

「お前ら二度と来るな」

「はい」

「はい……」

配信アーカイブでは、ここまでの臭気戦が全然伝わらなかった。視聴者には、絶叫と蜻蛉の構えでおかしくなった試合が、途中から突然バトミントン部だけ過剰反応し始めたように見えていた。そのため当初は、バトミントン部が大げさだったのではないかという意見すら出た。

その評価がひっくり返ったのは、後日のグッズ販売だった。

赤花芯、もとい三三四名義で、使用済みリストバンドが数量限定グッズとして出た。説明文には「実際の練習および企画で使用したもの」とだけ書かれていた。ファンは、可愛いバ美肉腐女子系野球Vtuberのグッズとして買った。推しの香り、推しの実在感、夏の記念。そういうものを想像していた。

届いたのは、夏の野球部だった。

レビュー欄は荒れた。

「臭い」

「本当に臭い」

「推しじゃなくて野球が来た」

「開けた瞬間に部室が出た」

「バトミントン部は正しかった」

「本物にするな」

赤花芯は後日の配信で、いつもの調子で言った。

「本物です」

コメント欄は一斉に返した。

「だから本物を売るな」


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