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第十六話 首藤操六(105号室・病名 統合失調症)

 中庭に流れるショパンの「別れの曲」。

弾いているのは鮫島看護婦。


 105号室。

ここにも「心の病」に臥せってる男が居る。

朝倉看護婦が『無言の部屋』に朝食を運ぶ。

ドアーをノックする。

返事が無い。

ドアーを開ける・・・。

部屋の中は朝にもかかわらず薄暗い。

鉄格子の窓には新聞紙が貼りめぐらされている。


 「首藤さん、ご飯ですよ」


部屋の中ほどに、寝巻き姿の男が端座(タンザ)して居る。

首藤操六(元陸軍参謀副長)と云う男である。

首藤は全く喋らない。


 「十分したら下げに来ます」


朝倉看護婦は部屋の隅に朝食の盆を置いてドアを閉める。

盆の上には、


『麦飯、汁、香の物、メザシ、生卵 灰皿。灰皿の上にはバット(タバコの銘柄)が一本とマッチ棒一本』。


首藤は座をくずし、右手で部屋の中央に盆を引き寄せる。

暫く両手を合わせ合掌すると、麦飯に汁をかけ、香の物とメザシを一気に胃の中にカッ込む。

最後に殻になった飯(メシ)の器に生卵を割って喉に流し込む。

所要時間は三分。

実に単純な『作業』である。

首藤は灰皿を取り、盆をドアーの近くに戻す。

部屋の中央、一畳に座り直し、姿勢を正す。


 西向きの壁に名刺大の小さな紙が貼ってある。

紙には『忠義』の二文字が『血書』で書いてある。


首藤は少しずつ貯め込んだ煙草の葉を煙管(キセル)に詰め、隠し持っていたマッチの擦り紙に「マッチ棒」を擦(コス)りつけ、渋い顔で美味そうにバット(タバコ)を一服吸う。


首藤がこの病院に入る経緯だが当初、彼は自分の頭がオカシイと言ってこの病院に積極的に入院して来た。

しかし一か月ほどして、本当にオカシくなり、この東棟に移されたのである。

ここに移されて半年、首藤は朝のこの『作業』を崩さない。

薄暗い部屋で、一日を「無言」で過ごしているのである。


 首藤が『自分の症状』に気付いたのは昨年(昭和19年)の7月頃らしい。


師団の「残兵3400名」がビルマ(インパール作戦)の山谷を彷徨、シッタン川を渡りタイに転進する際、兵の半数以上が雨季で増水した川に流されてしまた。

その結果、師団全体の統率がまったく取れなく成ってしまった。

『統率の均等が保てなくなった大きな要因は他にもある』

イラワジ河西部で、強力なイギリス軍の混成部隊と果敢に戦闘中の第28軍(4000名)が急に戦闘意欲を無くしてしまったのだ。

いわゆる「戦闘意欲の背景」には上官の命令により目的構成され、その内訳(ウチワケ)は絶対、かつ天皇の一言(イチゴン)に値する「実に重い」もの、まさに『忠義』の二文字に支えられている。

しかしこの時期、かの方面軍総司令官『木村兵太郎・中将』が、あることか、綾乃(アヤノ)と云う芸者を連れて「雲隠れ」してしまったのである。

首藤はこの事実を知りながら、軍の上級指揮官達に必死に隠していた。

だが、噂は「イギリス軍俘虜」の尋問により強烈に、隅々の日本兵達に蔓延してしまったのである。


 以下は『内村院長のカルテ』に記録されているものである。


 『(問診患者名)首藤操六(経緯・症状)インパール戦にて。氏は部隊(数10名)と渡河中、鉄帽を流され流木で後頭部をイヤと云うほど打つ。気を失って、しばし浮遊するが、気が付くとメーホーソンと云う町の寺の「兵站病院」の床に寝かされていた。氏は着衣が妙に軽い事に気付き看護兵に聞くと、上着(階級章付き)以外すべて「追いはぎ」に盗られ川岸に寝て居たと説明を受ける。それ以降の記憶は全て断片す。氏はチユウギ、忠義と言葉を繰り返す』


 首藤は暗い部屋で煙管(キセル)を灰皿に置いて、何やらお題目を唱えている。


 一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。

 一、軍人は礼儀を正しくすべし。

 一、軍人は武勇を尚ぶべし。

 一、軍人は信義を重んずべし。

 一、軍人は質素を旨とすべし。


首藤はこの精神病院で、あらん限りの精神力をもって、この『忠義』の二文字を支えに『心の治療』を行っているのである。


 無言の薄暗い部屋の中では、今日も首藤が横に成って悩んで居る。


 「俺はなぜ、こんな時代に生まれて来たのだ。子供の頃から何年もかけて親に叩きこまれた忠義と孝行と云う精神。それがたった一年でどこかに消えてしまった」


 首藤の度重なる『妄想』。

陸大の中庭で直立不動で軍人勅諭を大声で読んでいる。


 一、軍人は忠誠を尽くすを本分とすべし。

 一、軍人は礼儀を正しくすべし。

 一、軍人は武勇を尚うべし。

 一、軍人は信義を重んずべし。

 一、軍人は質素を旨とすべし。


 首藤は部屋の中央、一畳の畳に身体を横たえ朝飯(アサメシ)に付くバット(タバコ)の巻紙を外している。


首藤は放屁をした。


 「プウ~・・・」


そして思い悩む。


 「俺は誰に忠誠を尽くしていたんだろう。誰に礼儀を正していたんだろう。誰の為に武勇を勝ち取ろうとしていたんだろう。誰の為に信義を重んじていたんだろう。誰の為に質素にしていたんだろう。そして何故、木村の野郎は芸者と一緒にトンズラしてしまっんたんだろう・・・」


