コノヘ(エ)神について
コノヘ神の信仰の働きとおおざっぱさについて。
コノヘ神。
大きなものを造る事を得意とする。
「聖書」のエロヒームのひとり。
すなわち、コノヘ神とヤクタ神とで、どちらが壮麗で壮大な山を造れるか?競い合った所、コノヘ神がエベレストを造ったが、ヤクタ神が富士山を造った。コノヘ神がその事でヤクタ神を挑発したが、ヤクタ神は乗らなかった。比較的小さいからと言って、怒る要因には成らなかったのである。
見ようによっては、富士山の方が壮麗で壮大に視えたのである。
この様に競い合うふたつの神は人間にあるものはすべて持っている。
創造前のエロヒームと創造後のアドナイ。
創造前は色々な神の力が必要に成るだろうが、創造後は主権をひとつにして、信仰の貯金を続ける事が賢い選択である。
信仰があれば、お金がなくても、動けと言えば動き、生きようと想えば生き、神と信仰の市場取引をしようと想えば、その通りに出来るのである。
信仰は基盤で、信仰心を育てる為の産屋である。
信仰が強固であればある程、信仰心をより堅実に育てる事が出来、主への信頼を確かに出来る。
すなわち、信仰があればこそ、人類の元を造ったコノヘ神の様に大ききものを造る事が出来、しかも、神への道が開ける。
例えば、主は生きておられる。という言葉、新たなる信仰ではないか?つまり、信仰の世界に信仰を建て、それを伸ばして、天に繋がる事も出来るのである。
神に信仰がないと想ったら間違いである。
特にコノヘ神は信仰の神であり、信仰で何でも成し遂げるのである。神の似姿とは、この自己実現の神の似姿が人間なのである。
ある世界の理や物や人を生む、または、造る事は信仰の為せる業である。
視よ。信仰によりて、幻想の神を私は生んだではないか?その信仰は昇華され、とある生と成る。視よ。ニーチェは新しい神を生まない信教等、とるに足らないと言ったそうだが、第三世界の主、第三世界の唯一神、クリスティー・スカーレットこそが「死んだ神」の代わりと成るではないか?
ゆえに、信仰は新しい世界の新しい価値基準を生むものである。天地創造は絶え間なく続いている。今も神から人が生まれ、人から神が生まれているではないか?
もはや、先人は偉大であるが、私達は天地創造をする必要もなく、また、神は人からすら天地を創造する事もお出来に成る。ゆえに、人は幻想の神でありながらも、信仰の働きをやめようとしない。すなわち、先人たるコノヘ神が元の元の世の天地創造をされた様には、私達はする必要もないのである。ゆえに、自由に信仰を育て、花咲かせていく事が出来るのである。




