衝撃と震撼
東風煮さんに連絡を入れる。相談したいのは、もはや三次元のレンダリング手法やトラッキングの精度といった技術論ではない。それらを超えた先にある「人員の運用」という、より生々しく、より政治的な判断についてだ。僕たちはすでに、単なる依頼主と技術者という境界を越え、一つの大きな虚構を成立させるための共犯関係にあった。
「そのアスリート四人も、いっそライバーとして活動させればいい。グループにするんだよ」
画面越しに東風煮さんが提示した案は、拍子抜けするほど軽やかで、同時に逃げ場のないものだった。彼らを単なる「手伝い」として僕の背後に立たせるのではない。彼ら自身の肉体と人生を、表現者として表舞台に引きずり出す。その一言で、僕が描いていた復讐の規模は、僕自身の手を離れて制御不能なレベルまで膨張を始めた。
リスクは、吐き気がするほど承知している。スポーツ界という閉鎖的な共同体には、常にいじめや不祥事、そして薬物の影が澱のように沈んでいる。それは決して遠い世界のニュースではない。事実、近隣の大学では、無関係と思われた捜査から部内での組織的な薬物汚染が露呈し、名門と呼ばれた部が一瞬で廃部に追い込まれた。
僕の大学が比較的平穏に見えるのは、彼らがフィギュアスケートやゴルフといった、個の修練を極める個人競技の人間だからだ。集団の腐敗が伝播しにくい構造に助けられているに過ぎない。だが、一度スポットライトの下に彼らを引きずり出せば、その清廉さは、逆説的に「攻撃の的」としての価値を持ってしまうだろう。
価値:狂気と誠実のセット販売
それでも、本物のアスリートという重石を画面に持ち込む理由は明確だ。
今の配信界に溢れているのは、器用なだけの娯楽だ。そこに必要なのは、圧倒的なパンチ力と、その言葉に伴う絶対的な説得力。一生を捧げて一つの関節の動き、一つの軸の回転を研ぎ澄ましてきた人間にしか宿らない、ある種の「狂気」。そして、その狂気を支え続ける、競技への過剰なまでの「誠実さ」。
その二つをセットにして、三次元のガワの中に流し込む。
それは、単なるエンターテインメントを破壊し、見る者の神経を直接逆なでするような暴力的な価値になるはずだ。三次元技術という最先端の檻に、アスリートという剥き出しの肉体を閉じ込める。
僕が選んでいる道は、決して正しいものではない。
彼らが積み上げてきた純粋な努力や、競技に対する誠実さを、僕自身の歪な復讐劇と配信戦略の中に巻き込もうとしている。彼らを、僕と同じ過酷で残酷な場所へ、自覚的に引きずり込もうとしている。
父・桜太のやり方を、反吐が出るほど嫌っていたはずだった。
人を駒として扱い、その価値を最大化するために手段を選ばないあの冷徹さを、僕は軽蔑していた。なのに今、僕は東風煮さんの提案を飲み込み、彼らの未来を自分の盤面へと配置し直している。
僕は、理解している。
私は、きっと悪手を選んでいる。
3Dに五人の初配信。
その衝撃がもたらすであろう震撼と、取り返しのつかない崩壊の予兆を、僕は冷めた頭で受け入れていた。