溜息を深くつき、目を瞑(ツム)る首藤。


靖国神社の大鳥居が首藤の身体に覆(オオ)い被(カブ)さって来る。


首藤が独り言をいう。


 「俺はもう日本人に嫌気がさした。中将が師団を見捨てて芸者と・・・」


首藤は突然、大声をあげる。


 「クソーッ! ああ~、いやだ嫌だ。もう、イヤだ~ッ! 関特演(関東軍特殊演習)からビルマまで、俺は上官を必死に支え作戦を補佐して来た。その総司令官が事も有ろうに芸者と逃亡、途中で大将に昇進するとは・・・。あ~、嫌だイヤだ。兵は飯も喰えずに戦って居るのに。士気が揚がる訳がない。日本人とは、かくあるものか。あ~、もう、イヤだ。俺は誰も信じられない。河辺(河辺正三・最終階級陸軍大将)は融通の利かない男だった。その後に来た木村(木村兵太郎・陸軍大将)は、事ある毎に『常在戦場! 余は常に兵と共に在り。日々是、決戦で在る!』 と。あの野郎はナポレオンの様な奇妙な台詞(セリフ)を吐く男だった。3万もの兵を置き去りにして、いったい誰が責任を取るのだ。大義とは、忠義とは、皇軍とは・・・。『あ~、もう嫌だッ! 頭が変に成って来るッー!』」


頭を掻き毟(ムシ)り叫ぶ首藤。


 鮫島看護婦が首藤の怒鳴る声を聞き、廊下を走って来る。

ドアーを開ける鮫島看護婦。


 「首藤さん! 大丈夫ですか」


首藤は急いで煙管(キセル)を寝巻の袖口(ソデグチ)に隠し、座り直す。


鮫島看護婦が、


 「どうしました、大声を出したりして。悪い夢でも見たのですか?」


首藤は黙って俯(ウツム)いている。

鮫島看護婦が、


 「難しい事を考えてはだめですよ。アナタにも明日が来るのですから」


首藤は黙って畳を見ている。


 「あッ、それからコレ」


鮫島看護婦は入口の畳の上に一通の封筒を差し出した。


 「首藤さんにお手紙が届きました」


首藤の顔が少し動く。


 「ここに置きます」


首藤は見て見ぬふりをしている。

鮫島看護婦は首藤の丹前の袖から立ち上がる煙を見て、


 「煙草を吸う時は火の元に十分、注意して下さい。袖から煙が出ていますよ」


首藤は驚いて、


 「!・・・アッ! あーッ!、あ~、アッ」


鮫島看護婦はドアーを閉めて戻って行く。

首藤は袖を手で叩きながら、


 「クソー、クソー。イヤだ、もう~イヤだ!」


そして畳の上の封筒に目をやる。

手を伸ばし封筒を取り、裏側を見る。


  『田上源 内(タガミゲンナイ)』


 「タガミゲンナイ?・・・ゲンナイ?」


封筒の口を切り、中の便箋を取り出す。

1枚目に杜甫の詩「春望」が達筆な朱文字で書いてある。


 「國破山河有 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心峰火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪 上等兵」


2枚目に髪の毛の束と爪が貼り付けてある。

首藤は天井を睨み、


 「タガミ上等兵? 思い出せない」


封筒の中をもう一度覗いて見る。

底に「小さな紙片」が見える。

取り出してみると、


  『巣鴨の刺抜き地蔵の御影』


が出て来る。


 「タガミゲンナイ? ビルマか? ノモンハンか・・・」


天井から蜘蛛(クモ)が糸を引いて降りて来る。

首藤が突然、大声で、


 「あッ、ソロバンのタガミだ!」

 「 あいつはノモンハンのハルハ河の畔(ホトリ)で俺が荼毘(ダビ)に付してやった兵隊だ。暗算に長けた良い男だった。それにしても死んだ兵隊があの世からこの俺に手紙をよこすとは。よっぽどこの世に未練があるのだろう・・・」


シミジミと便箋と爪と髪の束を見る首藤。

どこと無く良い香りの漂う「便箋」である。

匂いを嗅ぐ。

そして、


 「あの世とはかような臭いのする所か。ああ、良い臭いだ。こんな良い臭いのする所なら俺も早く行こう。おい、田上! 俺も直ぐに行く。俺の事は気にせず、成仏しろ。待ってろよ・・・」


 首藤の病とは「ピント」がずれてしまう精神の病(ヤマイ)、『統合失調症』なのである。


首藤は畳の上に大の字に倒れ、目を瞑(ツム)る。


手には「田上源*内(家内)」の便箋が握られている。


 この日から首藤は自分の『死の処し方』を真剣に模索し始める。

                          続く

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